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一年。

ダンナ君が旅立ってから一年が過ぎた。

Twitterで配偶者を亡くした色んな方の呟きを見ていると、自分は比較的元気な方だなと思う。

それでもまだ生々しくぶり返す事もやっぱりたまにはある。

夢の狭間で隣にダンナ君が眠っている時の安心感がよみがえり、目が覚めて現実に戻った時に孤独感に潰されそうになったり。

遠い親戚の訃報に、旅立ちの数日前から急激に弱っていくダンナ君の姿やその表情を思い出して、胸が苦しく、苦しくなったり。

そしてその都度、このとてつもない悲しみやら苦しみやらを乗り越えてきたのか、と自分を褒めてやりたいような気持ちになったりもする。


私は同じ年齢の人たちが当たり前のように(?)手にしているものを持ってないし、先への不安もある。

それでも今は「幸せ」を噛み締めている。強がりではなくて。


まとわりついてくる小さくてあたたかくてフワフワしたインコ達、不安感のフィルターなしにめいっぱい吸い込める秋の朝の空気、絨毯に寝そべって見上げる窓越しの空、、ゆったりした自分だけの贅沢な時間。

心の芯の方で「幸せだな」と感じる。


そして、悪い時期であっても良い時期であっても、ずっとは続かないものだ。

この時間もいつかは変容する時が来るし、生きてる限りもっと辛い時期も来るだろう。

でもその時、「あの時はあんなにも幸せだったからまあヨシとししよう!」と潔く思いたい。

…もう少し直接的に言うと、自分の人生を思い返した時に、良い人生だった、と思いたい。


闘病中にも書いていたけど、ないものを数えるよりも、あるものを大事に。

もしかしたらこれが自分の人生のテーマなのかもしれないな。











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