漫画「チェンソーマン16巻」感想

 「最近、ツイッターのトレンドでとんと見かけなくなったなー」なんて考えながらチェンソーマンの16巻を読みはじめて、ひっくり返りました。「合理的配慮の義務化」に先がけて、視力に生得的な問題を抱えていたり、特性で文字を読むのに集中できなかったりする人々に向けて編集された、ユニバーサル・デザイン版を買ってしまったのかと真剣に考え、表紙と裏表紙をなんども調べましたが、残念なことにこれが通常版のようです。バカみたいにデカいコマの半分が吹きだしで埋まっていて、その中にはアホみたいに大きいフォントでセリフがならんでいる。残りの空白には、サインペン1本で引いたような強弱にとぼしい線によるキャラのアップが、ほとんど背景なしに描かれている。こいつがまた本当に読みづらくて、何回も行きつ戻りつしながら内容を理解しようとしたのですが、ついには巻の途中で読むのをやめてしまいました(こんなことは、生まれて初めてです)。いまは、「視覚に問題を抱えた方々や特性から読みとりに難のある方々が、人口の9割を占める社会にまぎれこんでしまった健常者」みたいな気分を味わっています。この一種異様な変容の理由がなにかを考えたとき、うるさ方のファンたちにアニメ2期を中絶させられて自暴自棄になったタツキが、画面サイズが小さく解像度の低い貧乏人のスマホを想定した集英ムラ独自のネット連載ルール(怪獣8号!)を露悪的に援用して自分の大切な作品を壊すという、言わば自傷行為の公開におよんでいるような気がしてなりません。チェンソーマン第2部はただちにネット連載を中断させ、一定の休養期間を彼に与えたあと、月刊でかまわないので作品を雑誌連載へもどすべきだと強く進言します。ひとりの才能あふれる作家が、無言の衆人環視のうちに自壊していくのを、現在進行形で見せられているような気がしてならないからです。

 タツキ、その言葉なきハンストにも似た抵抗運動は、現代の社会においてまったく有効じゃないんだ。チェンソーマンの現状に対して、ファン全体の1パーセントが「劣化」や「ゴミ」などの強い言葉を表明し、残りの99パーセントはただ黙って読むのをやめて、やがてキミという作家がいたことさえ忘れてしまうだろう。ルックバックで成層圏へと突き抜けて、編集者たちは作品の内容に口をはさめなくなり、ウェブ連載の独自ルールだけを伝えられ続けた結果、どこかの段階でキミは静かに発狂してしまったんじゃないか。集英ムラの連中は、ワンピースやぢじゅちゅ回銭(原文ママ)があるから、たとえキミが筆を折って失踪したところで、「逸話を持つレジェンド作家が、またひとり増えたか。これで残された作品の価値が上がるわい」ぐらいにしか思わないだろう。私にはネットの片隅でただ息をつめて、両腕をもみしぼりながら見まもることしかできない。だが、チェンソーマン17巻がページの4分の3を吹きだしに占拠されるようになったとしても、キミの才能を買いささえることだけはここに誓う。タツキ、キミは紙媒体でこそ輝く作家だと確信している。これ以上の自傷行為はやめて、集英ムラを離れてでも、ネット以外の媒体へともどる道を探すべきだ。

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