愛を超える「慈しみ」を学ぶ~魂のパートナーシップ
魂のパートナー、片割れヒロキと暮らし始めて8か月が経った。
前回の投稿から投稿することもなくずいぶん日が経ったのは、理由があるの。
実は、去年5月13日を境にヒロキは徐々に私を受け入れた。あれほど「好みじゃない」「ハグやキスはしたいと思わない」と言われていた私も、「カビゴンみたい」と言われながら、日々「愛しい」「かわいい」と愛でられている。新しいヒロキは心向くまま前向きに、意欲的に過ごしている。そして何よりあっこ(私)への愛の表現が自由になり、私が戸惑うほど。
気づくときは感受性が豊な私のほうからなんだけど、この先ずっと共に生きるときめているからこそ、すっきりと晴れやかな気持ちになりたい私は、ヒロキの過去から今日この頃までの「違和感ある点」について重箱の隅をつまようじでつつく勢いで根掘り葉掘りした。
24時間ほぼ一緒に過ごしているせいで、違和感を感じたら、即シェア。これはお互いの体力や気力もおおいに消耗したけど、無意識レベルの古いパラダイム(ものの見方・考え方の習慣)は少しずつ新しいパラダイムへと移行している。ここ2日間の私たちはとても穏やかに心地よく過ごしている。
ってなわけで、
さらに進化した私たちをシェアしよう!
1.ツインレイの課題ー目に見えるものへの執着
年齢差20の私たち。しかも私のほうが年上。
これだけで大いに悩み、悲しんだ。
だってヒロキは朝起きても顔には枕の跡さえつかないぴちぴち28歳。
アラフィフならわかるだろう。どんなによいクリームを塗ったとしても、朝起きたらずいぶんとくっきりシーツのしわすら残る。
15年前、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断されて生理は1年に1~2回だった。3人も子どもがいるので、生理なんていらないや、と一度きりでホルモンのバランスを整えるための注射をしたきり何もしたなかった。
それなのにその後4人目を出産し、生理の周期はかわらないまま、7年前。酵素ジュースを1か月間飲んでいたら、足の皮がべろっと向けて、その後生理が復活。喜んだのもつかの間、おかげで子宮筋腫が大きく育ち、もういらないだろうと全摘出した。
そんなこんなでホルモンのバランスがいい状態がなんなのか分かっていない。そしてこの病気?のせいだろう、あごにひげが生える、それを「たのしー」とぴんぴん抜くヒロキにすごく申し訳なくなるのと、ほっとする気持ちが混在する。
私は相手の容姿や体型や年齢に関しては全く気にならないのだけど、自分自身のそれらを思い悩んでいることに気づかされた。
私とはそこが真逆だったヒロキ。
ヒロキは目に見える自己評価がとても高かった。容姿端麗・頭脳明晰・スポーツ万能、そこそこ中の上やろ、と。
そしてそんな自分をさらに引き上げる彼女はどの人も誰もが認める才色兼備だったらしい。
まるでアメリカの青春映画のプラムキング&クイーンやな。
別れてもそれは自分のトロフィーとなり、コレクションの棚に並べておく。
どの思い出も聞けば聞くほど「楽しいこと」や「健やかなこと」や「うれしかったこと」しかでない。
んなことあるかいっ!!
