究極的美への求道宣言

非常用序文


 この序文は、けして万人の理解を強いるものではない。畢竟、この宣言に収められた断章群は主張としての効能こそ持つが、啓蒙としてのある種の図々しさには決して変貌しないし、むしろしてはならない、ということを、シュルレアリストとして生きるこのわたしが望むからである。
 それゆえ、人々がこのテクストの読解を放棄したとしても、この文章が文章たりえると知覚したその時まで、連綿たる姿であることは、不変の事実である。
 しかしこの宣言を流布するにあたり、わたしはできうる限り簡潔に、かつ書きそびれないようにこの宣言を行うつもりだ。
 本宣言は題されたとおり、「究極的美」と称した文学的蘊奥の領域に達することを希求し、行動することを遍く宣言するものである。
 事細かな事項や主張は、この宣言が健全に進行するたびに明らかにしていく次第だが、先に主題について触れておきたいと思う。
 わたしが渇望する「究極的美」に到達するための、ないし有機的に進行することのできる有力な手法は、次の二つの芸術的革命に存在するということができるだろう。
 それすなわち、かつて第一次世界大戦のさなかの雰囲気から目覚めたといわれる「ダダイスム」と、ダダの子宮から産まれた、無意識への好奇心により現実の延長線上を表現することを標榜した「シュルレアリスム(超現実主義)」であると言うことができるであろう。既存体制の破壊と否定、樹立を成し遂げた彼らの足跡が成した土台が、わたしの旗幟する目標地点へ向かうための、出発点となることは間違いないだろう。
 しかし、決して目覚めの光線と思い、はやるなかれ。念を押して、わたしは啓蒙を行うものではないということは繰り返しておきたい。
 そも先刻列挙したこの芸術精神は、こんにちまで民衆に英雄と信じられている男の姿であったが、明日には史上最悪の詐欺的禍根をもたらしたと決定づけられる醜悪な戦争犯罪人の風体となるような、不安定なものなのである。

目次


 求道への動機
 シュルレアリスムのただ一つの失敗
 究極的美への政治的情熱
 夢の理屈と現実的論理
 物語の不必要性
 究極的美と歴史との相和
 到達への論考
 論考的息継ぎ

 
 
 

求道への動機


 
 辻潤の絶望の萌芽に魅入られたこと。この出来事がわたしにダダという幻灯を教える機会になった。
 セルビア印の手から放たれた一撃が生んだ殄滅の時間が、酔生夢死であり荒唐無稽な暗黒街「DADA」を作ったと信じられていた。少なくとも18の時分、わたしは辻潤の導きによってあの暗黒街の住人となったつもりでいた。のちにわたしはツァラの宣言、デュシャンの「泉」に代表されるようなダダイストたちの遺産、歴史書から、ダダが存在することを無批判に信じていたのである。
 だがダダは概念形成の強制力における抵抗に対してはとんと無知、無力であった。そればかりか、歴史上ダダと名づくられし、あの感染症は実は生まれていなかったといってもよいくらいであった。
 「否定と破壊の大芸術を成し遂げるのだ」と高らかに語ったツァラが何よりの証人であろう。彼は自身の芸術生活に「否定」と「破壊」という二つの意味を与え、あまつさえ「DADA」「DADAISM」などと名付けて概念化してしまった。
 「ダダたらしめるものはダダではなく、しかし真のダダはダダに反するものである」という自己催眠に彼は陥った。そのことで、既存概念を破壊するはずであったダダという忌み子は、地上に産声を響かせたその瞬間に野垂れ死にする羽目になるという末期に臨んだのである。これをあのツァラの最大の誤謬であり、ダダなるものがはじめから生まれていないことの証左であると言わずして何と言うのであろうか。
 それを知ったなら、ダダは生まれたときから死んでいた、もっと言うならばそもそも発生などしていない、というのが真実であり、いかに歴史やそれに類する枝葉末節どもが、「ダダは1916年に創始された芸術運動である」などという、とんでもないデタラメをまことしやかに語っているかが分かるだろう。
 人間をアホロートルに変え、彼らの思い通り、与えた通りの生活形態にまで追い詰めようとする。思い上がりのインテリゲンチア(実際は禍々しいくらいの料簡違いだが)の頭脳が行きついた企みだが、これはよくある手法である。
 だが、もうツァラはモンパルナスで一息ついているころであり、仲間たちもめいめいの安息地で寂蒔に暮らしていることだろうから、ツァラの安寧を妨害しないために、糾弾は先述したように彼らの欠陥は「ダダの概念化」に務めてしまったということだけにとどめよう。
 だが歴史上ダダイスム呼ばわりされているあの生物がもたらしたものは、後に語ることになる「究極的美」において、多大なる貢献を様々な形で以てもたらしたということは事実である。
 もう一つに、ダダイスム(この記述は正確ではない)は、のちに法王に向かって水を飲むことを奨励したことで、手下と共に反旗を翻された。その結果として―究極的美においては根幹を成す精神的物質――シュルレアリスムが創始されたのである。
 ダダなるものはいわば究極的美においては国産みの立役者であり、ダダが「あったと信じられている」道すがらに、かの超現実の扉はひらかれたのであった。
 わたしは例の宣言を読むことを決め、そして次のテクストに魅了された。わたしは仏道修行のごとくに、ブルトンの教義への師事を決定したのである。

