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好きなものは好きだと叫べ

黒いランドセルが欲しかった
フリルやレースには興味がなかった
制服はスカートに決められていることが嫌だった
髪の毛は短い方が好きだった
可愛い、より、格好良い、に憧れた

そんな私にセカイは冷たかった

「女の子らしくしなさいよ、これじゃまるで男の子みたい」

「女の子のくせに、そういうの好きなの?」

「せっかく女の子なんだから、可愛い格好しないと損よ」


それは私にかけられた小さな呪い


世の中に溢れる「女らしさ」「男らしさ」
長い間かけて作られたこのセカイの息苦しさへの細やかな反抗期は、いまなお続いている。細やかな気遣いに対して「女性らしいわね」だとか、頼りがいのある統率力に対して「男らしい」だとか、そんな表現が、きらいだ。
それは「あなた」の気遣いが、頼りがいが「素敵」なのであって、性別が与えるものではない。頼りがいがある女性じゃだめなのか、繊細な気遣いができる男性はだめなのか。裏側に見え隠れする暗黙の「らしさ」への違和感。言語表現の豊かさをもってすれば、物事の形容に「女性らしい」「男性らしい」が無くても、魅力を伝えることができるはずなのに。

日常に溢れかえる数々の言葉に敏感に反応してしまうのは、私がかけられた呪いの根深さのせいであり、またそれに対する悪あがきなのかもしれない。
でも、あの頃悩んでいた自分を肯定してあげたくて、今闘っている子がいるなら違う言葉をかけられる人になりたくて……
そんなちっぽけな復讐とプライドを持て余しているだけなのかもしれない。

でも、でも、だからこそ言いたい

あなたは好きなものを好きだと言って良いし、好きなものを纏って良い。周りに否定されたとしても、本当に好きなら、好きだと叫べ。自分が認めればそれはもう十二分に価値のある「好き」で、それが「あなたらしさ」を作ることに誇りを持って欲しい。当たり前のようにのさばる行儀の良い形式にはまってやる必要なんてどこにもない。
そしてそれを、「あなたらしいね」って伝えられるセカイで私は生きたい。

ランドセルは多色展開に
服のデザインも今まで以上に多種多様に
制服は選択制が生まれつつある

しかし選択肢が増え自由の幅が広がったからといって、自由な選択に対する周囲の声なき声が暖かくなったわけではない。

まだまだこれから。まだまだここから。

そんな社会に繋がるように、今日も私は細やかな悪あがきを続ける。








最後まで読んでくださってありがとうございます。