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語らう時間、語らえる時間

語らう時間は限られた時間

誰かと話がしたいなぁと思っても、話せる時間は限られていて、それが複数人ともなると調整が必要で、そうするともっと限られてきて、誰かと会話をするって、実はとっても贅沢で貴重な時間なんだなと、最近改めて感じている。

会社にいた頃は、相手の予定表見て今話せる?と電話したり、チャット投げたりなんてことができたけど、私生活となるとそうもいかない。仕事を辞めたから毎日『無制限通話し放題』だ!とか思ってたけど、日々の生活も忙しく、微妙な時差にも阻まれ、全然そんなことなかった。

海辺で語らうタイの人たち

先日、バンセンという海辺街に出かける用事があった。ドライバーさんはバンセン出身。「バンセンのビーチにはもう行った?」と聞かれたので「え、カフェとか水族館には出かけたけど、海は行ったことないよ」と答えたら、「オオーイ(タイ人のなんでだよ〜のリアクション)!」と言われた。週末はすごい賑わいで車も停められないくらい人がたくさん来るんだよ!超人気スポットだよ!と力説するドライバーさん。

だって泳げる海じゃないじゃん?濁ってるし…あんまり綺麗じゃないし…というのは心の内だけに留めつつ「みんな海に行って何するの…?」と聞いてみた。(私のタイ語レベルではこの質問が限界だったという理由もある)

オオーイ!ご飯や飲み物買ってきて、食べたり飲んだりしつつ、ただ海を眺めるんだよ。それがサバーイサバーイなんだよ!

そう言うと、彼は突然ハンドルを切り帰路変更、海辺をドライブしながら帰ってくれた。平日だからチラホラだったけれど、そこには海を観ながらのんびりと語り合うタイ人がいた。

サバーイのために

サバーイという言葉はタイ人がよく使う言葉だ。気持ちがいいとか、リラックスするとか、そういう意味がある。よく使うだけじゃなく、タイの人たちは自分が(または相手が)サバーイかどうかを大事にしている。

海が綺麗かどうかは大事じゃなくて、海を観ながらのんびりするその時間自体がサバーイなんだなぁと、無粋な質問をしたことを反省した。

なんて豊かな時間の使い方だろう。

学生時代など、誰かと語り合うことくらいしかやることがなかった時代もあった。今思えば、なんて贅沢な時間を謳歌してたんだろうと思う。

今なんて、誰かと会話するために、日程調整の労力を使わなくてはいけない。でも、その労力をかける価値がそこにはあるわけで。

自分自身のサバーイのために、多少の労力は惜しまず、誰かと会話する時間を楽しもうと思う。

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