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2024年の終戦記念日

8月15日で三男が生後9ヶ月を迎えました。
そして、終戦記念日。
さらに大好きな大伯母の命日。

祈りに包まれた日にするつもりが…数日前からからポコッと発熱🥵。

包み込むように大切にしたい祈りの気持ちを、ぞんざいにぶら下げるようにせざるを得ない状況。

39.6℃もあれば、くずるばかりで。
火の玉を抱えているよう。

幼い子どもの体調不良。こういう時、医療者でよかったと思う。何の知識もなかったら、高熱でハーハー言っていたら動揺して救急車を呼んでしまうかもしれない。

全身状態を見ながら、内服や受診の必要性やタイミングを判断することができる。
ただ…無理もさせがち。「自分で看られる」「こんな時間の受診はスタッフの迷惑かな」など、医療者がゆえの考えが凶と出た経験も。
そこを自覚し、今回は早めの受診。

翌日は台風が来る予想だったし、かかりつけは翌々日の診療を最後に1週間休みに入る。

自転車の前乗せに乗せたかったけれど、40℃近くあるとぐったりしていて厳しく、車だと嘔吐した際に私だけではすぐに対処してやることができないため、抱っこ紐に入れて自転車。

こういう時、ひとり親であることのしんどさと、何よりわが子を辛さに晒すことへの申し訳なさを感じるけれど、そこは上の子達の時にたんまり経験済み。自分の気持ちとの折り合いの付け方を熟知しています。

強い陽射しが照りつける中、抱っこ紐に10kg近いわが子を入れ、その前後には特大アイスノンを挟みます。
ぐったりしている彼に「大丈夫よ~。必ず良くなるからね。お母ちゃんが付いてるから大丈夫」と。

信号待ちで止まり、はたと思う。
「私っていつもこうだな。本当はちょっと不安なクセにいっつもこう言う」と、クスッと笑いそうになった。

長男や次男にもそうして来たし、猫達にも。
彼らが怪我や病気になると必ず。「大丈夫。お母ちゃんが付いてるから。絶対に助ける」と。

これは仕事中も一緒で…。

大量出血のお母さんを搬送する時も、呼吸障害の赤ちゃんを搬送する時も。必ず。
「大丈夫。みんなが付いてる。必ず助ける」

何の根拠もないのだけれど…。
そこにあるのは、これまでもそうして来てうまく行った、という実績。

あとは…多分…20年近く前に父が私にくれたひとこと。
これが大きい!!

「大丈夫だから。お父さんが必ずなんとかする」。
私が親知らずの抜歯の処置を受けた際に動脈損傷をし、夜間に父が車で私を病院に連れて行ってくれた時のこと。

あの時のことは今でも忘れない。
口から溢れる出血。バスタオル数枚とフェイスタオル数枚。血を吐き出しても吐き出しても、次から次へと。
手足が冷たくなり、徐々に末梢が閉じて行くのがわかった。
看護師新人の頃で、まだまだ知識が少ないながらも「え?これ、このままだったら死んじゃうやつ?歯1本で?歯1本で死にたくないなぁ」と考えていた。

父は医療者なわけでもなく、誰かの出血など見たこともなく、今思えば私より不安だったに違いない。
そんな中でのあのひとこと。
きっと、父は自分が冷静でいられるようにするために、言い聞かせる意味もあって言ったのだ、と今はわかるけれど、当時の私には、あの父のひとことがどれだけ心強かったか。
「大丈夫だ。なんかイケる気する」。
そう思えた。

この父とのエピソードが、今の私の「大丈夫。必ず助ける」に繋がっている。
相手と自分自身を安心させ、力づける魔法のことば。

受診結果はただの風邪。

気が緩んだせいか、帰りの道のりは行きよりも暑い気がして、耐え難い暑さにブツブツ文句を言いながら自転車をこいだ。

でも…空を見上げながら、「戦争中じゃないんだから幸せよ。ちゃんと安らげる家があって、ごはんを食べることができて、家族と過ごせる。79年前の今日、私のように乳児を抱えるお母さん達はどんな思いだっただろう…。それを考えたら、甘えたことを言ったらいけん」と思い、「おばちゃん(大伯母のこと)、逞しく生きてるからね、私」と心の中で呟いた。

丁寧に、厳かに、静かに黙祷をする時間はなく、「ながら祈り」になってしまったけれど…午前中ぶら下げたままになっていた私の「祈り」の気持ちをしっかり回収した帰り道でした。


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