奄美が復帰するまで②(昭和23年)

毎年この時期はあっという間に過ぎていきますが、昭和25年の12月はより一層ものすごい速く感じられたのか、それとも長く感じられたのか…お待たせしました、昭和23年(1948)のお話です。
前回はこちら↓

昭和21年に新憲法が公布され、戦時中よりも「権利」が保障された!自由だ!(ただし本州への渡航を除く)と思ったのも束の間。
昭和22年10月には軍政府が手のひらを返すかのような「命令15号(集会・言論・出版等の自由規制)」を下しました。
これにより大っぴらに体制批判が出来なくなります。

昭和23年(1948)4月、教育改革が行われ、これまでの国民学校制から、奄美も本土のように「6・3」制の義務教育課程となりました。
しかし
新制度にあわせた教科書が全く足りない。
戦時下の教科書は敗戦後の墨塗りで真っ黒のため、使い物にならない。
このまま教科書もなく、初歩的な教育の繰り返しばかりしていたら、島内の義務教育の水準において一年一年、本土との格差が生じてしまいます。
軍政府が支給してくれるのを大人しく待っていたら、いったい何年先になるか分からない。
どうにかして本土から教科書を仕入れる方法はないものか。
「6・3」制度が開始された2ヶ月後、若い2名の教師が手を挙げました。


(途中ですが、家族の介護のため一旦ここで切りまーす!)

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