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1919年、ヴェルサイユ条約後の賠償金を92年かかって完済したドイツとロシア(ソビエト連邦)と現在

またかなーり間の空いた投稿になってしまいました…。
ウクライナ情勢について、思う事はものっすごくあるのです。
ただ、本当に世論が感情論で分かれていたり、またそれを更に煽動するメディアの姿勢であったり、どんどん複雑化していくので、思考整理しきれていない感があります。

侵攻中の時事に関しては日本のような安全圏では事実を知ることも難しく、また「現場から」という報道であっても基本的にどちらかのフィルターがかかっているものなので公平な報道があるとは考えていません。
CNNなんて直前まで契約者激減だったから喜んでるんじゃないのか
戦場で何が行われていたのかに関しては、おそらく停戦・終戦以降長い時間をかけて明らかになるだろうと考えています。
(早期の停戦を望みます)

なので基本的にはどちら側からの新情報も鵜呑みにせず、2000年代のプーチン政権成立後〜2022年2月23日、侵攻前日までの時事、特に改ざんされにくい経済の統計系統をなぞる事を重視しています。

でも自分の中で整理しきれていないのに、全体公開されるメディアであるnoteに書くのもなんだかな…と思って躊躇っていました。

なのですが今日、こちらのnoteを読みまして。


おおむね「立場があればそれだけ正義が存在するもんなぁ…」と共感する部分が多かったのですが、終盤の段落について。

ご参考までに。1930年代後半にイギリス国内で、ヴェルサイユ条約で過剰に苛酷な条件をドイツに強制したことに対してヒトラーが反発したことに同情をして、ヒトラーの主張にも一定の真理があると、その主張や行動を擁護する意見も少なからず存在しました。そして、ドイツに対して厳しい制裁をすることには、反発する声が少なからずありました。これを、イギリス政治外交史の専門家として記しておきます。国際連盟規約という国際法に背いても、戦争を回避するためにドイツに同情し、譲歩をするべきだという意見が勝り、1938年9月のミュンヘン会談ではチェンバレン首相がそれを実践しました(詳しくは、Wedge2022年5月号をどうぞ)。もちろん、戦争はより大きな規模で、より悲惨な結果として到来します。

ここで少し疑問が湧きました。

「ヴェルサイユ条約は1919年。
この文章で示される英国首相チェンバレンの親独姿勢は1938年。
その前でヒトラー政権発足してるし、どっちかっていうと欧州の警戒対象は、1917年のレーニンによる10月革命以降、ソ連邦とスターリン体制における欧州への共産主義拡大。
英国がWW1以降の反独→親独になるのはヒトラーが云々というより、1924年以降のソ連=レーニン死去後スターリン指導のもと共産主義拡大の動きを警戒したからじゃなかったっけ?」
と。

この時代のナチス政権イメージについて、プーチン大統領の発言以外でも様々なメディアにより
「プーチンの独裁こそ、ヒトラーの再来じゃないか!」
と揶揄されていますが、果たしてその発言は本当にこの1917年から1930年代、第二次大戦前夜の欧州の歴史を踏まえた上で発信されているんだろうか?という部分が気になります。

ナチスドイツとその周辺の国の対応を語るならば、その時期の欧州の動き、当然ながら共産主義台頭と勢力拡大への懸念もセットで語られないと、誤解が生じると思うのです。

戦後(というか皮肉なことにソ連崩壊後の平成初期から、より顕著になった)左派寄りの歴史教育とメディアでは、基本的に共産主義へのネガティブな情報発信をしません。
なのでナチスドイツ批判はしても、当時のソ連=共産主義の脅威や、1950年代以降の中国共産党の独裁や大躍進政策などについても、ほとんど高校までの歴史教育で教えられなかった(知る機会を与えなかった)弊害ではないでしょうか。

ウクライナ侵攻も同様です。
ウクライナとロシア間の二国の軋轢だけでなく、
プーチン政権発足以降の2000年代〜2022年2月23日までのロシア・ウクライナの輸出入と欧州・中国との関係性などユーラシア大陸における経済状況についての知識も踏まえていなければ、見誤ると考えています。

