見出し画像

性差別や女性嫌悪が取り沙汰される際に感じるつらみ

日本では性差別や女性嫌悪がいまだに取り沙汰されている。これはきっとひと事ではない。そういう性格は、日本で生まれ育った自分もきっと持ち合わせている。この引け目から感じるつらみを記述してみむとてするなり。オカンが言うには、前向きではないらしい。

きっかけは森喜朗

あの、森喜朗による女性蔑視を今更ながら振り返ってみる。([ ] は黒木注)

[i] 女性がたくさん入っている理事会は、理事会の会議は時間がかかります。[ ... ] 女性っていうのは競争意識が強い。誰か1人が手をあげていうと、自分もいわなきゃいけないと思うんでしょうね。それでみんな発言されるんです。
[ii] [ ... ] 女性を必ずしも数を増やしていく場合は、発言の時間をある程度、規制をしていかないとなかなか終わらないで困るといっておられた。だれが言ったとは言わないが。そんなこともあります。
[iii] 私どもの組織委員会にも女性は何人いたっけ?7人くらいか。7人くらいおりますが、みんなわきまえておられて。みんな競技団体からのご出身であり、国際的に大きな場所を踏んでおられる方々ばかりです。ですから、お話もシュッとして、的を射た、そういう我々は非常に役立っておりますが。次は女性を選ぼうと、そういうわけであります。

森喜朗を擁護するわけではないが、恐らく、本人に悪気は無かった。知らんけど。発言 [iii] を踏まえるに、「寧ろ、女を褒めているのに」と本人は思っていそう。(或いは、読み慣れ過ぎて、発言 [i--iii] の問題性に対する不感症が僕に生じているのかもしれない。)

そんな意思に反して、発言 [i--iii] のいずれにも批判が集中。その後の(謝罪)会見が二の矢どころか二の火矢と成り、炎上するに至る。(余談ながら、この会見の問題性を「逆ギレ」と評するだけではアカン。)

個人的には、この問題発言を弁明させられていた彼の(孫)娘を不憫に感じた。森喜朗のことは全く知らないけれども、恐らくは本当に、「ごく普通のおじいちゃんであり、お父さんであ」るのだろう。それまでも擁護と批判されてしまっては、堪らない。

おさに短し、叩くに易し

森喜朗は、私刑好きには垂涎の獲物に違い無い。謝罪会見まで燃え盛らせてくれるから、心置き無く、全力で叩ける (下品に表現すれば、ひと粒で2度美味しい) のである。案の定、この問題が取り上げられていた時期は、多くの人がそうしていた。

だが、ちょっと待って欲しい。流石に忘れ去られてはいないと思うけど、森喜朗の失言は今に始まったことではない。失言の記事だけで千羽鶴くらいは折れるだろう。森喜朗自体は有る有るな事故として早々に捨て置き、このような人物を要職に就かせる日本社会の方を問題視すべきであった。

森喜朗は、“私たちそのもの”です

森喜朗による女性蔑視に関して、もうひとつ思ったことが有る。森喜朗と自分 (僕やあなた) とはそんなに違うのか、と[*]。こういう文章を書くと、どうも、理性派や善人がしたためたもののように成ってしまうのだけど、僕は恐らく、フェミニストよりも森喜朗に近い。森喜朗を昭和冷凍保存系[**]と呑気に嘲笑してはいけない人間である。

FIFA 98 (蹴球W杯) アジア第3代表決定戦で山本浩アナウンサーが発した名言を思い返さねばならん。

このピッチの上、円陣を組んで、今散った日本代表は……私たちにとって“彼ら”ではありません。これは、“私たちそのもの”です

「失言を発して、今散った森喜朗は……私たちにとって“彼”ではありません。これは、“私たちそのもの”です」と。違う意味で#MeToo。「森喜朗=私たち[***]」だから、性差別や女性嫌悪がいまだに取り沙汰されるのである。タコ殴りにされる森喜朗を他人とは思えず、居たたまれなかった。

性差別に関する意識改革は一生続けていかねばならんのだろう。人間が出来ていない自分にとって、それは物凄く苦しいことである。「自宅に蟄居し、女との関わりを断つことで性差別の芽 (=自分) を摘む」という消極的解決策の方が楽に感じる。

[*] 不倫騒動時の私刑にも同様の念を抱く。自分の行動になぜそこまで自信が持てるのだろう。

[**] ちゃんとした人は昭和にも一定数いたに違い無いので、昭和に対する風評被害かとも感じる。気に入って、多用しているけど。

[***] 流石に全員ではないけど、女も例外ではない。女による女性蔑視も散見される。たとえば、「女が上に立つと、組織はアカン」みたいな意見を持つ女。

しご]た ちん]ちん そつぁ たん]たん。もろ]た ぜんな] そつい] かえ]て [に]かと かっ とっの] がそりん]に しもん]で '仕事はテキトー、酒はグビ〴〵。貰った錢は酒に替へて、新しいのを書く時のガソリンにします' 薩摩辯 [/]: 音高の上がり/下がり