「私たちはいまなお論理の支配下に生きている。……論理的方法は、こんにちではもはや、二義的な関心しかひかない問題の解決に適用されているだけである。」

アンドレ・ブルトン著 巖谷國士訳『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』(岩波文庫、2018年6月、18頁)

このブルトンの言葉で、わたしはシュルレアリスムの旗幟するもの、無意識や夢の紡ぐ創造美に心酔し、シュルレアリストを名乗った彼らの足跡を辿ることを決めたのである。
 その時のわたしは究極的美への具体的な展望こそ持ってはいなかったが、シュルレアリスムへの接近によっておよそ近しいものの想像は持っていたし、それを絶やすことなく文学と付き合っていた。
 この芸術革命によって、わたしの中で陶冶されていた皮肉の文学、つまりリアリスティックな世界の足場を組むような論理的産物は消滅せられ、無意識や夢に代表されるような「不具」という新たな概念を担ぎこまれることになった。
 そして今やわたしは、この宣言のみならず日常において、シュルレアリストを自称するほどなのであるから、その影響の強大さは言うまでもなかろう。実際、これから語る究極的美の構成要素はシュルレアリスムの影響抜きでは語れないものである。
 だがシュルレアリスムをはじめ、全き前衛芸術と称せらる文物のすべてが、この書の全体にわたって標榜せる山巓――わたしはその時、まだ自認の峰を望むことさえかなわなかったのだが――時間の経過とともに異なっていくのを理解した。
 全く前衛芸術はいずれも、根源やその動機付けの一切は、反-芸術に起因するものであった。その根源が既存芸術に対しての反動にしろ否定にしろ、前衛芸術という定義づけがなされた場合には、それもまた、狡猾な論理の魔の手によって既製品へと化けるのであった。
 また、既存の芸術に背くという姿勢は、反-芸術が時間の経過とともに、反逆対象と化していく自らを省みられない限り、いつまでも持続しえないものだからである。
 そもそも反逆対象にとりあえずの定義を与え、あまつさえ「反-芸術」の名札を与えて、その通り逆心を向けたその瞬間から、反芸術なる体制は破滅の道を順当に歩んでいるのだ。
 反発そのものが目的の芸術は、己の標榜したる思想によって自刃するしかない。かつて、ダダがそうであったように。
 しかし、そのように脆弱なる前衛芸術の中でも、シュルレアリスムには未だ追求の余地があることも考慮に入れておく必要があった。
 シュルレアリスムはとどのつまり、無意識の代表とする未知の領域を表出させることを旗幟していた。それがたといランボーやフロイト、伯爵やら赤ら顔のお喋り貴族やらの神託を源流にしていたとしても、未知への好奇心と際限なき追及の前においては、何ら関知はしない、ということである。
 だが、これは後々語ることになるが、シュルレアリスム・グループは――というよりブルトンにおいてだが――やはり時間経過に抗えないことを如実に示すことになるのである。
 固執だけが問題であった――目的のための手段を、あらゆる圧力で壊滅させたゆえに、シュルレアリスムは歴史の遺物未満の扱いに成り下がったのである。
 こんにちにおいては、もはや何人も、あの輝かしい理念を望んではいない――。

