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半透明人間

僕は透明人間さ もっと透けていたい 
本当はそう願っているだけ

新卒として働き始め、それと同時に一人暮らしを初めてもう一年が過ぎた。12ヶ月、52週、365日、8760時間、525600分、31536000秒。
数字にしてみると膨大な時間が経った。砂を集めて城を作ろうとしては波に壊され、また作ろうとしては壊され、そのうち作ろうとすることさえやめてしまった。そんな一年間だった。

さて、一年を通して自分の中で自分が半透明になっていく感覚があった。
自分を掘り下げるために書いておこうと思う。
半透明などと気取った言い方をしたが、要するに世界と自分とのつながりが希薄だということだ。都会で働いているはずなのに田舎の古屋敷に一人で住み、自給自足の生活を送り、時々車を走らせて都市部に行って静かに帰ってくるような生活を過ごしている感覚が日々増している。

この一年、大苦戦してやっとの事で就職した会社で、平日は働いた。残業はほとんどなかった。会社では一年経った今でもあまり打ち解けているとはいえない。自分らしく息が吸えている感覚がない。しかし現状の立ち位置が自分の限界だと言われれば、そのような気がする。社会の中、人とつながりを持ち、自分にとって住みやすい環境を作るためにはコミュニケーションが大切だ。他人が興味を惹く自己情報の開示と他人の情報請求を積極的に断続的に行う必要がある。私はこれが苦手だと言うことにやっと気がついた。小学校、中学校は地元の顔なじみばっかりだったり、大学では高校時代の友達と同じサークルに入っていたから特段、人とつながりを持つのに苦労しなかった。しかし高校の時は一年生の夏頃まで話し相手はいても気楽にゆとりをもって話せる相手はいなく、なんとなく浮いている状況が続いていた。
社会人になってから知り合いもおらず、今まで話したことのない属性を持つ人たちが多くいる中で、人とコミュニケーションをとり、自分が安心できるつながりを作ることができなかった。

そんなこんなで会社でのつながりが希薄で存在感もない。一日休んでも特に気にとめられないだろう。もちろん今いる会社が悪いのではなく、自分の性格のせいなのでどこの環境に行っても同じ話だ。美容室に行ったときも、習い事の体験を言ったときも何をするにしてもその場を安心できる環境にできたためしがない。ただ、してもしなくても結果が変わらない空気みたいな会話を積み重ね、そうした会話を積み重ねるにつれて自分も透明になっていく。

半透明だ。世界の中に存在はしている。会社で働き税金を納めている。娯楽や食べ物だと様々なサービスにお金や時間を使い貢献している。存在はしている。しかし、存在が認識されているのは俺の輪郭だけだ。世界と触れざるを得ない部分の存在が認識されているだけで
俺の中身は存在していない。存在を認識されていない。この世界とつながっていない。

さて、それでも高校に入学してから同じような状況であった時はそこまで自分が透明であると感じなかった。なぜならこれがずっと続くわけではないとどこかで信じることができていたからだ。実際、夏をすぎたあたりから打ち解けられた。自分がここにいると信じられる環境を形成できた。

しかし、今はあまり信じることができない。それどころか時を経るごとに自分が透明になってやがて誰ともつながらなくなるだろうということを信じてしまっている。俺の心はもう山奥で隠居暮らしをしていて、この生活がずっと続いていくだろうと思っている。そして今の俺はそのことにあまり危機感をおぼえていない。

あらゆることに対する危機感のなさ、当事者意識のなさ、これが自分の人生をうだつの上がらないものにしている。こんなネガティブなことをつらつらと書いているときだって、やはり他人事のように感じている自分がある。だから、この自分の存在が透明になっていくという悩みだって、しばらくしたら忘れるだろう、そしてしばらくしたらまた同じことで悩むだろう。これを死ぬまで繰り返すのだ。そして俺はそれでもいいと心のどこかで思ってしまっている。


もはや手の付け所がない。そんなこんなで吐き出してすっきりしたのでハイボールを飲んで寝よう。また悩むときになったら悩もう。そのときまでさようなら。 


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