カルテ「シンエヴァ・リカリング呪詛(2021.3.26~5.8)」

承前:ドキュメント「シンエヴァ・アディショナル呪詛(2021/3/6〜3/24)」

「旧劇なほもて成仏をとぐ、いはんや新劇をや」

2021年3月26日

 エヴァのテレビ本放送、後半戦に入ってからは本当に掛け値なしに人生の中心をそこに置いていたし、ほとんど過集中みたいに呼吸を止めるように見て、CMに入った瞬間、ホーッと息をつくことを思い出す感じだった。いまでもときどき思い出してイラッとするんだけど、緊迫の絶頂でAパートが終わった直後、男性のアナウンサーが「しんせーき、えばーん、げりおーん」みたいなマヌケな発音でタイトルを読み上げるフィギュアだったかプラモだったかのCMが、当時は心の底からゆるせなかったなー。「薄汚い商売人たちには、エヴァのすごさがわからないんだ!」とか、テレビの前でひとり親指の爪を噛みながら、静かに憤ってたなー。それがいまや、公式のコラボがあんな感じだもんなー(ANNA SUIのHPを見ながら)。隔世の感、あるなー。初号機色のやつなんか、店頭でタダでもらっても帰りに駅のゴミ箱につっこむ自信あるなー。エヴァ・ブランド、毀損されちゃったなー。

 ふと、天野大気さんのことを思い出す。あれからもう7年、夏には必ず旧劇を見返すって言ってたけど、いったいどんなふうにシンエヴァを見たのかな。きっと「乳の大きいホニャララ」って台詞には反応して、なんか描いただろうな。

 例のドキュメンタリーを見返してるけど、監督は「周囲に自慢できるトラウマが欲しかった、トラウマの無い人」だって感じがすごい伝わってくるなー。監督の戦争経験者への憧れも、「他の全員を黙らせることのできる逸話」としての魅力を感じているに過ぎないのではないでしょうか。監督は、父親が事故で足を欠損した話を持ちネタとして何度も何度も語りますが、それってわかりやすいがゆえに、だれも同情以外の反応を示すことができない、「思考停止を強要する悲劇」だからだという気がします。戦争経験者の件もそうですけど、真実に悲惨な過去を持つ人物って、あえて自分からそれを語ろうとはしないし、むしろ表向きはそこへ踏み込ませないために極めて社交的で明るいキャラクターを身にまとって、己の悲劇をだれにも明かさず墓まで持っていくようにふるまうと思うんですよね。「事故で足を失った父親」というのは監督にとって言葉は悪いですが、「周囲を恫喝して黙らせるのに有効なフィクション」として機能している気がします。希死念慮だけでなく生育史も含めて、「自分の人生をカッコよく見せる舞台装置」である薄っぺらさを隠そうとする仕草こそが監督の持つ魅力であり、同時に限界でもあるという気持ちが、シンエヴァの視聴を通じて私の感じた「正味」なのかもしれません。

2021年3月27日

 一同、礼ッ! 「アグリカルチャー綾波」の略称であるところの「アグ波」考案者、アズ・ノウン・アズ小鳥猊下であるッ!

 公開から3週間近く経ったみたいやけど、「:呪」の閲覧数は3万2千、スキが350ぐらいで、どうにも伸びなやんどるみたいやな。肌感覚やけど、だいぶ肯定派と中庸派に追い込まれとるようやで。おどれら、これが最後の祭りやねんど! まだまだ盛大に「:呪」を拡散して、イングリモングリやったらんかい! 大人アスカの破れたラテックス・スーツの隙間から手ェ突っ込んで、24年間のび放題のワキ毛ジャリジャリいわしたろかい、ワレェ!

  シンエヴァ、例のドキュメンタリーを通じて、秘密の仕事部屋に引きこもって、監督がひとりで最後まで脚本を書き上げてから、現場にどういう絵と演出にするかを丸投げしてることがわかったけど、無駄かつ無意味に制作が難航したことの最大の原因はこれですね。ぶっちゃけ、監督って人間に興味が無い上に日本語がヘタクソなので、脚本を書く人物としてはまったく不適だと思うわけです。監督の苦手分野をぜんぶひとりでやって、監督の得意分野についてはぜんぶ丸投げするって、自分とスタジオの強みをすべて消しにかかっているとしか思えません。シナリオは外注するか破のような合議制にして、監督が「ここの台詞とト書き、どんな映像を想定してるの?」と聞いて、ライターが「アイ・ハブ・ノー・アイデア。それを考えるのがアナタの仕事でしょ?」と冷たく突きはなす現場だったら、はるかに短い制作期間と高いクオリティで完成したと思いますよ。こないだも少し書きましたけど、監督は自分を周囲にどう見せたいかの戦略については常に意識的なのに、中身に関しては徹頭徹尾、他人の過去の事象からの借り物なわけです。その軽薄さが同時に魅力でもあるわけですが、黒澤明の「天気待ち」じゃないですけど、周囲の反応を見てるっていうか、狂気の監督としての自分を演出することが、意識のどこかにあるような気がします。今回、外部の撮影クルーを入れたのも、いよいよ還暦を迎えて、過去の映画監督が持つような破天荒の逸話を自分に紐づけたい気分が勝っただけではないでしょうか。 

2021年3月28日

 夜、寝床について、家族からも社会からも離れたひとつの個にもどるとき、消えたと思っていた呪いが枕元に立って、私を見下ろしているのに気づく。いまでこそ旧劇の信奉者である私だが、第26話「まごころを、君に」を受容するのに、どれだけの時間とエネルギーを要したことか。ふりかえれば、それは次のような段階を踏んでいる。