シュルレアリスムのただ一つの失敗


 
 1916年生まれのダダ(と便宜上呼ばれているソレ)は否定と破壊の大芸術を成し遂げ、その結果かような人間たちを生んだ。だがフロイトの精神分析学と、マルクスの世界変革を柱に、様々な革命的先人たちのエッセンスを取り込んで生まれた胎児が産み落とされた。それがシュルレアリスムであり、胎児とはアンドレ・ブルトンをはじめとした、教義の実践者たるシュルレアリストたちなのである。
 彼らは限りなく少年の心を知るイカロスであった。のにもかかわらず、なにゆえシュルレアリスムは消滅したのであろう? 結論から言えば、とんでもなく致命的な失敗があったという以外に説明のつきようはないだろう。
 数多くのシュルレアリストたちが犯した失敗の中でも、矢面に立たされるべき最大の失敗とは、政治的情熱に傾倒したことである。
 先述した通り、彼らはマルクスの精神性にも浸かっている。
 それによる結末は、かつて我が日本国の近代史だけを見つめても、十分に説明できるだろう。
 シュルレアリストはファッショを憎んで、廉価な背広を着た。だがその衣装の中には、あまりに赤きファッショがあった。そのうち身は隠蔽した赤身に侵しつくされ、浅ましいほどの思考を孕まされ、それからリンチを始めたのだ。どう見ても完全な自滅である。
 彼らはファシストをはじめ、病的なまでの現実主義者とその固執や、理性の介入といった、精神的自由に刃を向ける仇敵を、心から憎んだ。
 アンドレ・ブルトンを見よ。シュルレアリスム的法王に成り上がった彼の痙攣が、命を失う運命に到達したその瞬間から、シュルレアリスムは消滅したと言ってもよいだろう。いや、あの昭和20年以来、すでにあのかがり火は消えていたのかもしれない。
 もし無意識の子宮から生まれたかの嬰児たちが、芸術という方向のみにおいて、革命的精神を持って徹底的に芸術を革命し続けていたならば、あれほどみすぼらしい最期――いや、その歴程のうち、少なくとも26年からのファシストごっこに達しなかったなら――は迎え得なかったであろう。
 少なくともあれほど動物的であった人工の憎悪表現は、ほぼ間違いなくシュルレアリストたちにその形を変え襲いかかってきたのである。
 彼らは、およそ魔術的なエクリチュールによっては、血の麻薬で窒息したモンスターに勝利しえなかった。いや、少しの反抗もせず、むしろ喜んで自ら破滅を望んでやまなかったと言っていいだろう。
 愛すべきシュルレアリストたちは、この破滅によって永遠に屈辱的な死の中に取り残された。革新的な力で、自己を高潔な詩的意識にまで高めんとする意志は、すっかり唾棄すべき脆弱な精神へと変貌してしまったのである。
 もはやシュルレアリスムは歴史の錆びた風によって風化してしまったと言っても過言ではないだろう。
 名は残れど受け継がれることのない概念に、全体如何なる哀情の掛水や譲歩を行うことがあろうか!
 そうだ。もはやシュルレアリスムが望まれることはない。懐かしまれる断片が偏在するだけだ。そうなれば行動は死んでいるのと同じである。
 無意識をはじめ、未知の領域からなにがしかを取り出してくることに努めようとする者は、もう存在しないのではないか。
 事実、こんにちのネオナチの如く、ブルトンならびにシュルレアリスト・グループの熱狂的な信奉者を称する表現者たちは現れなかった、と言ってもいいくらいである。
 彼ら亡き後の文学史において、わたしには1926年の再現を公にした者たちが存在したとは到底思えないのである。
 いわゆるネオ・シュルレアリスムやネオ・ダダなる芸術運動は、わたしに言わせれば霧のような存在である。というのもダダやシュルレアリスムは、創始者とそのグループが意欲的に、その運動に関する手法ならびに理論を研究し、その理論体系を整え、取り組んできた(無論ダダが理屈を持ったことは、ダダの崩壊を起こしたが)。
 しかし後発品であるこれら二つの芸術運動は、一体どのようなものを意欲的に創造してきたのであろうか?
 確かに彼らの創造物が、何らかの感覚的イメージを成していることは認め得るが、それでもやはり発端の二大運動との比較には堪えないものであり、これ以上1926年の足跡を辿り続けるならば、世紀の尤物を望むことはおろか、得るものさえ皆無であることは確実であろう。
 飽くなき探究心も、無窮の対芸術革命精神も、この「ネオ」という接頭辞を前にすると、たちまち消滅してしまって、旧態依然の凡庸な概念と化してしまう。何故だろうか?
 わたしが思うに、これら「ネオ」と名の付く芸術運動とその創造物は、原点である芸術運動とは全く異なるものであるにも関わらず、大雑把な内容が類似しているという曖昧な捜査結果のみを論拠に、名を借りて接頭辞をつけているのではないか。
 わたしはいずれ自身に影響を及ぼしたあの革新的な芸術運動がなにがしかの事由によって、飛び越える時期が到来したと明瞭に感ぜられたなら、その実行を拒むことはありえないと断言することができるだろう。
 非生産的なプライドに由来する無根拠な固執によって、芸術のみならず人間生活のようなものでも構わず身を滅ぼしてきたのを、わたしは数多見てきた。
 如何なる場合であれ、零落した人間の姿を見てしまったことほど、心の毒素となりゆくにふさわしいものはそうないであろう。わたしが生きている限りにおいて、わたしと同様の時の弦の響き合いを知る状態に身を置く表現者や学者の類が、自身の本義を見失ったことで、生きているのにもかかわらず死に絶えているという惨状を、わたしは幾度となく目の当たりにしたことだろうか!
 そのたびにわたしの思考はかげった。少なくとも究極的美に近似する、わたしが追い求めていた光を追っていた者たちの、精神一到何事か成らざらんと形容するに足るその矜持は、もはや論評するに値しない壁の目の前で立ち尽くし、一切を蕪雑な憎悪に取って代わられてしまったのである。
 現在、たといこの再現が来たとして、わたしには何の感慨も湧かないことである。しかし当時にとって、如何なる惨害であり、思考を腐らせたかは想像に難くない。

