秋の空
四年の闘病生活を経て33才でダンナ君が旅立った。
癌という病気が生活の中に鎮座していれば、誰しも死は常に意識の中にあるだろう。
闘病中、病状の悪い時は特に、ダンナ君が亡くなった後の事を想像してとても辛い気持ちになる事があった。
ところが、実際にダンナ君が旅立った今、闘病中には予想もしなかった不思議な気持ちが私を貫いている。
それはやり切った達成感と清々しさ。
ちょっと物悲しいけどスカッとした秋晴れの空みたいな。
もはや直接は聞けないけど、ダンナ君もきっと同じ気持ちだろうと思っている。
もちろん、病院に書類を出しに行く道すがら、助手席にダンナ君がいない事に涙が出たり、歩けていた頃に体力回復のための運動を兼ねて一緒に歩き回ったショッピングモールで胸が塞がりそうになったりはする。
ダンナ君を探すインコのみーちゃんを見てウッとなるし、、こんな事があってさー、と話したり、ふざけて爆笑したり、みーちゃんの可愛さを共有していたダンナ君の不在は確かに大きい。
けど、この突き抜ける清々しさは全く予想していなかったものだった。
ダンナ君の命は、闘病を通して思い切り輝ききった。
特に延命治療に果敢に挑戦し続けた数ヶ月は、自力で寿命を延ばしていったと思う。
苦しかったのは辛かったが、昏睡状態にならなかったせいで最期の言葉をちゃんと置いていった。
ついでに、容体が急変してから逝くまであまり時間がなかったために、痩せ細る事も浮腫む事もないままだった。
綺麗すぎる最期じゃないか。。
ちゃんとお別れができて、時間が経つにつれてそう思うようになった。
あっぱれ!
その言葉に尽きる。
ダンナ君がしかけて逝った葬儀の記憶も、引き続きnoteに残しておこうと思う。
お読み頂きありがとうございます!