「不幸中の幸い」ってよくできた言葉です
好機が到来した時に浮かれすぎるのもよくないように、
不運の時に落ち込みすぎるのもまたよくない。
ついていない状況の時はあえて
「でもしいて言うならこの中でラッキーな部分は?」
と、意識的に探しにいったほうがいい。
そうすることにより、
「平常時の心のバランス」に近い状態に自ら持っていけそうである。
(もちろんこれは
「そういう時なるべくそうできる自分でいられたらいいよね?」
という、理想論でしかないのだが。)
そう考えると、
「不幸中の幸い」っていうのは、
本当に「よくできた」言葉だと思う。
実際、よくよくよ~く探せば、
不運な出来事の中にも何かしらの「幸い」部分はあるもんだ。
そして、この言葉を口にする時、
アンラッキーの闇の中に、先だって、
ポッとひとつの明るい光が点せる感じもするのだ。
口にしただけで、その言葉自体に、光が既にあるのだ。
このように、「よく使われる」という定位置を得て
ずっと残り続けてきた言葉って、
ことわざや格言じゃなくても、場合によってはそれ以上に、
何らかの強い「力」があるように思えてならない。
(良いものだけではなく、場合によっては悪い力も混ざってあるかもしれないが。――それでも、)
何気なくそばにいる言葉というものに、
これまで、気づかぬうちにずいぶん、何度も何度も、
自分は助けられてもきたのだろうな、と、ふと感じたのである。