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頑張れなくなったときに気付いたこと。

辛いとき、苦しいとき、頑張れなくなったときー
「限界が来る前に周りを頼れ」
ってよく聞く。私も言う。
でも、どうやって「周りを頼れ」ばいいのか、分からなかったーそんな私のはなし。

自分史上一番やっかいな、半引きこもり状態になった。
やる気が消えた。頑張ろうと思う前向きな気持ちが消えた。
常にあった芝居がしたい気持ちもなく、嘘みたいに空っぽだった。
何があった、というわけじゃない。
大きな失敗をしでかしたわけでもなく、周りからの反対や批判に押しつぶされたわけでもない。多分見ないフリをしていた私の中の漠然とした不安や焦りが反旗を翻したんだと思う。「頑張らなきゃ、このままじゃだめだ」というありきたりな言葉だけが空回りする。
その間にも、時間は誰にでも平等に流れていて、LINEもメールも電話も様々な通知を知らせてくるし、SNSでは仲間たちが一所懸命に活動をしている様子が流れてくる。
直視できなくて、私はひたすら眠った。眠って、眠って、眠り続けたら、きっと眠ることにも飽きるだろうと思っていた。でも、そんなこと無かった。現実逃避を体現したような生活と、湧き上がる罪悪感。自分のクズさを確認するかのように、私の気持ちは鬱々としていった。

これは、私は「限界」なんだろうか。
そう思うも、いや、ただ現実に向き合えなくて逃げている「甘え」だ、と私が答える。
もやもやが渦を巻き、吐き出せずに溜まっていく。
じゃあ、誰かに吐き出せばいい。
……誰に?
悩みを打ち明ける時点で大抵本人の中に答えが出ていることが多い、というのが持論だ。
親しければ親しいほど、相手がどんなことを言ってくれるかは容易に想像できる。
加えて、周りは「ちゃんと」している。誰しも、辛いことも、苦しいことも、頑張れないことも飲み込んで、朝起きて外へ出ているのだ。それができないことを打ち明けるなんて、ただのわがままだし、迷惑でしかない。それに今の自分でさえ整理できていない自分のもやもやをどうやって吐き出せば良いんだろう。
「周りを頼る」って一体どうすればいいんだろうー
生まれて初めての疑問だった。

もちろん答えなんて分からず、何も進歩しないままに時間だけが過ぎていった。
幸い外に出ることはできた。頑張れない現状をひた隠しにして、今まで通りに対人関係もこなせた。へらへらと口先で「もっと頑張らないとですね。頑張ります!」と嘘を重ねる度に自分で自分の首を絞めていった。
ただ「私今なんもしたくないんですよね」と正直に言ったところで答えは決まっている。
「じゃあ辞めれば」
そうなのだ。それが全てだ。
それなのに、辞める勇気もなければ、辞めたところで何もしたくない。
そんな中途半端な自分が、どうして周りを頼ることができようか。

よく何か、その人にとって衝撃的な出来事がきっかけで、立ち直ったり、やる気になったりする、という成功譚を聞くが、現実には何もしない人間にそんな啓示は降って来ないことを身をもって経験した。少なからず成功した人は意識・無意識に関わらず何かをしているんだと思う。そうじゃなかったら私のとこにも降ってきてくれても良いじゃないか、なんて考えが浮かぶくらいにはひねていた。
人はいとも簡単に堕ちていけるんだな、とも思った。

しかし私だって、未来永劫鬱々としていたいわけじゃない。
何かしら自分で自分の機嫌を取ろうと、自分を甘やかそうとしてみた。
好きなこと好きにすれば良いじゃない、と言ってやった。
結果から言って、私は自分のご機嫌取りがすこぶる下手だった。
好きなことをすると、常に罪悪感がぶら下がってきた。
「こんなことしてていいんだろうか」
と、誰への後ろめたさかも分からない気持ちが心を支配した。
明るい引きこもりになれれば、もっと楽だろうに、と思いがかすめ、それすらできないことに苛立った。

家族、友人、先輩、恋人…きっと話せば耳を傾けてくれるだろう。
私が信頼する人たちはみんな優しくてあったかい。
だからこそ、そんなことできなかった。
今の私は非常にめんどくさい。悩んでることに答えがなくて、きっと何を言ってもらっても、「でもだって」を繰り返す。大事な人の時間をそんなことに使うなんて勿体ないことこの上ない。

というわけで、散々迷宮入りした私だったが、
意外なところで小さな活路を見出すことになる。
最近、久々に連絡のやりとりをしている人がいる。気心知れた昔の同期だ。
読書の話になって、お互いのおすすめ本を貸し合おう、という流れになった。
外に出る理由があるのは私としてもありがたいので(第三者を巻き込む理由がないと外へ出る気力が出ない)、何冊か見繕って待ち合わせに向かう。
食事に行くでも飲みに行くでもなく、会って、本を渡して、立ち話をしておしまい。
別に悩みを聞いてもらおうなんて微塵も思っていなかった。
でも他愛のない「最近どうよ?」の問いに「いや、最近ダメだわー」と口から軽く出て、なんとなしに鬱々とした自分の話がこれまた軽く私の口から出て行く。私が今一番嫌いな私の話のはずなのに、「あー俺もあるわー」なんて返されて、「お互いダメじゃーん」なんて笑って、じゃあ、また、と言って別れた。
たったそれだけ。なのに、何故だかほんのすこしだけ、呼吸がしやすくなった気がした。
鬱々としている自分に対して「しょーがねーな」と笑ってやれる気がした。
ああ、気負わなくて良かったんだな。
今の気持ちを聞いてもらおう、とか、ちゃんと分かるように伝えられるようになろう、とか、そういうの、いらんかったな、とすとんと落ちた。
多分、一人でいることが一番いけなかった。
「周りを頼れ」って、私にとってはそういうことだったのかもしれない。
助けて欲しいと泣き言を言ったり、無理に自己開示をして分かって貰おうとしたり、そこからさらに解決策を求めたりすることが「周りを頼る」ことじゃないんだって、気付いた。

同期と別れた後、私はずっと入りたかった喫茶店に入った。美味しいコーヒーと一冊の本。
そこには、本が好きな人たちが集まってできる居心地の良い空気が流れていた。
分かってる。多分、褒められたことじゃない。もっとやらなきゃいけないことがあることは承知の上だ。
でも、でも、でも。
私はその時、なんだかよく分かんないけど、とにかく目の前の本を読みたかった。

何かを「したい」と強く思ったのは久しぶりだった。

私が「頑張れない」状態が突然嘘のように消えることは無いんだと思う。
でも、この「頑張れない」状態がずっと続くことも無いのかもしれない。
今はそう思えるだけで、少しだけ、生きやすくなる。

2020.8.19追記 公開しました。
続・頑張れなくなったときに気付いたこと。
https://note.com/kotonohatsumugu/n/n6d3668ef634c


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