⒈ 戦わなかったシンジが許せない。
 なぜ、助けられるアスカを見殺しにしたのか。何のための翼持つ初号機だったのか。許せない。

⒉ 実写パートが入るのが許せない。
 なぜストーリーの本筋と関係の無い実写が入るのか。通勤のシーンに物語として何の必然性があるのか。許せない。

⒊ 実写パートの固有名詞が許せない。
 なぜサイエンス・フィクションなのに作中で文具店や監督の名前を出す必要があるのか。許せない。

⒋ 実写パートの親指男が許せない。
 なぜエヴァへの敬意を致命的に欠いたこの男が、作品へ永久に刻まれるのか。編集で消して欲しい。許せない。

⒌ シンジの得た悟りの内容が許せない。
 あれだけの超越体験を経たシンジが、最終局面に至って「これからも考え続ける」「当たり前のことに何度も気づくだけなんだ」みたいなクソ薄っぺらい話しかしない。許せない。

 でもね、彼岸の赤い砂浜で横にいるアスカを見たときのシンジの表情と、両の親指を血管に食いこませ、本気で殺そうとしているのがわかる首絞めに、最後はぜんぶ感情を持っていかれてしまう。私にとって物語の本質とはディスコミュニケーションであり、もっとも近しい人々にさえ、私の本当のところは決して伝わるまいという諦念が、いつまでもどこかにある。その冷たい場所へ、旧劇のラストシーンはずっと静かに寄り添ってくれていたのだ。シンエヴァはその静謐にズカズカと土足で踏み込んできて、すべて台無しにしてしまった。代わりに渡された紙片に書かれていたのは、すでに試した有効ではない処方箋。いちど語られた虚構は、それを受け取った人のものだと思う。生みの親にだって、だれかの心の中にある物語をまで壊す権利があるものか。私はただ、私の大事な場所を、そっとしておいて欲しかった。

2021年3月31日

 サイバーパンク2077、新しいパッチが来たのでプレイを再開。やっぱり、成熟した世界への処し方を求めるのなら、海外SF作品に当たるのが間違いありませんね。シン・ゴジラのときは、「この作品は本邦特有のもので、西洋の輩にはわかるまい!」と意気軒昂でしたが、シン・エヴァときたら「この作品は本邦特有のもので、西洋の輩にはわかるまい……」と意気消沈ですからね。あかん、またムカついてきた。前半のパートを奇矯な実写の手法でモッチャラクッチャラやって時間を空費して、後半のパートは「ここからは間に合わないので、普通に絵コンテを切ってやります」ってシャチョーそれ、どんなマネジメントですのん。そして出来上がった後半部分では、旧劇の自己模倣と昭和特撮の他者模倣がエンディングまでビッシリと敷き詰められ、エヴァンゲリオンの革新性をすべて覆い隠していくのです。監督、自分の作品を模倣することは、オマージュって言わないみたいですよ! 9年もあったらケトゥ族は映画シリーズのトリロジーとなんならシークエルまで完結させ、ゲームのAAAタイトルだったら世界を丸々2個ぐらいは創造してしまいますよ! 「血を流して作る」は御大から頂戴したカッコイイ座右の銘なのかもしれませんが、シン・エヴァでは血を流すことが自己目的化してたんじゃないですか! 寿命が200年くらいある想定で創作活動するの、ちょっとサイエンス・フィクション過ぎて、逆に面白い(否定しない漫才師のツッコミで)。

2021年4月1日

 ドキュンサーガの単行本を買う。あらためて紙面で読み直すと、いくつかのコマにハンターハンターからの影響を感じられ、作者は富樫先生のフォロワーに違いないと思う。それはすなわち、「虚構のキャラといえど一個の人格であり、それを作者が改変することは基本的にできない」という強い信念による作劇が為されているということである。すべての登場キャラクターに対して作り手の敬意を感じられることが、素直に嬉しい。シンエヴァとは比較にならぬ作品強度を持っており、シン肯定派こそドキュンサーガを読み、己の軽薄さについて恥じ入るべきではないでしょうか(宣伝)。私が同作で最も感情移入するのは、メンザだ。「神がどうとか頭をよぎること自体が致命的な低脳化の証明だ……!!」の台詞に前駆する嘔吐こそがサルトルのそれであり、東日本大震災に影響を受けたエヴァQに起因する、監督の個人的な自傷に過ぎないDSSチョーカーへの反射としての嘔吐とは決定的に質を違えた、人類普遍の苦しみである。「貴方は科学技術の進歩により、永久に生きられるようになりました。価格は100円です。どうしますか?」という不死をコモディティ化(笑)するSF的深淵をはらんだ問いへの回答を、シンエヴァとその監督ははたして持っているのでしょうか。ドキュンサーガは持っていますよ。

 シンエヴァのメッセージって考えるほどにヤバくて、ひいき目に言っても社会に対するバリアーに過ぎないものを、強いウェポンだと思ってふりまわしてる感じだよなー。ここ、突きつめていくとどんどんヤバくなっていくような気がするなー。

