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私が欲しかったもの

 子どもの頃から赤ちゃんが大好きだった。子どもの頃から妊婦さんに憧れていた。妊婦さんの大きくてまん丸のお腹には、たくさんの希望が詰まっている。

 自分が産むことができる回数は限られている。ならば!取り上げる側になろう。そう思って助産師になった。

 出産は病院でするのが当たり前。お産は痛いもの。でもなるべく騒がずに、上手に産まなくては。そう思っていた。
 助産師学生時代の助産院実習で、私のお産に対する考えがガラリと変わった。

 泣いてもいい。叫んでもいい。怒ってもいい。「ありのままでいいんだよ。バカになんなさい」そう言ってお母さんの傍にいる助産師さんの姿に心を打たれた。

 「お母さんがどんなことを言っても受け入れるの。絶対に否定しない。そして必ずお母さんの傍にいる。お産は原風景。その子をこれから育てて行く中で、何度も思い出す。だから、そこをサポートしたい」そう助産師さんが教えてくれた。

 こんなにも自由で本能的なお産があるのだと思った。温かくて薄暗い部屋で、大好きな人たちに囲まれながらのお産。見ているだけで涙が溢れた。

 私もこんなお産がしたい!!

 助産師学校に入学したのは長男と次男を産んでから。しかもその後離婚した私に、この夢を叶えることができるだろうか。
 いつか3人目を助産院か自宅で。そう思いながら、シングルマザーで年子男子を必死に育てていたら、いつの間にか40代に。

 妊孕性を考えた時、そろそろ最後のチャンスかも、と。私の考えだけではなく、私のからだの細胞レベルでリミットを感じた。

 「死に際後悔したくないの。いのちが消える時に『あ〜、やっぱりもう1人産んでおけばよかった』って思いたくない。トライして授からなったら後悔はないけど、トライしなかったら、絶対に後悔する!更年期になったら、閉経を前にきっと発狂する!どうしてももう1人産みたい!」
 パートナーに必死のプレゼン。

 私の熱意に絆され、パートナーが同意をしてくれた。

 それから妊活し、2クール目で授かった待望の第3子。念願だった助産院の扉を叩き、自宅分娩を依頼した。

 助産院でお産をするということは、基本的には医療介入なく産むということ。妊娠初期から、自分の心と身体の声に耳を傾け、対処していくことの積み重ね。

 お産の時も、促進剤や吸引や鉗子もないから、自力で産むための体力と精神力を身につけなくてはならない。

 助産院の助産師さんと一緒に、その時々の課題を見つけて向き合う作業を続けて行く。

 予定日を3日過ぎて、待ちに待った陣痛がやってきた。助産師さんが自宅に到着した時には子宮口はほぼ全開。

 するりと行くと思っていた。

 赤ちゃんが大きいこと、赤ちゃんの骨盤への入り方がよくなかったことにより、全開から5〜6時間かかった。

 2〜3分おきに繰り返しやって来る陣痛。椅子にもたれ掛かりながらひらすら耐えた。助産師さんがその間ずっと、私の背後につき、背中から腰にかけてさすってくれた。

 その温かい手。一生忘れない。今でも何かでしんどくなると、その「手」を思い出す。その温もりを思い出す。
 「大丈夫。きっと頑張れる」。そう思える。「原風景」ってこういうことなのだ、と自らの体験を以て知った。

 赤ちゃんの頭がだいぶ降りてきて、布団に横になることに。
 「いきんでみよう!」と助産師さん。

 横向きになり、壁を両手で押しながら力いっぱいいきむ。足は助産師さんが抱えてくれて「思い切り蹴ってごらん、私を!」と。

 赤ちゃんの頭が出ると、あとはいきまなくても身体が続いて来る。
 「ほらほら!下に手伸ばして自分で取り上げてごらん!」。助産師さんに言われるままにする。

 憧れの瞬間。ヌルッと温かいわが子を自分の胸の上に連れる。
 この上ない喜び。
 この上ない達成感。
 こんなに幸せな瞬間を経験したのは初めてだった。

 自分の胸の上で産声をあげたわが子。「ようこそ!ようこそ!よく来たね!ありがとう」何度もそう声を掛けた。

 ずっとずっと憧れていた自宅出産。「人生に悔いなし!」。取り上げてくれた助産師さんにそう伝えた。

 
 あの時「これが最後のチャンス!」と妊活する道を選んだ私に「ありがとう」。「高齢なんだし病院にしなよ?」「何かあったらどうするの?」という周囲の声に耳を傾けつつも、「助産院にお世話になって自宅で産むんだ!」という強い意志を貫けた自分に「あっぱれ!よくやった!」。

 「自宅出産したい!」。それは確かに私の夢だった。でも、私が本当に欲しかったものは、実は「夢の実現」ではなく、「夢の実現」を通して得ることができる「生きるためのエネルギー」だったのかもしれない。

 生きていたら、辛いこともある。悲しいこともある。その中を生きるためには、頑張ることをしなくてはならない。その頑張りの原動力となる「原風景」を手に入れた私は、今を逞しく生きている。

#自分で選んでよかったこと

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