深き夢見しクソ心地
皆さん、突然だが夢を見たことがあるだろうか?
恐らく大半の人が見たことがあると答えるだろう。
では、その夢を皆さんははっきりと覚えているだろうか?
それはもう一から十まで説明できる程に。
ここまでくると“いや、見たことは辛うじて覚えているけど内容までは覚えてねーし”と思う人が殆どだと思う。
かく言う私もそうだ。基本寝ている間に見た夢など忘れる。
しかし、その中でも忘れたくても忘れられない夢が私の記憶には色濃くこびりついている。
今回はその時の話をしよう。
この夢の中の私は小学校3・4年生だった。
私はその時理科室にいた。
その理科室では顔は見えないが同級生らしき気配が授業のように密集していた。
そして何故か私はこの理科室にいることについてとても嫌な予感がしていた。
理科室で周囲の者がざわざわしている中、急に物理学者の“ありえない?”が口癖の人が羽織るような白衣が人数分配られた。
私はこの時からこれから何が行われるのか完全に体では分かっていた。
そして白衣が配られた後、教壇の所にあるマシンが登場した。
そのマシンとは排泄物を野球の球のように次々と飛ばす機械であった。
要するにうんこ飛ばし器である。
この通称、うんこ飛ばし器が教壇に設置された後、教壇に立つ人から「じゃ、始めまーす!」という掛け声がかかった。
私は本能的な恐怖を感じすぐさま理科室の机に背を付け白衣をかぶった。
この私の本能的な恐怖は正しかったのか、身をかがめた瞬間に次々と排泄物にあたった人々の悲鳴が聞こえた。
その声は様々で男女共に聞こえ、その声が聞こえる度に私の恐怖は増した。
更に恐怖を煽るのが、理科室の机が排泄物の当たった衝撃でドドドドドドドドドッ!と揺れ、その揺れが背中を伝ってくること。頭にかぶった白衣に何かは分からないが(十中八九あれに決まっているのだが)時偶に掠ること。
私はこの状況は小学生ながら正気沙汰ではないと感じた。
同時に絶体絶命とはこういうことなのかとも感じた。
そして暫く身をかがめて排泄物から身を守っていると、クソどうでもいいある法則性に気が付いた。
それは、排泄物被害者の悲鳴が左端から聞こえ始めては自分よりちょっとうんこ飛ばし器に近い真後ろで聞こえ、その後右端に近づいていき、また真後ろに近づいていくということだ。
クソどうでもいい考察だがこの状況を整理するとうんこ飛ばし器は扇風機のように発射口を左右に揺らしていることになる。
文字どおりクソみたいなクソ機械である。
ほんと、深き夢見しクソ心地。
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