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2019年を振り返って。

「時間」に区切りと意味を与えてくれた先人に感謝する。
同じ一日24時間のはずが、今日は2019年最後の一日になり、もう間も無く2020年最初の一日になる。そして、その区切りにどこか希望をもって、「今年はこんな年だった」「来年はこんな年にしたい」と語ることができる。
来年は今年より良い一年になるように、戒めと願いを込めて言葉にしてみようと思う。

2019年ー今年は迷いと悩みばかりだった。今まで自分がやってきたこと、今自分ができることへの不安ばかりで、自分が本当に何をしたいのか分からなくなった。
私は今自分を疑っている。
何が好きで、何が面白くて、何が良いのか。私はきちんと自分の本心で、自分の言葉で伝えることがきっとできない。それは、ひとえに自分に自信がないから。そんなことはずっと分かっているつもりだった。でも、自分が嫌いな自分をどうにかできないと思いながらも、どこかでコントロールできていると思っていた。そんなずっとかけてきた脆い自分騙しの自己暗示が徐々に剥がれて、剥き出しの情けない自分が無様に姿を表したのだと思う。
何度も向き合っては手に負えなくて封じてきたその自分の姿からもう逃げられないことを悟った。

今一番何をしたいのかが「分からない」ことが「こわい」
自分が必要とされない人間のような気がして「こわい」
他人からの「愛」を受け取れないことが「こわい」

生きていれば誰しも悩みはある。だから私の悩みなんてちっぽけだ。ありふれている。
自分なんかが「生きづらい」なんて言うなんてただ甘えだ。しっかりしていれば大丈夫。
そんな風に自分で自分を蔑ろにしてきた。そのツケが回ってきたのだと思う。
この「こわい」は他人と比べても、他人に助言をもらっても、他人が幸せになっても不幸になっても消えることはない。自分自身で区切りをつけないといけない問題なのだ。
なぜ「こわい」と思うのか。その感情の理由や根本はやっぱり「自分を認められない自分」に行き着くのだと思う。考えないようにしていれば、気が付いたら緩和されていれば良いーそう思って蓋をしてきた。しかし、蓋はあくまで蓋だった。
やる気がおきない。掃除ができない。お風呂に入れない。涙が出てくる。自分を傷つける。苛立ちを食べて抑えようとする。そんな自分がさらに嫌になってその度合いは深まっていく。そんな悪循環に陥っている。ただの甘えかもしれない。なにか病んでいるのかもしれない。でもそんなことはただの肩書きである。
私に必要なことは、「どうしたら自分を好きになれるのか?」その問いに向き合うこと。
私がやりたいことをちゃんとやれるようになるために。

2020年。私は私から逃げない。

最後まで読んでくださってありがとうございます。