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最期の四日間②

葬儀という多忙な非日常イベントで記憶が遠くなる前に、記憶が生々しいうちに記録として残したくて自分のために書いておいたものです。
ご自身やご家族が闘病中の方は閲覧注意かもしれません。
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月曜、19日の続き。

ダンナ君は呼吸が随分早くなり、腹痛に悩まされ、足の痛みを訴える回数が増えていた。

夜には酸素マスクを持ち上げてやりながらプリンやゼリーや果物を食べたり、弱々しく歯磨きをするのを手伝ったりした。

私は病室のシャワーを使わせてもらった。

21時になると看護師さんが来て、飲み薬の頓服のオキノームではなく、お腹に針をさしてモルヒネをフラッシュで使う形式になった。

体を拭こうか?と聞くといつものように「あ、じゃあ(お願い)。」と言うので、看護師さんに清拭用のおしぼりをもらい、市販の泡ソープを使って丁寧に拭いた。
前日は自分で頭を持ち上げて私が首の後ろを拭くのに身を任せてくれたが、この時はその力がなかった。
ちなみに前々日までは、腕でベッド柵をつかんで上半身をひねり、背中やお尻を拭かせてくれていたと思う。

それから足を屈伸させたりするが、どうも眠れないくらいのしんどさがあるようだった。

1時間以上経った頃にようやく眠り、しばらくしたところで私は部屋を出て、一階のコンビニでジャスミン茶と、念のためタオルを買いに行った。
戻ってみると消したはずの電気がついていて、ダンナ君が目を覚ましている。

「あれ、どうしたん?」
「どこ行ってたん?」
「コンビニに。ジャスミンティー買ってきたよ」
「あぁそうなの、良かった」

というような会話をした。
この時はお腹が痛かったんだったと思う。
後で気づいたが、この時「あやさん今どこにいますか?」とLINEが来ていた。

また眠ったらしばらくしたら今度は下に行くけど、なんかあったらアレコレ打たなくていいから、『あやさん』だけ入れてくれたらすぐ来るよ、と言ったら分かった、ありがとう、と安心した顔をした。

下に降りると、1時間しないうちにLINEが来て病室へ戻った。
それからさらに1時間半後、
そしてまた1時間半後と、かなり頻繁だった。
ダンナ君の足を持ち上げる腕と腰がパンパンになり、屈伸させる私の動作は緩慢になっていた。


3時過ぎ頃に控え室に戻り、横になると一瞬で眠りに落ち、次にラインの音で目が覚めたのは2時間以上後の5時半だった。


「あやさんすぐに来てください」

心臓が一気に早くなり、これはもう控え室で横になる事はないだろうと、急いでジーパンに履き替え、荷物を持てる分だけ持って上がると、病室の中と前に看護師さんがいて、フラッシュを使ったところだった。

ダンナ君の呼吸はさらに早くなり、顔が苦痛のために今までにないくらいの険しい表情になっている。

状況は明かに悪化している。


しんどかったのに呼ばんかったんやな、遠慮したんやな。休ませてくれたんやな。。一人で耐えさせしまい、ふがいないような気持ちになった。


最後の薬を使うのはもう近いと思い、「意識を落とす薬を使う前に教えて」と言っていた義母に電話する。
義母も車はあるのだが、この日は事情で予め数時間後にタクシーを予約していたので、「今行った方がいいかねぇ?」と言うので、薬を使うのを我慢させてしまうと良くないから、できればその方がいいんじゃないかと思います、と伝えた。

そしてジャスミンティーのペットボトルを持ち上げる動作も弱々しくなったので、吸い飲みの容器に移して飲ませてやり始めた。

8時過ぎ。
病室に、まさに「白い巨頭」のような感じで7人の先生がブワッと回診に現れ、ダンナ君のベッドを囲んだ。

ダンナ君から話には聞いて知っていたものの、初めてその光景を目の当たりにしたため呆気にとられて詳細は忘れたが、ダンナ君はゼイゼイしながらしんどいですと訴え、部長の先生は「じゃあ鎮静のお薬を使っていきましょう」という事を話したはずだ。

その後少しして改めて看護師さんに廊下に呼び出されると、入院担当の先生が待っていた。
ご家族とご本人の同意が必要であるし、なかなかタイミングが難しいところだと思います、という話だった。


「でももうだいぶしんどそうです」と言うと、看護師さんも「(フラッシュが)効いてる感じもないですよね、顔が…(辛そう)」と同意してくれた。
「楽になりたいと言っているし、苦しむ時間は少ない方が良いです、でももう一度だけ本人に確認させてください」と伝えて、ダンナ君にも確認しに戻った。

ー もう楽になりたいよな?
ー うん、しんどい、楽になりたい。

そうしてゴーサインが出た。



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