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記憶と約束

久々に、ダンナ君の最期や闘病を書き留めたnoteを見返した。



この時、何を話したんだっけ?
どんな冗談を言ったんだっけ?

明確に書いてなくても以前は芋づる式に詳細に思い出していた記憶がこぼれ落ちている。

なんでもっと細かく書いておかなかったんだ。

後悔しつつも、枝葉末節まで書いていたら記事として破綻してまうから仕方ない。。


最初のてんかんの発作で倒れ、開頭手術を受けた2週間後、抗がん剤再開の直前の週末に外泊許可をもらって家に帰り、長い入院生活をいったんリセットできて「帰れるとやっぱり全然ちゃうな、帰れて良かった」と喜びあった事、

再発後の入院中、紹介状をもらって国立病院のガンマナイフ外来に行くのに外出許可を出してもらい、たしか途中で寄り道をして牛丼を食べた事。


わりとハードな(痛い)温熱療法の帰りに、ショッピングモールでアジア系のランチを食べるのを楽しみにしていた事。
美味しいコーヒー専門店でゆっくり食事をする事もよくあった。



ダンナ君との思い出はもはや増える事がないから、どんな些末な事もこれ以上忘れたくないのに。。

ダンナ君抜きでの新しい記憶がどんどん積み重なって行く。


けど、生きている私と死んでいるダンナ君の間には、まだなお生き続けている(と私は思っている)約束があるのだ。

危篤のダンナ君の付き添いで病院に泊まり込みになり、私だけが外来診察室に呼びだされて「あと1日、2日」と告げられた後だったと思う。

病室に戻り、涙を流しながら泣き笑いのように色んな話をする中で、ダンナ君と交わした約束。

「苦しむのイヤだから、私が逝く時はゆうさんすぐ迎えにきてね」

「わかった」


子供のように澄んだ目で私の目を見返して大きく口を開けてはっきりとそう言った、その時のダンナ君の表情はいまだにしっかり覚えている。

余談だがダンナ君には、光が見えてきたらそっちの方に行くんやで、絶対お父さんが迎えに来てくれるから!と言い聞かせていた。

ダンナ君はもともと死後は「無」になると思うタイプで、今から死のうというのに流石にその考えはちょっと怖すぎるもの。。

うーん、父さん多分道に迷うんちゃうかな、というような半分以上は本気の冗談も何度か口にしていたと思う。



…さて、2人の間の生きている約束。


それがいつか一人で死に対峙する事になるだろう私の、一筋の光になるんだろうな、と思っている。

頼んだぞー!

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