「なに、いつも孤独で満たされない気がする? それはもう結婚しかないな!」
「なに、結婚したのにまだ孤独で満たされない気がする? それはもう子育てしかないな!」
「なに、子育てが終わったのにまだ孤独で満たされない気がする? それはもうペットでも飼うしかないな!」
「なに、もうすでにペットは飼っているのにまだ孤独で満たされない気がする? それは選ぶ配偶者を間違えたせいだな!」
「なに、選ぶ配偶者は間違えていないと思うのにまだ孤独で満たされない気がする? それは子どもの育て方を間違えたせいだな!」
「なに、子どもは自分に似ず良い人間に育ったと思うのにまだ孤独で満たされない気がする? それは感謝が足りないせいだな!」
「なに、自分のような無能のロスジェネが生きていけることに日々感謝しかないのにまだ孤独で満たされない気がする? それは感謝を捧げるための具体的な対象が無いせいだな!」
「さあ、この不思議なツボに水を満たして、毎朝きれいな言葉だけをかけ続けるんだ!」
「(目を伏せて)お値段の下限は100万円からで、救われたいお気持ちをそこへ上乗せしていただければ。ただ、お聞きしたところ、相当に深い業をお持ちのようで、前世からの影響も疑ってみるべきではないかと。その場合、下限は500万円スタートになります」

 ……てな具合にどんどん退行していって、最後にはスピリチュアルな物品を売りつけられるんだろうなー。まえに「エヴァは原始宗教」って指摘したけど、まさか新興宗教だったとはなー、こんな教義には、1円たりとも支払いたくないなー。

2021年4月2日

 婉曲的に表現するところの「邦画キチガイ」、単行本も持ってて前から好きなんですけど、エヴァQ回を経た最新のシンエヴァ回にはビックリしました。作者はエヴァにあまり思い入れが無く、ただ今回の登場人物にフォーカスして、ネームを面白くしようとしただけだと信じたいです。しかし、もし旧エヴァからのファンでありながらシンエヴァを大傑作と評したのだとしたら、これまで数々の邦画へ向けられてきた愛に満ちたブラックなディスりが、すべて信頼のおけない眼差しで行われていたのではないかと疑わざるをえません。以前、エヴァ芸人の走りみたいなテキストで小銭を稼いでいた人物が、公開当日に絶賛を表明するという冗談みたいな話を紹介しました。過去に遡行してすべての著作の評価が反転するという意味で、シンエヴァはクリエイターを名乗る者たちにとって、作品そのものの持つなまくらさとは真逆の、じつに鋭利なモノサシとして機能していると言えるでしょう。

 僕の優雅な憂悶におし入って来たこの呪詛がそれからどこへ成仏したかというとーー実はまだインターネットにいるのです。

2021年4月3日

 「シンエヴァを見てから、"beautiful world"がゲンドウのことを歌っているようにしか聞こえない!」という悲鳴みたいな書き込みを見てドキッとして、あわててヘッドホンをつけて同曲を聞いてみたら、あれだけ正しいシンジのキャラソンだったのに、もうゲンドウのテーマにしか聞こえなくなっていた。これにはもうアッタマきてヘッドホンを床に叩きつけて、「すげーわ、シンエヴァ、旧劇ばかりでなく、新劇で新たに好きになったものまで、ぜんぶ、ぜえんぶブチ壊していくわ!」と夜中に絶叫せざるを得ませんでした(部屋に駆け込んでくる家人)。あのさあ監督、序の所信表明で自分が宣言したこと、覚えてます? 「中高生」の「ファン」に向けた「エンターテイメント映像」を「サービス」するって言ってましたよねえ! すいません、少しだけ、ほんの少しだけ想像してみてほしいんですけど、貴方がウルトラマンに向ける深い敬意と同じように、エヴァンゲリオンに深い敬意を捧げてきたファンがたくさんいるんですよ。再撮影による延期が取りざたされているシン・ウルトラマンに、スーツアクターが怪獣の着ぐるみの上半身だけを脱いで、煙草を吸いながら他の役者と世間話をしているシーンを入れますか。入れないでしょう。その「入れない」判断をするとき、貴方の心に生じた感情と同じものを、ファンたちもエヴァンゲリオンに向けていたんですよ。まったく、貴方のエヴァファンへの仕打ちは、まるで愛人にカネをせびるジゴロみたいですね。いつ帰ってきてもいいように、温かい風呂と食事を用意して待っているのに、カネが必要なときだけ戻ってきたと思ったら、感謝の言葉もあらばこそ、カネの入った封筒だけを奪い取って、寛一お宮ばりの蹴手繰りをかまして出ていってしまう。オメコのひとつ(勝利のメイク・ラブだ!)ぐらいあっても、バチは当たらないんじゃないですか! 旧劇のときは、私たちファンとの関係には、例えば哭きの竜とヤクザの元愛人みたいな、ヒリヒリするような緊張感がありました。でも、シンエヴァときたら、はるか昔の唯一のヒット曲を勝手に編曲したあげくーーしかも、作詞家と作曲家の意向を無視して!ーー調子っぱずれにがなる腹の出たドサ回りの演歌歌手みたいで、私たちファンとの間にはもう惰性の関係しか残っていません。ある批評家が視聴中に「他のだれが何と言おうと、絶対に俺はこれを擁護すると決めた」なんて思考を許されてしまうぐらい弛緩して弱りきった、観客を殺すどころか皮ひとつ傷つけられない貴方の姿なんて、見たくはなかった。何度でも言いますけど、エヴァQの路線変更で貴方の元を離れた人たちのところへ直接に出向いて、平に頭を下げてスタジオに戻ってもらって、エヴァ破の続きをプロダクトして作ることが、本当の「落とし前」だったんですよ。シンエヴァは「過ちを認めること」と「頭を下げること」をどうしてもしたくないあまり、心の深い部分にあったかもしれない後悔まで己を洗脳するように塗り潰した上で、「特撮が大好きな自分」と「結婚して変化した自分」を語るだけの、新興宗教のしょうもない自費出版にエヴァを「堕とした」んですよ。アタシ、貴方のこと、もう待てない!(ちゃぶ台に湯気のたつ味噌汁を残したまま、エプロン姿の裸足で四畳半から外へ駆け出していく)

