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「小悪魔ageha」における「地方志向」の正体

「週刊メルマガクリルタイ」Vol.57 (2010/09/01 配信分) への寄稿原稿の再掲。

「小悪魔ageha」における「地方志向」の正体

今回の話は「.review」の論考『ライフスタイルとしての「小悪魔ageha」と「森ガール」分析』の中で特にage嬢の中に見られる「地元志向」について考察してみたものである。

◎age嬢の二つの志向性

 age嬢の中には歌舞伎町や六本木などのトップクラスキャバクラで成功することを目標とする人たちもいる。一方で、あくまでも地元で活動し、地元から出ない方向性を持つグループもいる。

 典型的なのが2008年11月号の特集記事である。「小悪魔ageha」には目次がないので正式なタイトルがどこからどこまでなのかわかりにくいが、表紙のポエムによれば「夜に生きる 昼に生きる 私たちが今、生きている街'08 息をするのも疲れるけど、この街のネオンの下を選んだ。ここが私たちの本当の目的地ではないけれど」という特集である。

 東京志向組は、六本木の早川沙世。銀座の山口幸乃。歌舞伎町のりん。また、山口県床波のエステティシャン木下布美子は、「東京へ行きたい」と語っている。

 中間的存在として、関西圏や名古屋で活躍するグループがいる。ミナミの姫崎クレア、キタの姫乃蓮、祇園の百合華、神戸のフリーターみきてぃ、名古屋の水野有美。このほか、ageha専属モデルとなった桜井莉菜(さくりな)も大阪出身である。東京との対抗心を持ちつつ、大都市の繁華街での成功を目指すタイプがこれだ。

 そして、地元密着型のモデルたちが挙げられる。この特集では札幌の黒瀧まりあ、仙台の純恋(すみれ)、千葉のトレーラー運転手渡辺かなえ、新潟の木村るい、静岡の桃華絵里、広島の貴咲愛鈴がいる。

 もう一つ例を挙げよう。2010年2月号の「ちょうちょの夜物語」小特集は二章に分かれている。

 第一章「地元ちょうちょの日常」では広島の貴咲愛鈴、熊本の城咲美華、福島の遠藤彩香、福岡の吉川ぐり・吉川ぐら、鳥取の双葉、山口のMA*RS嬢ありすん、愛知の成愛唯乃・成愛恋。

 第二章「歌舞伎ちょうちょの憂鬱」では8人のage嬢が紹介されている。

 このようにage嬢には「地元」派と「歌舞伎(六本木)」派が共存している。

 私自身が奈良生まれの奈良育ち、高校が泉州、予備校が難波、大学が京都というコテコテの関西人であるため、「東京がナンボのもんや、東京だけが世界とちゃうで」という地元郷土愛精神というのは理解できる。一方で、「上昇志向があるなら東京に出て当然、田舎でくすぶっていても仕方がない」という考え方も世の中には存在している。

 ここで地元志向と中央志向について『ケータイ小説的。』(原書房・2008年)で示された速水健朗氏の分析をおおざっぱにまとめておこう。それは「ヤンキーは地元志向、ギャルは中央志向」という傾向だ。

 だが、age嬢はその両方の要素を兼ね備えていると思われる。実際、age嬢には、雑誌「egg」に代表されるギャル系と、浜崎あゆみに代表されるヤンキー系の両方の文化要素が入り込んで混在している。だとすれば、地元志向と中央志向が共存していても、何ら不思議なことではない。

 ……と片付けるならば、少々結論を急ぎすぎているようだ。もう少し詳しく見てみよう。
 中央志向が当然でもおかしくないage嬢たちは、なぜ地元にとどまるのか。

◎ももえりと「地元」

 地元が好き、地元で生きる―それが彼女たちのあるグループにおいては重要な「自分らしさ」のアピールポイントとなっている。

 最も典型的な例として、「小悪魔ageha」のモデルを卒業した静岡の桃華絵里(ももえり)が挙げられよう。バツイチ・シンママ(シングルマザー)の静岡キャバ嬢であり、人気ageモであった。その後、キャバをやめて専属モデルとなるが、2009年6月号で卒業。自ら設立した会社・ブランド「Moery」での活動に専念しているが、本拠地を静岡に置き続けている。

 先に挙げた特集でも「この先一生静岡から離れて暮らすことはないっていう確信があるんだ」「私は本来生まれた場所に根を張って生きるタイプ。地元密着型の人間なんだ。それに心のどこかで、地方で頑張ることに意味があるとも思ってる」と語っている。

 シンママキャバ嬢からageモとなり、さらに起業したという典型的成功例を背景に支持を集める「桃華絵里」というブランドを前面に押し出したファッションショップを展開している。その中で、単に夜嬢のファッションをサポートする商品だけではなく、「ももえりプロデュース焼津魚河岸シャツ」を展開するなど、地元性も一つの柱にしている。

◎ギャルの田舎志向

 この地元志向は、実はage嬢の一部だけに見られる傾向ではない。今やギャルも同様に田舎志向を示している。その典型が、「ノギャル(農ギャル)」の登場だ。

 「ノギャル」すなわち渋谷のギャルたちが秋田などで農業に取り組む企画である。仕掛け人は元「ギャル社長」でギャルをキーワードにしたイベントや企画を打ち出し続けている藤田志穂。余談だが、実は私もその主催するクラブイベントに一度参加し、名刺交換したことがある。計画性や実現性は別としても行動力や発想力は抜群の藤田社長が、よりによって「農業」なのである。以前からエコにも関心を持っていた彼女だから(マイ箸を持ってギャルが歩くエコファッションパレード、由比ヶ浜での1万人のビーチクリーンなどのイベントを開催している)、農業に向かうというのも自然な流れといえばそうなのだが、自然とは対極にありそうな渋谷ギャルのファッションを崩すことなく「地元」「田舎」に回帰していく。

