ゲーム「ドラゴンエイジ・オリジンズ」感想

 ぼくは、例えばファイナルファンタジーが、ぼくとともに成長してくれなかったことをどこかで恨みに思ってきた。本邦のおたく産業は、いずれ誰もがそこから離れることを前提とした若さと未熟さを輪廻する文化であり、大人になったぼくはいつまでも離れられないことを恥じてうつむきながら、それを再確認し続けてきた。じっさい、おたくだったぼくはずっと、たぶんつい最近まで、三十歳から先は無いもののように感じていた。なぜって、ぼくのいる場所では、どこにもそれは描かれていなかったから。けれど、世界との処し方において、人の成長はどこまでも続いていくことをやがて知る。

 確かに、荒い作りのゲームだ。システムの根幹に気がついてしまえば、いずれ変わらぬ一本道RPGには違いない。キャラ造形にしたって、いずれ同じトラウマ劇じゃないかと言われれば、全くその通りだ。でも、どのキャラも人くさく歪んでるのに、そのくせ、その歪みを誰かのせいにしないほど成熟している。そう、すべての成熟が、ついにぼくをうつむかせなかった。争いや信仰や愛憎や生殺は終わることがなく、世界の破滅という大きな題目を前にしてさえ、誰もがじぶんの小さな安寧を捨てられるわけじゃない。

 「グレイ・ウォーデンはその無私により、あらゆる種族から人間の存亡をかけた信頼を付託される」。

 無私の奉仕だけが救済を可能にするという揺るぎない事実。己の生命よりも長く続く何かに寄与できることの尊さ。失われたと思っていたあの系譜が、こうあって欲しいと願ったあの物語が、異国の地で接木され、生き延びているのをぼくは見た。この若い文化さえ成熟できるということ、そして、誰かの成長に寄り添う物語を生んだということに、ぼくは深い感謝を捧げたい。

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