 そっかー、シン・仮面ライダーかー。エヴァなんていうファンがめんどくさい自社IPを維持するより、他社IPに乗っかって、正常位で一回ファックしては去っていく方が監督も気が楽だもんねー。シン・ナウシカ、シン・ヤマトときて、禿頭の御大が旅立たれるのを待ってからシン・ガンダムを作って、宣言どおり70歳で引退したら、昭和オタクの人生としては文字通り完璧なアガリだなー。エヴァ、本当に心の底からいらなくなったから、適当に終わらせられちゃったんだなー。悲しいなー。

2021年4月4日

 フォッ、フォッ、フォッ、はぁ(ため息)。ひと晩たっても、まだ悲しい。親に捨てられただけでなく、世界から存在を消されたあの少年のことばかり考えてる。決めた、もうグレンラガンの螺巌篇がシン・エヴァンゲリオンだったことにしよう。

2021年4月9日

 海外から「:呪」に感想が来たところの(関係代名詞)グローバル猊下であるッ! しかもエゲツないレイ派からだ! いよいよnWoも初バズと炎上を経て、海外展開をも視野に入れねばならぬようだな! よし、真希波マリばりの流暢な英語(アスカのドイツ語よりはマシの意)で、ケトゥ族からのご質問にお答えしようではないか!

Question: Hi, I read your blog with great interest. Specifically, I agree that Shin Eva is an overtly self-indulgent work. But isn't one important thing left out? Of course, Shin Eva is a failure as a Science Fiction work. It has no realism, so what drives the "story" forward? I would like you to consider what changed from 1995 TV and 1997 End of Evangelion. Also that Tsurumaki Kazuya, and Hideaki Anno, are Asuka fans. Big Asuka fans!  They also don't like Rei. So Asuka gets a more powerful body, and Rei gets a weaker one. Doesn't this adequately explain the drive behind the movie?

Answer: Thank you for reading such a long article. Did you see Shin-Eva in the theater? I am basically not interested in the question of "who is the true heroine of Evangelion?". In Japan, the terms "LAS" and "LRS" have long been used to refer to the Asuka faction and the Rei faction respectively, but in my opinion, this is not the essential issue of Evangelion. If Anno and Tsurumaki seem to be favoring Asuka, it is because she is an "easy-to-make-act” character for the directors. Rei, who has no emotions, loses her meaning as a character when she acquires emotions, and there is nothing more to say about her. Even in Shin-Eva, the moment she acquired emotions was when she had to leave the story. Asuka's underlying character is Nadia, from “Nadia, The Secret of Blue Water” in 1990.(The battle in Paris at the beginning of the movie and the relationship between Asuka and Kensuke, which seems so sudden, is also a rehash of Nadia. The final battle of the Nautilus took place over Paris, and Nadia married Jean, who has a similar face to Kensuke.) And EOE shows that the director's love affair for Asuka’s voice actor deepened(berserk!) when he reprised a character that was familiar to him. You asked about the difference between the TV version and EOE, but to be more precise, it is the difference between the TV version up to episode 19 and the TV version after episode 20. Up until episode 19, it was a radical science fiction work, but after episode 20, it gradually turned into Anno's personal novel. The structure of EOE was divided into the first half as a science fiction and the second half as a personal novel. I had expected that Shin-Eva would replace that order. In other words, in the first half of the film, Anno will finish his personal novel, and in the second half, the young talents of Xapa will vividly revive the Eva that died in Q as a radical science fiction work again. It's quite a shame that if this had been done, it would have impressed the audience with the generational change and at the same time increased the value of Anno's company. In the end, it became clear that Xapa was the empty palace just for a dictator and his cronies who were scared of his moods, and not the “Mount Liang” of the animation studios like Gainax. If I were an investor, I wouldn't want to buy Xapa’s stock after watching Shin-Eva. It's clear that they have absolutely no future!

 別言語で呪いを外して考えたらわかったけど、シンエヴァってまんまナディアでしたね。ケンスケはジャンだし、「アスカはアスカだよ」は「ナディアはナディアだよ」をそのまま引き写しただけ。まあ、それに気づいたところで、シンエヴァが自己模倣のカタマリであることの再確認にしかなりませんけど。

 あと、「初めてのルーブルは、なんてことはなかったわ」ってあれ、ゲンドウの台詞ですね。人類の至宝たちを前にこの感想だから、平気で何億人も殺して文明を崩壊させることができたんですよ。サイファイ史上もっともチープな人類を滅ぼす理由と、「小人閑居して不善(massacre)を為す」の典型例にめまいがします。この貧困なる精神の土壌となった京都大学は、ただちに廃校にすべきでは?(山岡士郎が「悪い官僚ばかり輩出するから東京大学を潰すべき」と主張するときの顔で)

 え、ゲド戦記やってんの? あれはシンエヴァを擁護したくなるレベルの粗大ゴミで、「世襲のクリエイター」というアタオカ命題を全世界へ向けて提起してしまった、政府レベルでの対応が求められる本邦最大の恥さらし。よく生きてられるなあと、その図太さには感心しきり。

