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30年目にして思う

今日は、父の命日。亡くなって30年になる。
実家を数年前に取り壊したので、もう仏壇も無い。戒名軸だけを持っている。その戒名軸を去年帰省した時に私が管理する事になったので、今年の命日は花と供え物の果物を買って私の家で手を合わせた。

30年前の私は、まだまだ子どもで、何年も病気を患っている父に何もできない歯がゆさや常に不安な毎日の中で暮らす生活の寂しさから「早く大人になりたい」とばかり思っていた。 大人になったら、働いているからお金がある、車の運転だってできて自由に行動できる、もしかしたら家族もできて寂しさも紛れているかもしれない…そう考えていたように思う。

だんだん、父の年齢に近づき繰り返し思うのは、無念さや悔しさがいっぱいであっただろうと言うこと。
直接聞いてはいないが、ある時母に「家族3人で幸せにならなきゃだめだぞ、幸せになれや。」と呟いたという。今もその言葉を思い出すたび胸がはち切れそうになる。
 
30年前の今日は泣きつくして涙も出なくなっていた。でも、なにか1つ区切りもついた様に気持ちが凪いだ状態でもあった。
30年目の今日は、あの頃想像もしなかった自分がいる。さて、仕事も終わったから次は学校へ行く支度にとりかかろう。
あの頃も今も私は十分幸せなのだ。

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