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再び、、
少し前にとても大切な、大切な出会いがあった。
その人と出会う前と後では少し世界が違って見えるような。
その人の事を考えると心がほっこり温かくなり、これからが楽しみになり、心強くもあり、自分も頑張ろうと自然と思えるような出会いだった。
大袈裟でなく運命だ、と感じていた。
でも、亡くなってしまった。
3月末、NPOの鳥の会のイベントで初めてその人(ユイさん・仮名)に出会った。
可愛らしくて、第一印象から「この人好き!」と思った。
私に尻尾が生えていたら千切れんばかりにブンブン振り回したと思う。
同席した他の方が、スタッフの私にNPOに入った経緯を尋ねてくれた流れで、ダンナの闘病と死別について触れた。
死んじゃったんですけどね、と言った時、隣の席のユイさんがハッとしたのが分かった。
その後席を離れると、ユイさんが私の横に立ち、自分も同じく死別経験者だと明かしてくれた。
ユイさんは7年前に7歳年下の旦那さんと、私は3年半前に6歳年下のダンナ君と。
飼っていた小鳥が遺影の肩にとまろうとするのが可哀想で片付けた、という話。
私は毎晩ダンナ君の姿を探しに行く鳥の姿が辛かった、という話。
今は私もユイさんも1人と二羽の生活をしているのも同じだった。
シンクロして共感する事が多く、まさか鳥の会に来てこの話をするとは!!と興奮気味にラインを交換した。
ユイさんは私の10歳年上だったけど、そんなに離れている印象はまるでなく、こんなに可愛い50代ってありなのか!とたまげた。
ただ、ユイさんの小柄で可愛らしい雰囲気に対して旦那さんが相当コワモテなのにはぶっ飛んだ…。
死別をくぐりぬけた同志で、鳥仲間。
小鳥達が待っているからと帰宅を急ぐユイさんを想像して、自分だけじゃないんだとほっこりしたし、LINEのやりとりを何度も見返しては温かい気持ちになった。
本当は、最初の対面は去年の夏のはずだった。
ユイさんがNPOに入ったのは去年のことで、内うちの愛鳥同伴会で会えるはずだったけど、台風で流れたままになっていた。
ユイさんが初めて参加できたのがこの三月のイベントだった。
ユイさんの小鳥達はとっても高齢で、「残された時間は短いかもしれないけど、その子達に思い出作りをしてあげたい」、私の鳥達に会わせて社会勉強させてあげたい、と言ってくれた。
今は大丈夫でも別れは突然来る。
今を逃すと次はもうないかもしれない。
言葉に出さなくても、それは私達がよく知っている事だった。
私はすぐに日程を決めて幹事メンバーにプッシュした。
そして当日、集まった全員が当然愛鳥家で、それが分かるのかユイさんの小鳥達もとてもリラックスして楽しんでいる様子だった。
二羽のこんな姿を見れるなんて!私の鳥達に関心を持ってくれる人達がこんなにいるなんて!と涙ぐんで感激していた。
ユイさんは私の手のひらに愛鳥さんをそっと乗せてくれ、初めて会った時に話した「小さい小鳥を手のひらで包みたい」という子供の頃からの夢を叶えてくれた。(うちの鳥達はちょっとデカい)
ユイさんの小鳥達と同じ鳥種の扱いに手慣れたメンバーに懐くのを見て、「私が死んだら託せる人ができました」と本気半分、冗談半分に言った。
その時、この人は「死」という言葉を、自分と同じ含みをもって発音するな、とピリッとした共感を感じた。
本当に良い時間で、次回もぜひやりましょう!と皆で盛り上がって終わった一日だった。
ユイさんがくも膜下出血で急死したのは、それから5日後の事だったらしい。
詳しくは伝わってきてないけど、二羽の小鳥達のうち、一羽も死んでしまった。
もう一羽はなんとか一命を取り留めたらしい。
ユイさんは旦那さんが迎えに来て、愛鳥さんもお供してくれてきっと寂しくないのだろうと思う。
けど、私はこれからもっともっと色んなお喋りをしたかったし、できると信じてそれを楽しみにしていた。
ユイさんがこの世界にいることが心強く、嬉しかった。
…やりきれない。受け入れられない。
グリーフ真っ逆さまになってしまった。
2回しか会ってないのに、、こんなに悲しい事ってちょっとないよな。
ただ、約束を先延ばしにしなかったのは良かった。
もしもヒトの寿命がおのおので決まっているのだとしたら、、間に合って良かった。
そう思うしかない。
ユイさん、とにかく寂しいです。
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