2021年4月11日

 最近はみなさん、冬月について語るのがホットみたいなので、乗っかっておきますね。Q以降の新劇における冬月ですけど、ゲンドウの計画へ加担する動機がまったく存在せず、意味不明のキャラになってしまいました。旧劇ではユイの胸元をチラ見するようなカットがあって、補完時の描写でもユイが迎えに来ており、教え子への横恋慕とゲンドウへの申し訳なさーーたぶん、結婚後に1回寝てるーーが動機と考えられますが、Q以降はゲンドウについていく理由がどこをひっくりかえしても、本当に何ひとつ見当たりません。勝手に行間を読んでホモセクシャルな関係を見出す剛(腐)の者もいるようですが、作品内に描写が無いので妄想の範囲にとどまる話でしょう。まあ、最大限に好意的に譲歩すれば、監督の頭の中では冬月、ユイ、マリはゴルゴダ・オブジェクトからやって来た第一始祖民族(吉田寮に潜伏してたのかも。やっぱり、京都大学は廃校にすべきでは?)で、2001年宇宙の旅でいうところの「月のモノリス」とか、スタートレックでいうところの「史上初のワープ航法」とか、人類のブレイクスルーを見守る不死のオーバーロードとして描きたかったんでしょう。もっとも、第三村パートに時間を取られすぎてまったく描けてないんですが、「イスカリオテの~」とか「人類の科学技術はここまで~」とかにそのむなしい試みの残骸を見ることができます。以前、テレビ放映のときにも指摘しましたけど、破の段階では明らかに冬月をゲンドウの上位者として描こうとしていて、Qが次回予告の通りに展開していたのなら、シンジの目の前で冬月がゲンドウを射殺するなどし、それが物語を新たな局面へと駆動する要素になっていったことでしょう。旧劇は普遍的な孤独の話だったのに、シンエヴァは個人的な失敗の話に過ぎず、このクラクラするような落差、物語のスケールダウンでもっとも割を食ったキャラクターが、冬月コウゾウという男なのです(和傘の裏から糸目で振り返りながら)。

 いつまで終わったものの話をしてんだって感じですが、「暴走」の概念が陳腐化したのも新劇のダメなところだと思うんです。エヴァの中に取り込まれた「母なるもの」の制御できない獣性がテレビシリーズのそれで、実戦においては初号機だけが持つスペシャルであり、初号機が他のエヴァとは違うことを強烈に裏書きしていました。そして旧劇場版での「暴走」は、母親と和解して電源を失った弐号機において、本来は起こるはずのない事象であり、高いプライドの持ち主が悲惨な凌辱を受けたことによる負の感情の発露、いわば人の「呪い」によって顕現したそれは、観客を圧倒する強いドラマツルギーを生み出していました。それが新劇ではパイロットの意志でスイッチを入れることができ、機体のリミッターを外すだけの「機能」へと矮小化されてしまいました。まあ、「暴走」については破の段階から扱いに疑問を感じていましたので、予告通りにQ以降が作られていたとしても、文句を言っていたかもしれません。

 あと数理系のバリキャリと思われる女性が、商学部の学生をおもしろおかしくからかったり、「文学部シン・エヴァンゲリオン学科」とかツイートしてるのを見て、ド文系の自分は大学から離れて久しいのに、ひどく肩身の狭い、つらい気持ちになりました。じっさい文学部での学びと成果なんて、シンエヴァ語りと似たようなもんですからね(暴言)!

 そうか、ここから来たのか……

 個人的な印象ですけど、海外のエヴァファンってキャラ萌えかアート的な関心ばっかで、SF作品として享受してる層ってほとんどいないように思います。文芸批評や大学教授の語りの対象になったりとかは、間違ってもありえない感じ。

2021年4月13日

 新劇の新しい設定として、使徒を倒したことを「沈黙」ではなく「形象崩壊」と言い換えたことと、「虹」が挙げられます。前者は「目標は完全に沈黙」が他作品でも使われまくって陳腐化してるのを感じて、新たに摩耗していないカッコいい表現(流行らなかった)をでっちあげただけでしょうけど、後者はとても重要な設定でした。にもかかわらず、Q以降は意味づけを放棄されたビジュアルのみになってしまいました。「虹」は旧約聖書において神との契約が果たされたことを示すもので、序破の段階では使徒を倒したときとか、シンジが綾波のおっぱいを揉んだときとか、初号機がアスカを噛み潰したときとか、人類補完計画の条件がクリアされるたびに「虹」が現れていました。いまとなっては虚しい妄言ですが、テレビ版と旧劇を新約聖書(ひとりの救世主の話)に見立て、新劇は旧約聖書(神にまつわる群像劇)として描くことで、よりプリミティブな神への接近をしていくのだろうと考えていました。まあ、結果は「神イコール監督」だったわけで、ノアの方舟っぽい設定も出てきてましたけど、神学どころか監督のツーケのナーア(失礼)で新も旧もごちゃまぜになって、もはや「くそみそテクニック」って感じです。

 ATフィールドの扱いが変わったのも新劇の特徴で、破の後半において旧エヴァでは平面の表現に過ぎなかったそれを立体的にしたり伸び縮みさせたり、別の描写へと変えてきました。ATがAbsolute Terrorの略だとわかったときの興奮や、第弐話で初号機がATフィールドを破るときの効果音には、「強姦を想起させるため、絹を裂く音を当てている」といった演出の意図を聞いたときの感動をいまでも思い出します。少し話がそれましたが、新劇での変化を決定的にしたのは、Qの冒頭で「アンチATフィールド」なる呼称の、バリアとしてのフィールドを突破する機械の登場です。それは、旧劇で冬月が口にした人類補完計画の根幹である単語がエヴァもどきの名詞に堕とされ、ATフィールドが神秘性を失って、伸縮自在・質量可変の攻守に使用可能なエネルギー兵器と化した瞬間でした。そして、このQの路線を堅守するのかと思いきや、シンエヴァでは補完時のゲンドウに旧作と同じATフィールドの使わせ方(心の壁)をしていて、もうブレブレの大迷走としか感じられないわけです。Q の路線変更のまま新劇というくくりの中でチープで陳腐なメロドラマとして終わらせておけばまだよかったものを、Q の尻ぬぐいのためだけにテレビ版と旧劇を持ち出してきたのは最悪の判断で、もはやキチガイ沙汰としか思えません。永井豪がデビルマンを何度も何度も再話するようなオリジナルへの執着と言いましょうか、「偶然に自分を依り代として超越的な何かに語らされた傑作」への敬意が、まったく感じられませんもの!

