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短歌と出会う

思えば短歌をはじめようと思ったのも、受け身に近い偶然だった。

好きなブックカフェのひとつに、池袋の「梟書茶房」がある。
広い店内に、あたたかい飲み物、甘いメニューが充実していて、
会話のある空間に溶け込んで、くつろぎたいときにぴったりだ。

店内で読める本もバラエティに富んでいる。
私は大きくて重厚感のある写真集を選んで眺めるのが好きだ。
(えっこらえっこら大判の本を席に持ってくるのには少し勇気がいる)

そんなブックカフェとしての使い方だけではなく、
お店に入ってすぐの入り口のところに粋なサービスが用意されている。
それが「ふくろう文庫」。

題名も、装丁も、わからない。あるのは推薦文だけ。
本というより、本との出会い、を売っている。
(くわしくは、梟書茶房のWEBサイトを読んで、ふふふ、となってほしい)

私も、まさに「ふくろう文庫」で出会ってしまったのだった。
どの推薦文もそれだけでお酒が進みそうな各々の魅力があるのだが、
一瞬で私の足りない部分に沁み渡る推薦文の1冊を見つけた。
思わず「これをください」とレジに持って行っていた。

この形や厚みはきっとエッセイだろうと勝手に思い込んでいた私は、
家に帰って、隠された本のページをめくってみて驚いた。
まさかの歌集…!
今まで1冊も買ったことのないのに、ここにきて歌集とは。

期待半分、心配半分、おっかなびっくり。
でもページをたぐる手は止まらなかった。
31文字と、その余白に広がる世界に、胸を打たれてしまった。

自分というフィルターを通していては絶対に手に取らなかった。
題名も、装丁も、短歌集であることも、伏せられていたからこそ、
この手の中にやってきてくれた。

「ふくろう文庫」がもたらした、不思議でくすぐったいご縁によって、
私の読んだり書いたりする日々には新しい風が吹き込んだ。
本棚には、歌集ゾーンができあがり、短歌の投稿もするようになった。

これが短歌をはじめようと思った日のお話。

あとから知ることになるのだが、
その歌集は”現代短歌の申し子”と呼ばれる大先生のデビュー作だった。
(そりゃあ感化されてしまうね)

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