1919年〜1935年のドイツ

1919年 ヴェルサイユ条約締結。
1923年のミュンヘン一揆主導以降、ヒトラーの政治活動が活発になりますが、1920年代中盤の好景気でナチ党支持は一旦弱まります。
その後ナチ党支持率が再び上昇するのは、世界史で必ず習う1929年の世界恐慌の後です。
ヒトラー内閣発足は、1933年1月30日。
ヒンデンブルク大統領死去により「大統領・首相」の権能を握る「総統」の座に就いたのは、1934年8月。
この間、新聞などメディア規制・統率をかける一方で、
今も活用されているアウトバーン建設などの公共事業で失業者600万人超→1年で300万人へ。
これで国民から絶大な支持を得るようになりました。
そして
1935年3月16日、ヒトラー、ヴェルサイユ条約の軍事条項を破棄してドイツは再軍備を開始。

1917年〜1924年のロシア→ソビエト連邦

一方、ロシアでは
1917年、WW 1参戦により食糧輸送が麻痺して前線や都市住民の食糧確保が困難になり、ペトログラードで帝政に反対する「パンをよこせ」デモ発生。
当初はデモ隊への鎮圧を行なっていた軍部が5日目に反乱に賛同。政府軍が消滅し、政府閣僚が逮捕される(二月革命)
革命政権発足に伴い、ニコライ2世が退位し、ロマノフ王朝による帝政崩壊。
同年、レーニンが10月革命を起こしてレーニン政権発足。
同年12月、独断でドイツ帝国と休戦交渉へ。
1918年2月、ブレスト=リトフスク条約締結によりロシアは戦争から離脱。
1918年5月、ロシア共産党、「食糧独裁」開始。農民の余剰食糧を強制回収して都市部へ送り込むために農村で徹底的な徴発を行う。
1920年、ロシア、ポーランド侵攻開始。
1921年3月、レーニン主導で新経済政策(ネップ)導入。
1921年、ロシア、ポーランド侵攻失敗、撤退へ。
1922年、共産主義国家のソビエト連邦へ。
1924年、レーニンの死後スターリンが政権掌握、独裁国家へ。
以降、世界恐慌で欧州が疲弊している中でスターリンによる計画経済は「世界的不況や国外からの経済制裁を受けにくい」という利点が働き、全ての生産手段が公有とされる強制的集団化で急速な工業化と経済成長を遂げる。

この状況を見ていた西側諸国(の政治家)は、共産主義を脅威と捉えるようになります。

英国の反独→親独路線への転向

そんな状況の中で第一次大戦後は強硬な反独姿勢であった英国の元首相、ロイド・ジョージ(首相在任期間:1916年〜1922年)は1934年にこう発言しました。

「近いうちに、おそらく一年以内だと思うが、わが国の保守主義勢力は、ドイツをヨーロッパで拡散する共産主義思想に抵抗する前線基地だとする考えで一致するであろう」

WW2の後、現在の資本主義を支える根幹に「ケインズ主義」がありますが、そのケインズ主義を確立したのが退陣後のロイド・ジョージなので、ナチスドイツによる政治全体についての賞賛というよりは、

「世界恐慌から素早く国内経済立て直せたのはソ連とドイツくらいだけど、共産主義を褒める訳にはいかんから、とりあえず共産主義じゃないドイツの経済政策は褒めとこ」(超意訳)

くらいの感覚だったのではないかと。その後のナチスドイツへの警戒を緩めてしまうことに貢献してしまったのは、残念極まりないことですが…。

退陣したとはいえWW1を戦い抜いた為政者として英国民にまだまだ人気のあったロイド・ジョージが、反独→親独・反共に転じたことは、少なからず英国の外交方針に影響があったと思われます。
特に、ロイド・ジョージ退陣以降、権力闘争で紛糾した英国政治の中で首相となったネヴィル・チェンバレン(首相在任期間:在任期間:1937年5月28日 - 1940年5月10日)に。

とはいえロイド・ジョージはその後再び「反独」姿勢を示し、チェンバレンのナチスドイツに対する姿勢を批判して

ヒトラーの野望を見抜けなかったチェンバレン英首相と気付いていながら対決を避けたダラディエ仏首相。この無能で臆病な二人の宥和(ゆうわ)政策がヒトラーの進撃に道を開いた。
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20200122/pol/00m/010/004000c

