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希望を失ってみたところで、何かいいことありますか?

「ガッカリ」するのは仕方ない。

けど、
いつまでもいつまでも、
「ガッカリ」した状態のままでいる必要もない。

「きっと良いほうに変わる」
――ええ、ええ、
まあ、そうですよね、
この世には「絶対」はないですし、
そう言えるならばそう、
その逆の、
「永遠に良いほうに変わることはない」
「悪くなっていくばっかり」
というふうになる可能性だってある。

――うん、あるにはある、
だけれもどさ。

どーせどっちかわかならないなら、
希望、
わざわざ失わなくても、
自ら捨てに行かなくても、
いいんじゃないですか?
どっちもあり得るならば。


「結果」って
そこだけみると、
勝ち負けとか、白黒とか、
この世があたかも
「二つに一つだけ」の世界に
なりがちなんだけど。

でも、
「結果」の前には
必ず「過程」が存在しているわけで。

で、
「結果」は「点」なのに対し、
「過程」は「線」なわけで。

多分、世界をそのうちじわじわと
本当に描きだすのは、
パッと見てわかりやすい「点」ではなく、
存在を誰もが忘れがちな
「過程」で残した
「線」のような気もするので、
そんな「有意義な線」を
これからもたくさん
自分なりに、
残していけばいいんじゃないかな?

NHK『虎に翼』1シーン。
上記動画の寅子のセリフから一部抜粋

「おかしい」と声を上げた人の声は、決して消えない。
その声が、いつか誰かの力になる日がきっと来る。
私の声だって、みんなの声だって、決して消えることはないわ。

その一本一本は
「結果の点」ほどは目立たなくても、
でも、
「過程の線」は
その気になれば
何本でも描くことができるわけだし。


「きっと世の中は
良いほうにいずれ変わる」
と、私は信じる。

――ハイハイ、
そうです、そうです、
変わらないかもしれない、
その可能性は確かにある、
けれども、
それでも私は「信じる」。

そのほうが、
元気が出るから。
力が湧くから。
頭が回るから。
心と体が動くから。
自分に与えられた
エネルギーと人生の時間とを、
グズグズすることなく
清々と無駄なく使えそうだから。


あと、
心身ともに、
そっちのほうが
自分の健康にも良さそうだから。
(健康至上主義。笑)


(と、言いつつ、
一生懸命になればなるほど、
期待をすればするほど、
「ガッカリ」が大きくなるのも
わかります。)

(わかった上で、
それでも言っているんですってば。)