って1つ1つの出来事をほじくってようやく、ぽろぽろっと「むっとしたこと」や「悲しかったこと」「腹が立ったこと」がでてきた。
自分にとって都合のよい「美しさ」を手放したら、ヒロキに喜怒哀楽がもどってきた。そしたら私の自分に対する容姿や年齢の劣等感も薄らぎ、ヒロキが歴代彼女たちへのしつこく残る嫉妬心(過去のヒロキにとってトロフィーになるほどの人たちだから)もなくなり、ヒロキが彼女たちに抱いていた恋しい気持ちや寂しさや喜びでさえも、素直に受け入れることができて私自身がほっとした。
今思うと、何度も過去生でも重なりがある私たちなので、因縁の数もからみっぷりも多いと思うの。中途半端な理解では到底腹の虫がおさまらないんだろうな。女性関係というより、知覚のレベルで齟齬がないようにしたい欲求が絶えずある。
2.ツインレイの課題ー愛情ではなく慈しむ心を学ぶ相手
3000年前の双子の魂だった頃。
仲の良い兄妹としていつ時も一緒に過ごしていたし、この先も一緒だと思って暮らしていたけど、兄(ヒロキの前生)に妻をめとるときが近づいてきた。私にももちろん相手はいたけど、その人ではなくその状況を気に入らなかったのだろう。ある夜、私はひとりその部族が暮らす場所から飛び出ていった。もちろん兄が追ってくるとおもっていたのに、来なかった。
馬鹿なことをしたと一瞬気が付いたが、戻ることもできずただひたすら夜道を歩き、寒空の下うずくまって涙したのを覚えている。
3000年の時を経て、兄(ヒロキ)は私に言った。
迎えに行かなかったんじゃない。帰ってくると信じて待っていたんだよ。
いやいや兄よ、それはないよ。
だってその運命を受け入れたくなかったんだからさぁ。
おいおい妹よ、それはないよ。
せめて出ていく理由を言えよ。もしくは一緒に出ようと声をかけてくれよ。
いやいや兄よ、状況をみてよ、悟ってよ。
いやいや妹よ、、、、
とお互いなすり合いは続く。
ってなことを毎転生ごとにやっていたんだろうな。
でそんなこといつまでやるんかいっとお互いツッコミ、今世ちょっとだけバージョンアップ(進化)した私たちが考えた結果、
相手のため、と言いながらもその時の自分の気持ちを忌憚なく伝え合わなかったことが原因だと知った。
(あっこ)どうせ伝えても分かってもらえんやろ=物惜しみ(相手が理解しないとわかっているのであれば、伝えないのではなく、相手が理解できるような伝え方をする)
(ヒロキ)言わんでもわかるやろ=主体性が未熟(過去の事実をかえりみる力が未熟)
それぞれの課題が丸っとみえたから、お互いに遠慮したり、必要以上の配慮をやめることをした。いや、お互いに慈しむ心を発揮しようと決めた。
3.相手を慈しむ心を育てる=戦争にならない
戦争はどこでも起こる、と私は思っている。
何もミサイルや爆弾を放つことが戦争ではない。自分の正しさを相手に押し付けたり、相手の言いなりになること、自分の心と行動が一致しないことも戦争だと思う。そこに対立が生まれれば、戦争なんだ。
私とヒロキも魂の出会いを果たしたあと、何度も何度も戦争していた。そのたびに苦しく、悲しく、疲れ果てた。
どうしたらお互いを受け入れ、和解するのだろうか。悩み悩んだ。
和解とは黒を白ということでも、その逆でもない。
黒は黒、白は白で理解し、そうであることを受け入れることから始まるし、黒の中にちょっと白が混じっていることも許すことである。
もし、私が白でヒロキが黒だったら、その割合を譲ることではなく
馴染んでいく
混ざりあっていくことなんだな、と二人でお散歩しながら話した日から、少しずつ混ざり合ってきた自分たちを知って嬉しくなった。
そしてそれが慈しむってことだと知った。
「愛する」ことは所有欲だと知った。
私はヒロキを愛してる。独占したいと感じるほど。今日のところは100%中、90%くらい愛してる。だから嫉妬もやまないし、身体が離れる瞬間は寂しいと感じる。
でも少しずつなんだけど、慈しむってのがどういうことなのか実感する機会が増えてきた。
「慈しむ」って無条件のやさしさ。
交換条件でも自己犠牲でもなく、ただただ相手を思いやる気持ちが溢れ出ている感じ。
ヒロキを想い、慈しむことで私に絶えず勇気と希望が湧く。
エネルギーの循環を感じるの。これがヒロキとだけではなく、ひとりでも多くの人と分かち合えたらいいなと思ってる。
これが出会う人たちにどんな影響を与えるか。ただ最近は自分にとってちょうどいいと思える選択をし始めた仲間が増えてきたな、と感じる。
これは本当にうれしい!そしてそんな仲間たちと過ごす時間はとっても心地がいい。
さてさて、ようやく私たちのパートナーシップが発揮されてきたぞ!
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