 藤田社長の仕掛けとしては「ギャル浴衣」などもあり、「伝統とギャルの統合」を違和感なく行なっている。そう考えれば、「ももえり焼津魚河岸シャツ」もさほど不思議には感じられない、当然の流れとも言えよう。

◎画一化の中での地元志向

 では、どうして「ギャルを田舎でやる」ことが可能になったのか。それは、郊外の「ファスト風土化」やコンビニの定着など、グローバルな展開が完全に地方において根付いたことが原因ではないかと私は考える。

 日本全国どこにいても、中央とすっかり同じ文化が手に入る。ロードサイドの風景がどこに行っても同じようになっていく、「ファスト風土化」現象はすでに当たり前のものとなった。TSUTAYAもユニクロも全都道府県にあり、ドン・キホーテは北海道から宮崎・熊本までの38都道府県に店舗がある。age嬢の愛用する「つけま」を買えるドン・キホーテは、別に渋谷や六本木や歌舞伎町にしかないわけではない。せいぜい隣県まで足を伸ばせば、あの人気ageモと同じデカ目を作れるのである。

 そのような画一化の波の中で、「東京に出なくても東京文化を享受できる」ようになった。そして、「地元愛」がその中でアイデンティティー(自分らしさ)の一つのよすがになってきたのではないだろうか。アイデンティティーとは、「あんなふうになりたい」(同化)と「他の人とは違っていたい」(異化)という、一見矛盾した思いの中で作られる。あまりにも容易に画一化された「東京文化への同化」ができてしまう今、それを踏まえた上で自分らしさを作ろうとして、そこに「地元」がクローズアップされるということは充分考えられることである。

 ただし、それは「消極的な地域化」ではないかと思われる。つまり、「この街が好きで盛り上げたいから」という積極的な理由ではなく、「都会に行く必要がなくなった」「地元でもやっていける」という消極的な理由が根底にあるように思われる。

 ももえりも「静岡」である理由は「そこで生まれ育った」という以外にない。積極的に静岡への郷土愛が示されるのではなく、抽象的な「地元密着」「地域」という言葉が使われていることにも注目したい点である。今回、「郷土愛」ではなく「地元志向」という言葉をあえて使ったのはそのためである。

◎消極的な地元志向

 この地域化が消極的なものであることを、実例から示してみたい。

 「小悪魔ageha」2010年5月号の特集「全国8都市日本崩壊ミシュラン」では、「小泉政権の聖域なき構造改革から10年。繁華街には閑古鳥が鳴き、ロードサイドにはショッピングモールが乱立し、駅前商店街はゴーストタウン化…。日本の風景が変わってくなか、私たちの街はどこへ向かうのか。故郷の明日はどっちだ」と書かれている。

 取り上げられた街は渋谷(八鍬里美)、すすきの(新条絵里香)、歌舞伎町(りん)、六本木(山上紗和)、ミナミ(西山りほ)、北新地(まなか)、群馬県高速道路沿い某所(おりもあい)、神奈川県山沿いの奥地(愛内心愛)。

 都会と地方の双方をバランスよく含む8つの街の変化について、それぞれがそれぞれに語る企画だ。彼女たちはこれらの変化に多少の哀愁を感じつつも、淡々と受け入れる姿が見られる。

「どんどん変わってくのが渋谷だし、それもまた1つの流れに過ぎないと思うけど」(八鍬)
「最近つぶれた靖国通りのセブンのこともそのうち記憶から消去されそう。変わっていくのがさびしいって言う割に結構薄情だよね(笑)。」(りん)
「どう変わろうと時代の流れに合わせてうちら生きていくしかないねん。」(まなか)
「車社会の一員になって駅前商店街に行かなくなった。変わったのは街よりも私の生活。」(おりも)
「高崎に足りないのは流行だって思ってたのに、実際109に入ってるような店が進出してきたら、思ったより嬉しくなかった。大宮みたいに立派になっちゃうのかな。友達が夏休みデビューした始業式みたいな気分です。」(おりも)
「ニュータウンのコたちはみんな似たような家庭環境でヤンキーもお嬢様もいない。地元サイコーってほど愛もない。」(愛内)

 変化は仕方がない、でもそれはあくまでも「仕方ない」ことであって、歓迎しているわけではない、というニュアンスが伝わってくる。

 おりもあいが高崎の変化について、「109に入ってるような店が進出」してきたことを当初は歓迎していながら、結果的には「思ったより嬉しくなかった」と語っているのは、非常に象徴的である。

 ファスト風土的、都会的なものが地元にも来ることを喜んでいた。しかし、いざ来てみるとそれほど嬉しくない。複雑な心境が示されている。それは、age嬢だけに限らず、画一的なファスト風土の風景を目にした人たちの中にわき起こる感慨なのかもしれない。そういう背景があるからこそ、(ヤンキーと違って華々しい夜の蝶としての舞台は明らかに中央にあるにもかかわらず)age嬢は歌舞伎・六本木を目指さなくなるのではないだろうか。

age嬢の地方志向は、郷土愛や「反東京」精神が深まった積極的なものではなく、画一化の反動による消極的なもの、と考えてよいように思われる。「東京がなんぼのもんや」ではなく、「別に東京までいかんでええやん?」なのだ。


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