 シンエヴァの語り口って、カウンセラーのそれではなく、新興宗教の勧誘の手口と同じなんですよ。これまでの人生(序破)を丁寧に話させて、生き辛さ(Q)を取り除いて、再び同じ人生のレール(急)を自分で走れるよう手助けするのではなく、これまでの人生のできごと(序破)を教団の教義(Q)に合うような解釈(シン)で聞かせ、充分に愚かな者たちを入信(宇部新川)させる手口そのものです。なので肯定派との対話は、新興宗教の教義に深く洗脳された者への説得と同じ性質を持ちます。否定派を自認するおのおのがた、辛抱強く粘り強くまいりましょう。

 あと、あんまり指摘されてるのを見たことないけど、斜めに降っていく巨大エレベーターとか、内側から肉が膨満して破裂する描写とか、エヴァって「AKIRA」からのビジュアル的影響が大きいですよね。

Question: There are of course, many such interviews which confirm the same, but this tweet from Khara Animator:
https://twitter.com/HideMatsubara/status/1381478454785318921

Also proves the Asuka favoritism in Shin Eva.

Answer: I don’t care which creator likes which character, but the problem is that the love for a certain character makes it impossible to kill it or distorts the whole story for it to be alive. In "Demon Slayer (a.k.a. Kimetsu no Yaiba),” which has been a huge hit in Japan, the characters that needed to be killed were killed exactly when they needed to be killed, regardless of whether they were the author's favorites or popular among the fans. This is worthy of praise.

Question: I think this is just as true for Japan, especially with the new generation of Eva fans.
If you look at the last 20 years of Eva, characters, couplings and art is the only thing left.

Answer: As you say, the actual situation for the average fans in Japan is probably not much different from the West. However, you won't find any researchers writing papers on Evangelion seriously, any intellectuals taking up as the subject in literary criticism, or any celebrities giving their thoughts on Evangelion on TV shows in the West. Evangelion is not only accepted by geeks, but by society as a whole in Japan.

2021年4月15日

Question: EVA is accessible to all of Japan.
But only otaku will make the effort to find anime. Even if it recently became available on Netflix, it's still a niche.
Western Eva fans = Japanese Otaku fans. That's why Asuka and Kaworu is preferred overseasm but Rei is #1 in Japan.

Answer: I'm not sure if I have read your comments correctly, but living in Japan, Evangelion appears quite naturally in our daily life, such as in convenience stores, bookstores, posters in trains, etc. You don't even have to look for it. I understand that this is a feeling you can get only if you live in Japan. Also, Evangelion's entry into the Pachinko(kind of slot machine) market has played a big role in expanding the generations of Eva fans. However, I can't really catch your logic behind "Rei is No.1." in Japan.

Qestion: Authors are entitled to favorites, but some times it goes to far.
Demon Slayer deserves praise for avoiding bias. However, Shin Eva does not.
Characters die, live or change simply because Tsurumaki or Anno has personal investment.
What do you think? I think it's the #1 problem.

Answer: I completely agree with your opinion. In Shin-Eva, they did "exit" characters from the story, but they didn't "kill" any of them. This definitely takes the tension out of the whole movie and is the biggest difference from EOE, where they killed off all the characters except Shinji and Asuka.

質問:呪詛とても共感持てます。いいぞもっとやっていこう。よろしくお願いします。

回答:いやいや、応援はありがたいねんけど呪詛な、閲覧数34,000のスキ377で止まってもうとるがな。シンエヴァの興収やないけど、大失速ゆうやつや。おクチだけやのうて、もっとこう、ビロッとひろげてもらわんとこまんねん。ランス10で、よごれたタマシイを輪廻にもどして、ちょっとずつ創造主を弱らせる、みたいなキャラがおんねんけど、この呪いも同じことやで。おどれら、もっとワアワアやったらんかい! 大人アスカの破れたラテックス・スーツの隙間から手ェ突っ込んで、おへそナデナデしたろかい、ワレェ!

2021年4月16日

 「絶望のリセットより希望のコンティニュー」ってそれ、シンエヴァはファンにとって「絶望のコンティニュー」だったわけですが……小鳥猊下であるッ!

Q: Now that Khara's EVA has embraced the "loop" setting, all deaths are meaningless, and the story is reduced to character pandering. Loops are a lack of creativity.
About EoE though, everyone can come back. Even Rei is still alive, in her new form. 
Alive as in, "not gone".

A: Please read my article again carefully. As you said, the loop setting was introduced to Eva, but it means that the worlds of the new films up to Shin-Eva had been a loop. In the ending of Shin-Eva, the director's birthplace was shot in aerial live-action, and all the characters were absorbed into the ego of Hideaki Anno and disappeared into this reality we live in. After Shin-Eva, there is complete nothingness in Tokyo-III and Village-III, and fans of Rei, fans of Asuka, and fans of the Eva world have all been eternally isolated to this reality, and no one can return to Evangelion(including EOE) anymore..

Q: In the 90's, 2000's and so on, Rei ranked #1 on all the popularity polls. With Rebuild being anti-Rei, that changed, and now Kaworu/Asuka is on top.

However, this is too a question of demographics. If you ask the newer otaku generation (2chan, 5ch), they will not pick Rei.

