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不器用さの中にその人自身がいるのかも?
器用な事は、いい事だとは思うんですが。
――ま、たとえば、 ものの考え方とか、 外での立ち回り方とか、 不器用よりか器用にできた方が、 一言で言えば、ラクですわ。ホントに。
が、しかし。
器用に器用に、と、自分を変えていく事によって、 自分が「無いこと」にしちゃったものにこそ、 そうそう簡単には、下手すりゃ二度とは、「取り戻せないもの」があったりした気もするんだよなー。
(とか、 今更振り返って考え始める秋の朝。)
ずいぶん、自分自身 (別に今だってそんなに器用ではないですが、笑) 昔に比べりゃあ、 生きるのが精神的には楽にはなりました。
でも、心なしかその分、「つまらない人」にもなったもんだよなー、と。
かと言って、ま、せっかく身につけた「器用な部分(繰り返します、「あまりない」ですが、笑)」を、忘れ去る事も別段ないのだけど。
本来の、「素の自分」に戻っていくのも、悪くないのかもしれないなー、と。
「大人世界」一周旅行を、一回ここで、終えた感じで。
――別に自分の場合は、守るべきものもないのに、 守りに入る必要もないしねー。(笑)
私の中にかつて確かにあった、今にして思えば愛すべき「不器用さ」は、はたして、戻ってきてくれるでしょうか?