などと言い放っているのですが。
「国政の最高責任者という立場」を離れると気楽なものです…。

が、一部の政治家が親独に見えても国際政治的にはドイツへの制裁が緩むということはなく、引き続き賠償金支払いが続いていました。

だから冒頭で挙げている細谷氏の

1930年代後半にイギリス国内で、ヴェルサイユ条約で過剰に苛酷な条件をドイツに強制したことに対してヒトラーが反発したことに同情をして〜(中略)
1938年9月のミュンヘン会談ではチェンバレン首相がそれを実践しました

この中での1930年代の英国での同情というのはロイド・ジョージ派の言動だと思われるのですが、それにより実際に英国側が政治的にドイツに対して同情的になり、何かしたというよりは「共産主義警戒を重視して、ナチス政権発足をスルーした」という消極的態度であり、何か協力的姿勢を見せた、という訳でもない。
ナチスドイツにしてみれば、別に英国の手を借りなくても1933年で既にヒトラーはナチス政権を発足していたのですし。

なおドイツのWW 1の賠償金完済は「2010年」です。
92年かかりました。

「制裁」と「制裁維持」が招く結果

私は「制裁」自体が悪いというよりも
「世界恐慌などの情勢変動を考慮せず、ズルズルと制裁を続けた結果、ドイツ国内の経済が1920年代から1930年代前半の短い間に

制裁による不況
→好景気
→世界恐慌による不況
→ヒトラー政権の公共事業により上向きに

と、激しい経済のアップダウンを繰り返した結果が、
「ヒトラーによるナチス政権を産み育てた」のではないか、と思うのです。
1938年のチェンバレンの親独路線は悪手だった、というよりは「遅すぎた」のではないかと。

歴史に「if」はありませんが、世界恐慌の時点でドイツへの制裁解除などがあれば、ナチ党があれほど急激に伸びなかったのではないのか?とも思います。

皮肉なことに、今回のロシアによるウクライナへの武力侵攻に関しても、ドイツはノルド・ストリーム2の運用承認停止(2022年2月22日発表)により大きく関与しています。

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/02/2-410.php

私は「立場」の分だけ異なる「正義」が存在すると考えているのですが
その中でも大きな単位の「国としての正義」が真正面からぶつかり合おうとするのが「戦争」であり、それを回避するための手法が「外交」や「経済」であると考えています。

念のため申し上げますが、私は決してナチスドイツや、ロシアの現在のウクライナ軍事侵攻に賛同しているのではありません。避難を余儀なくされているウクライナの方々のためにも、早期の停戦と政治的決着を望んでいます。

ですが、ナチスドイツであれロシアであれ、国民の生活を維持していくためには経済活動が必須なのです。
国民が豊かに暮らしていける国であり続ける。
それが、国としての「正義」なのですから。
その正義を維持するために政治面で一見敵対しているように見えても、経済面では握手してきた。
そのいい例が2021年までのドイツの「ロシアからのガス購入」です。
私はそれを悪だったと断言できません。
ドイツはドイツで国民生活を豊かにするため。
ロシアもロシアで国民生活を豊かにするため。
お互いが納得した上での資源ビジネスを行なってきた。
それを「悪」と一刀両断できるのでしょうか。

そうした疑問があればこそ、G20の参加国で「先進国対資源を持つ開発国」という新たな分断危機が起き始めているとも考えています。

現状、日本はG7のうち、米国・英国・カナダ・イタリア・ドイツとの協調路線として「親ウ反ロ」の姿勢を保っていますが、果たしてそれで我々が資源を購入している開発国との軋轢が生まれないのか?という点を私は危惧しています。



私の住む奄美大島の沖合、東シナ海のシーレーンを、毎日毎日原油を積んだタンカーが往来し、多くの国から資源を調達して国民の経済生活を支えている。
国外からの資源調達なしでは文化的に生きていけない国、日本。

その国に住んで今日も便利な生活を送らせてもらっている私は、そのエネルギー資源のビジネスについて、その歴史的背景を知らず、メディアの論調に同意し、安易に「ドイツもロシアもけしからん」と批判出来る立場にあるのか?日本の取るべき姿勢は本当にこれでいいのか?と2月24日以降、ずっと考えています。

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