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「無力感」「微力感」

「無力感」とは、
それまで「自分にも幾許かの力くらいはある」
と、思い込んでいた、
その「勘違い」に気づく事だから、
良いものである。

「無力感」は、気持ちを、
「原点」「スタートライン」に
戻して「くれる」ものでもある。

この「無力な感じ」は、
むしろこの先どこまでも
忘れてはいけないものなのだろう、
という気すらする。


特に自分みたいな性格の者は、
「人より秀でているかも?」「恵まれているかも?」と
「自己評価」してしまう、とある力により、
(それはこの世の人々の中に漲るあらゆる種類の力のうちの
たかだかほんの「断片」「ひとかけら」でしかないのに、)
下手すると、どう考えても不相応の「万能感」とか持ってしまいそうで、
それが恐ろしい。
――いや、単なる「傲慢」「自惚れ」で留まるなら
他人様から「感じが悪い」とかせいぜい嘲笑されるだけだからいいのだが、
それで気づかぬうちに、
浮かれてしまって舞い上がり、冷静さを失い、
(つまりこういうふうにならない人はいいと思うのだが、
自分はすぐなってしまいそうだ、ということ。)
そのせいで、
自分が自分を見つめられる「俯瞰の視点」までもを
うっかり見当たらなくしてしまいそうで、
そういうのが、もっぱら恐ろしい。

それは「鏡のない世界」に等しい。
その世界では、自分だからこそ、自分だけが見えなくなるのだ。
――そんな自分が自分を動かし続けるのだから、
それはひたすら恐ろしいことだと、やはり私は思うのだ。



さて、はたして。
その無力感の「ふりだし」のその地点から、
「本当に自分は、無力なのか?」
と、自分に問いかけ続けてみようかと思う。

薄いたった一枚の紙の重さは感じられなくても。

その薄紙を、一枚一枚重ねていき、
その果てに、
ささやかながらも、あるいは一冊の本のように、
この手の中に「確かに存在するもの」を感じられたら……。

と、
それでもいつか夢見るその夢は、
ただの夢であったとしても、
けして悪いものではないはずだ、と、私は信じている。

それは、
「吹けば飛ぶような薄紙の、それも一枚ずつを、
積み重ねることしかできない。」
そんな自分を思い知りながら、
それでも見る夢のことである。