A: I guess you are a little too attached to each character, especially Rei. The reason I'm sharing this open letter with my followers is that I want you to become an ambassador to spread my curse abroad. This is not a counseling session with the person who deeply loves Rei. However, I am glad that I was able to verbalize what is too obvious for Japanese Eva fans to need to talk about.

 この海外オタク、しつこいな! すべての話題をレイにねじまげていくのも怖い。エヴァのキャラ萌えについては正直よくわからんから、だれか代わりに相手したげて。お願い。

2021年4月18日

 以前、「シンエヴァに碇シンジは一秒も登場していない」という指摘を紹介しましたが、いま思えば地続きに思えるテレビ版と旧劇でさえ、ずっと演じてきた声優自身が「映画版はシンジのキャラがまったく違う。悩みの内容が思春期の少年のものではなくなってしまった」と漏らすぐらいの違いがありました。まあ、ご存知のように監督がキャラに憑依して、映画冒頭で堂々と、シンジの一人称を変えてまで「エヴァはオレのオナニー」宣言をしたせいなんですけどね! いろいろシンエヴァの感想を読んでて、いちばん笑ったのは「第三村での全裸アスカから浜辺でのピチピチプラグスーツのアスカまで、あらゆるオナニーチャンスを与えられながら、シンジは一度もアスカでオナニーしなかった。えらいぞ、シンジ君、大人になったな」というものでした。それで気づいたんですけど、序破とQシン(救心みたいだな)の違いは「男と女への拘泥」だと指摘しましたが、Qシンと旧劇の違いは「性的メタファーの有無」だと言えるでしょうね。生命の樹に変化した初号機をペニスに見立て、巨大アヤナミの額に出現したヴァギナ(クリトリスまで描いてある)へ突き立てた後、膣内で回遊する精子を思わせる綾波の群れが出現するとか、補完の過程が性を想起させる場面まみれなのに、シンは旧劇を模倣しながら不思議なほどその要素が抜け落ちている。もっと言えば、シンエヴァの補完計画は全体的に性欲が無いというか、インポテンツっぽい感じが漂っています。あ、別に実在の人物と紐づけてしゃべってませんよ。そんな感じがするという極めて個人的な印象を述べているだけです。やっぱり、見るべき第一はスクリーンにあると思うので……(上目遣い)。加齢で性交できなくなってから、互いに背中の肌を手でさすりあう中国の老夫婦の話を思い出しましたけど、一般論として還暦を越えると健康とEDの問題は直結するのかなー、一般論として。旧劇での量産機の自殺を模倣した「すべてのエヴァを終わらせる」槍ブッ刺しも、甲高い効果音も相まって妙にペカペカと薄ら明るい感じーー「え、Qのおまえ、エヴァだったの?」と笑わせる演出が冴えてるーーで、あれだけ旧劇であからさまだった「ハリカタを使った女性の自慰(絶頂イコール死)」を連想させる淫靡さは微塵もありません。あと、槍ブッ刺しのときに全裸の妻の左脇へヒョッコリ顔をのぞかせる気まずげなーーそりゃ、「親戚の集まりが苦手」ぐらいの理由で人類を滅ぼそうとしたんだから、気まずいに決まってるーーゲンドウの表情を見て、これどこかで見たことあるなー、どこだったかなーと考えてたら、ビデオフォーマット版の第弐拾弐話で加持さんの後ろからヒョッコリ姿を現して、アスカに「なんでアンタがそこにいるのよ!」と絶叫されるシンジだった。オタクって強い自己愛(自分のこと、可愛いと思ってるでしょ?)の裏返しから、現実におけるヘイトは決して時間では揮発しない事実に鈍感で、何をやっても心から謝ったら許してもらえると小学生みたく無邪気に思ってるフシがありますよね。シンエヴァのゲンドウって、その極北にいる気がします。いやだなあ、深読みはやめてくださいよ。ゲンドウの話ですよ、もちろん。

2021年4月22日

 公開からはや一ヶ月半、臥薪嘗胆の思いを新たにするため、さんざん悩んで購入したシンエヴァのサントラを流しながら、愛車の軽トラで奈良の峠を攻める。劇中の順で曲が流れるたび、愛するSF作品が生きながら眼前に解体されてゆく惨劇の地獄絵図がまざまざと再生され、あいまいに薄れかけていた憎悪と呪いを新鮮なものへと上書きしていく。やがてCDも2枚目に入り、ゲンドウが己の精神史を独白する場面で流れていた曲へと差しかかった。ふと、カーオーディオのディスプレイに目をやると、そこへ表示されていた曲名は「born evil」。思わず強めにアクセルを踏み込んでしまい、あやうく崖下へコースアウトして死ぬところだった(シンエヴァなんかに殺されてたまるもんですか)。長めの英語や仏語や音楽用語の曲名は作曲家がつけてると思うけど、「born evil」、この曲名には監督の自意識から漂うドブの臭いがプンプンするぜえ! 「生まれながらのワル」ってアンタねえ、親戚の集まりが苦手な陰キャが、理系の女子率が極端に低い大学へ入学し、オタサーの姫にコロッとひっかかった(オレはオレのことが好きな女子が好き)だけのことじゃないですか! 発達に特殊性があることを言ってるならそれは悪ではなく性質だし、人類をウッカリ半壊させたことを言っているならそれは悪ではなく心神喪失の疑いがない責任能力を有した大人による自覚的な犯罪行為に過ぎませんよ! どうしてそこまで自己陶酔的に自分を見れるのかなあ! 自分のこと、可愛いと思ってんでしょ! でもね、どこかの芸人みたいに「オレって、イービルだろぉ?」とポージングする監督を生温かい笑顔で「ハイハイ」とあしらいながら、不倫漫画の原稿に向きあっている奥さんのことを想像するとき、もはや不穏な空気をしか感じません。ピンチに陥ったウルトラマンが自らマスクを剥ぎ取ると監督の素顔が、カントクマンにゼットンがマスクを剥ぎ取られると奥さんの素顔がそれぞれ現れ、そのまま2人で血みどろの殴りあいと痴話喧嘩を始める次回作「ツソ・ウノレトラマソ」、こらワンチャンあるで! そして改めてここに、監督が他社IPを私小説でブチ壊せたとき初めて、私はシンエヴァのことを認めると宣言しておきます。

