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同じ日に2つある「復帰のつどい」

昨日に続き、今日も「復帰記念日」行事に関して。

昨日紹介したのは奄美市が主催している行事ですが、実はもう一つ市民主催でやってたりも。
こちらは「市民のつどい」です。

本来であれば、行政じゃなく民間のシマッチュが主体になっていた運動なので、こっちをもっと参加者増やした方がいいんじゃないか…?と思われそうですよね。

が、私はこっちの方には参加してません。
何故かって?
実際の復帰運動の最中に、おがみ山公園が「運動の舞台」になった事って殆どないからです。

むしろ高千穂神社の方が多くの市民の断食祈願の舞台となってたくらいです。
思想や宗教上の理由でその辺スルーする人多いですけどね。(好ましくない宗教の場だからって、復帰記念の日に実際に使用されていた場所をスルーするという姿勢は、国歌斉唱を省くのと同様に、果たして「次の世代に伝える」にふさわしいのか?ってそこも疑問)
それに高齢の方多いようですけど、おがみ山上る際に車使ってませんか?と。
あそこ道が狭すぎて通常は登山口にチェーン張って、車の侵入禁止にしてるくらいです。
なので車の交互通行なんて不可能な道なので、多くの高齢の方が参加しようにも、車渋滞どころか接触事故の危険しかない。
自力で上れる若い世代じゃないと無理です。
なのに、なんで復帰運動当時の舞台になってない場所(復帰の当日に国旗掲揚はあったけれど)にこだわるのかが理解出来ない。理由はそれだけです。

私は奄美市主催のつどいの方に11回ほど参加しましたが、あちらは「晴れてる時はおがみ山、雨天になりそうな時は名瀬小学校体育館で」という会場設営でした。

なので最初の5、6回のうち晴れてる時は日頃の自分の運動不足を反省しつつも、おがみ山を頑張って自力で上ってました。
でもその際に必ず毎回見かけるのは
70代80代と思しき市民が途中で疲れて休み休み上り、式が始まっても途中くらいにやっと上って来れたと思ったら、すぐ式が終わってまたすぐ下山しないといけない、という気の毒な様子。

でもTVや新聞の取材対象になってるような長老格の方々は、式が始まる前にせっまーい登山道をタクシーでゆっくりゆっくり上ってるのを毎回見てました。
で、思った訳です。

「真冬で寒くても、復帰運動を忘れたくないと思って自分から来てる高齢の市民が参加しづらい場所設定にして、いちいち市民に根性試しを課すみたいな事して何の意味があるんだろう?そんなんで昭和20年代当時、シマッチュのためにと復帰運動を率いた人たちが喜ぶのか?」と。

以降、市役所の職員だったり市議会議員だったり、言える機会があれば必ず
「会場を名瀬小学校の校庭にして欲しい。本来、復帰運動の集会は何度も名瀬小学校校庭を利用して行われていたし、復帰した昭和28年12月25日の祝賀行事も名瀬小学校校庭で行われていた。校庭の方が市街地ど真ん中なので、バスで来たりする高齢者も参加しやすい。なのに何故、記念碑や泉芳朗さんの胸像があるとはいえ、あれほどおがみ山に固執するのか理解出来ない。このままじゃどんどん市民の参加減りますよ」
と伝えていました。

それが功を奏したのかどうかは分かりませんが、数年前から名瀬小学校校庭での開催となり、今回は新しく完成した市民交流センターで天候を心配する事なく2年ぶりの市民参加型で実施となります。

「おがみ山でないと」と思ってる方もいらっしゃるようですが、あえて言わせていただきます。

「時代時代に合わせて伝える手法を工夫せずして、自分たちが慣れ親しんだ古き良き手法だけで、次の世代に伝えることが出来ると考えるのは年長者の驕りだ」
と。

一つも創意工夫しないで奄美の歴史や文化がそっくりそのまま次世代に伝わるのであれば、なぜこれほど奄美の郷土史は現在島に住んでるシマッチュや出身者に知られていないのでしょうか。

それに他の地域同様、奄美も少子高齢化はどんどん進行しています。

子供が多い時代は「難しくてもそのうち子供の誰か一人は興味持ってくれるだろ」で良かったかもしれません。

ですが、もうそんな時代じゃないのです。
島で産まれる子自体が、本当に少ないんですよ。
だからこそネットを通じて、島の中にいるシマッチュだけでなく、国内外のシマッチュにもっと自分たちの歴史を知って欲しい・関心を持ってほしいなと考えて、このnote投稿を続けています。

誰かに伝えたいことがあるのであれば「伝えたい側」が工夫して、伝える・伝わるように研鑽する。

本当に若い世代に継承したいと考えるのであれば、もっとそこを真剣に考えてほしいし
(正直言ってマイク握るのが好きな高齢者が多い割に、そういう知恵絞ることを若い世代に丸投げしてる感がある)

「多くの人が参加しやすいよう改善を含めた」行動で示してほしいなと思うばかりです。

そういう姿こそ、「特定団体主体の運動じゃなく、出来るだけ多くのシマッチュに、奄美群島の復帰運動に参加してもらおう」と奮闘した、かつての復帰協議会の先輩方の姿に重なるのですから。

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