見出し画像

怒りを向けられること その後

先日、怒りを向けられることが苦手だ。という話を書いた。
「怒りを向けられること」

そしてしばらくこんな実験をしていた。
☆その場にいたら、へ~そうなんだ~と、さら~っと流す
☆普段から意識して自分が心地いい状態の方へ意識を向ける
☆嫌なら嫌と言う、もしくは物理的にも心理的にも離れる


さらに数日後、私が「この人はやたら怒りを向けてくる。苦手だ」という人と会うことになった。
その人は、直接私に怒りを向けてくる、というよりは
「こんな人がいる!これっておかしくない?」
「なぜ、こんな人がいるの!!!」
「どうして周りはもっと怒らないの?」
と言って、その人の近辺で起こっていることに対して怒りを向け、それを言わずにはいられないようなのだ。

その内容は私にとっては割とどうでもいいことだが、世間のルールから言ったら「まぁ、確かに。道徳的に言えばおかしいね」ということが多かった。
そしてその人の中にあるルールから大幅に逸脱していたため、許せないのだと思う。

そこで私は怒り話が始まったとき、「今だ!」と思い、
「へ~、そうなんだ!」
「そういう人もいるかもね~」
「いろんな人がいるもんだね。面白いね」
とひたすらその怒りをスルーしていった。

すると、とても私の心は軽くなっていった。
まるで私を避けて大きなボールが前から後ろへ流れていくようだった。
これまでだったら、そのボールを受け止めて直撃をくらっていたのだが、今回はそんなダメージはなかった。
そしてその「怒っている話」はどんどん終わっていった。

そして私は気づいた。
その人が「怒り」を私にもぶつけてくるのは、私にも原因があったのだ。
ということに。

今まで
「どうしてこの人はこんな嫌なエネルギーを周りに振りまくんだろう」
「どうして自分に関係もない人のことでこんなに腹を立てるんだろう」
「どうしてそれくらいのことが許せないんだろう」
と思い、私は話を聴いていた

私が聴くから、その人は話していたんだ。

私にも原因があった…

そりゃ聴いてくれる人がいたら話すわ。

私はその人に嫌われるのが怖くて(怒りを直接向けられるのが怖くて)、話を聴いてた。
一般常識がない人と思われるのが嫌で、話を合わせていた。
その人が本当はずっと深くで何かに悩んでいそうで、それに気づきたかった(頼まれてもないのに)。
楽しい時間を過ごせるように、なにか困ったことがあるなら手助けしたかった。好きだったから。


でも、もういいんだ。
私は私の心地よさを最優先していこう、って思った。
聴きたくない話はスルーしよう。
その人のためになるから「そういうのは止めた方がいいよ」って言わなくてはいけない、と思っていたけど、そこまでしなくてもいいんだ。
冷たい人と思われるのが嫌だったけど、自分のことを整えることに力を注いでいいんだ。
世間の常識と違った考えを持っていてもいいんだ。

そっか、もういいんだ。

ここまでの辛い思いが流されていくようだった。

そっか、もういいんだ。

#怒り #華麗に #スルー #かわし方 #楽になる


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?