 あと、ファンガスとかホノオモユルとか、クリエイター職でありながらシンエヴァへの感想をいっさい述べていない人たちは、全員が内容に納得していない否定派であることも指摘しておきましょう。シン・ゴジラであれだけ行われた応援上映とか、影も形も無いでしょ? 実施したら劇場が血の海になることがみんな薄々わかっているからで、ネットの表面に見えている以上に我々の仲間は多いんですよ。まあ、シンエヴァを初週に見た人の90%は意識の片隅どころか、もはや何を見たかさえ忘れているでしょうがね!

2021年4月25日

 シンエヴァ公開から3日間の、エアストリップ・ワンに迷い込んでしまったかのような感覚を忘れることができない。泣いたの感動したの、肯定的な意見ばかりがネットにあふれかえっていた。これまで恐れてきた通り、ついに自分が正気を失ったのではないかと半ば疑いながら、「アジア最後の人間(The Last Man in Asia)」が残す地下室の手記として「:呪」を書いたことを思い出す。そして今、公開から二ヶ月近くが経過し、いよいよ中庸派とニワカどもがエヴァの存在を忘却して退場(シャッターが閉まるビジュアル)し、肯定派と否定派の一握りだけが事象の地平面へと残された。肯定派が立つのは陽光に照らされた常夏の青い砂浜、否定派が立つのは白夜の闇に覆われた真冬の赤い砂浜。

 オイ、何をフヌケた顔して突っ立っとんねん! こっから善と悪の最終決戦、アルマゲドンが始まるんやぞ! わずかの絶賛派は80億にも届かへん興収とネット世論を塗りつぶせへんかった気まずさで、我がの発言をはよう忘れてくれんかとダンマリを決めこんどる! ヌルい肯定派のダボどもの息の根をキッチリ止めて、ワイら否定派の言葉を永久にインターネットへ刻む最後のチャンスやねんど!

 おどれら、もっとワアワアやったらんかい! 大人アスカの破れたラテックス・スーツの隙間から手ェ突っ込んで、鼠径部さすさすしながら「はてブ」のコメント173件に全レスつけたろかい、ワレェ!

 これまでの全てのカース(Curse)に、ケリを付けます。35.3%
 生きる事は、憎む事と呪う事(Curse)の繰り返し。35.3%
 小鳥猊下の呪詛(Curse)は恩人で、仇なんです!29.4%

 わかりにくいので補足しておくと、上から順に「肯定」「否定」「白紙」です。

 あと、「はてブ」はこれ。

2021年4月27日

 うーん、賛成と反対が同数かー。いま緞帳の裏で全裸なんだけど、舞台に飛び出しにくくなっちゃったなー。(ケンスケの憂い顔で)みんなシンエヴァどころじゃないんだな、もはや。

2021年4月28日・29日

アナザー呪詛「『シンエヴァ:呪』はてブ!コメント全レス祭り」

2021年5月1日

 「はてブ」ユーザーへの呪レス命中確率、シックスナインです! あのさー、キミ、女性声優に「シックスナイン」って言わせたいだけでこのセリフ書いたでしょ? あと、オペレーション画面で「確率」を「確立」って誤字ってんの、どこのユーチューバーなの? 小鳥猊下であるッ!

 20年前、侍魂(not テキストサイト)みたいな物理法則を無視した幕末剣術アクション漫画で有名な先生(PDF)が、エヴァ旧劇の感想に「こんなにもキャラクターに愛がない作品は、私にはとうてい受け入れられない」みたいなコメントを残しているのを見たことがあった。当時、旧劇の熱烈な信者だった私は「なに言ってんだコイツ。不殺って、どれだけひどいケガしても主役級は死なないって意味だろ。自キャラも殺せないフヌケ野郎は、ノースリーブ少女の露になった肩でもナデナデしてろよ」と憤っていましたが、20年が経過した今、彼が正しかったことがわかりました。ここに実作者ゆえの慧眼を認め、平に謝罪させていただきます。本当に、申し訳ございませんでした(露な頭頂部の皮膚とカメラフラッシュ)。あと、ビデオ(PDF)貸してください。

2021年5月6日

 去年のGWは何をやってたのかnote記事をさかのぼってみたら、FF11をライトなりのヘビーさでプレイしていたようです。順に追いかけて(自分が)読みやすいよう、関連記事をリンクでつなげてみました。

 そろそろ呪詛から趣向を変えてFF11の話、聞きたい?
 黄金の鉄の言葉で出来ているノオト 9.1%
 どちらかというと大反対 9.1%
 エヴァだけ考えとったらええんです 81.8%

2021年5月8日

 そっかー、「:呪」で増えたフォロワーが多いから、こういうアンケート結果になっちゃうかー。最近の若い子はブロント語なんて知らないんだろうなー。

 俺は別に旧エヴァへの愛をアッピルなどしてはいない。俺の呪詛を面白いと感じてしまっているやつは本能的に長寿タイプ。

カウンセリング「シンエヴァ・ファイナル呪詛」(2021.5.11~)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?