究極的美と政治的情熱


 人々は政治と芸術家の分離を試み、その論争に起因して多種多様の「無駄な」喧々諤々を繰り広げてきた。断言した故理解は容易であろう、究極的美はこの分離を完全に成し得ることで到達すると言えるのである。
 だがこれを、体裁なんぞという百害あって一利なき魚を、わたしがこれから語られる問題の俎上に載せるのだと考えているのであれば、ましてや捌かれると思っているのならば、どうか本書では次のような考えを知るだけではなく、これからのことを優先していただきたいのである。
 結論から述べよう、究極的美は政治を必要とせず、政治を悉く排除することで成立するものである。我々が愛すべき政治への絶対なる決別が、筆舌に尽くしがたい作品の中で流通しているであろうあらゆるがん細胞を別離に追いやることで、結果として究極的美を纏う天女の身が見えてくるのである。
 千も万もある、細かで煩雑な概念との離別に終始するより、ただ政治のみ切り離しさえすれば、懊悩に悶える創作者諸君らの努力はそこで終了するのだし、それだけで済むのである。しかし、芸術史の――ここでは文学史とするほうが妥当であろうか――道程が(歴史的背景については『物語の不必要性』を参照していただきたい)政治を外しておいておくことの困難さは、もはや語るには多すぎるのである。
 分離を試みた代表的な示威行動は所謂「芸術のための芸術」あるいは「芸術至上主義」であろうが、芸術家たちのラヴァーズたる政治、あるいは社会がそこに介入しえないという点から、こんにち語り得ないための沈黙と化したことは明らかである。
 政治とは社会を成す自然である。しかし政治は往々にして、よからぬ訪問客が何の断りもなく、めいめいの精神世界に間取りを定めて上がりこむという習性を発動してしまうのである。
 しかも犯罪にも等しき横暴な振る舞いを散々に極めた挙句に、愚かしい予告を残して帰っていく。その結果作者はおろか、高潔な魂の似姿たる作品さえ蝕まれ、隠れてしまうのである。
 政治が媒介するウイルスがしでかす蛮行の一つさえ、たった一つでも、許容するものがあるならば、このことが確実なる命取りになると断言できよう。現にシュルレアリスムがその体現者なのだ。わたしが述べたように、シュルレアリストはあのおぞましいウイルスを政治的情熱と勘違いし、結果自滅を招いたことは、歴史的意味から見れば自明の理である。
 このように、作品に対する政治という要素の許容は、単純なる甘受を上回るほどに浅ましき行動である。
 この受容が、侵入と増殖のルーチンワークをもたらすこの侵略者に、ただでは覆せぬほどの堅牢な正当性を与えることになるであろうか? わたしの求めるものから本質を跡形もなく殺害する不俱戴天の仇であるにも関わらず、それでも許容せよと言うのか?
 こんにちの芸術にかかずらう頭脳的選民を自称する者たちが、全体何に熱を上げているか知っているか? その自称が愚かしく見えてくるほど、驚くべきインテリジェンスを侮辱し、遡及して侮蔑の唾を浴びせているのである。あの者たちは、近代的法概念をも愚弄しているのである。
 輪をかけて醜いのは、もはや勘定に入れて然るべきものに一瞥もくれず、ただ時間の水面に佇む学芸を「不謹慎」と言い罵り抹殺する、下劣なまでのヒステリーを起こす人種である。
 それを知ったならば、もはや究極的美への到達に政治は必要なく、またわたしのこの主張に対するあらゆる否定が万難の極地に立たされることは、当然のことだ。
 政治に目を向けるという事は、少なからずアイデンティティに対する恐ろしいまでの否定である。その否定が人格陶冶に向かずに蘊奥に向いた場合、そこから忌むべき発狂の検閲が始まるのである。それも表向きは名もなき民衆の暴動による、非論理的な選り好みである!

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