何度だって伝えたくなる
「今日を生きていてくれてありがとう。」
ふと、スーパーからの帰り道、頭に浮かんだ言葉。幾度となく不意に頭によぎるのは、あと何回大切な人と会えるかなあということ。
数年ぶりに親友たちに会った。一人はわざわざ沖縄から、そしてもう一人は生まれたばかりの子どもがいて心配であろうに時間を作ってくれた。「私のため」とは二人とも口にしなかったし、もちろん私の自意識過剰かもしれないけど。
少し前に悲しい出来事があった。その時、二人とも電話の向こうで私に代わって泣いてくれた。
10年以上前から、私が私らしく甘えられる場所。この二人の真ん中にいるときは思いっきり私でいられる。
二人の涙が私の大切を暖かく包んでくれたのがわかって嬉しかった。
「悲しみの中にも愛はある」といつも気がつかせてくれるのは、誰かからの優しさに触れた時だ。
と同時に私は人に優しくできてるかな?と思うと、できるだけこの誰かからの優しさに触れた瞬間の気持ちを覚えておきたくなる。私がもらった優しさをいつか誰かにあげられるように。
もちろん、この二人だけじゃなくて、今までたくさんの人に優しさをもらった。形は人それぞれ違ったけど本当に当たり前じゃないなあと感謝している。ありがとう。
天国に行けばまたみんなと会えるって信じてるけど、亡くなった人に会えなくてもここにいなくても大切な存在であることは変わりないけど、顔を見て触れ合ったり笑い合えるこの人間世界での時間も本当にかけがえのないことだから、大切な人とのその時間を1秒も無駄なく生きていきたい。
それでもたまに大切な人たちに怒っちゃう自分がいて、拗ねたり疑ったり、うまく愛情を表現できない自分も確かにいる。
でも必ず最後にはこう思う。
「明日も生きている保証なんてどこにもない。だとしたら本当にそれでいいの?」
1秒も見逃したくない。今、この瞬間を味わおう。
なんかのキャッチコピーみたくなっちゃった。
とにかく、私を大切にしてくれるみんなに何度も伝えたいんだ。ありがとうって。
Sachiko
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