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それでも怒りや憎しみを捨てられないのは

「笑う門には福来る」というのは、
実に言い得ている言葉だなあと常々思っているのだが、
この言葉はまた言外にこれの逆――例えば
「怒」とか「怨」とかに当てはめたバージョンを感じさせるところもある。

「類は友を呼ぶ」という、これまた深く頷ける言葉もあるが、
ここにもあるいは、人本体だけではなくて、
人が扱うところの「感情」までもが含まれそうだ、とも私は思う。

つまり、
火は火を好むし、水は水を好む、というか。
同類の感情は引き合い呼び合い響き合うし、
またそれとは逆に、
打ち消し合ってしまう感情同士は自ずと

あまり互いには予め近づき合おうともしない、ということだ。

日常生活でもよく見られる光景の中での
「同類の感情の引き合い」例としては、
笑いほどつられて誘われてしまうものはなかったり、
また、
一つの怒りが油となってしまって別の怒りに投入され更に燃え上がらせ、
延焼するばかりで一向に鎮火しない、
なんてこともSNS上では頻繁に起こっていたり、などが思い浮かぶ。

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さて、そう考えるにつけ。
自分の身の回りに近づいてくる感情はどこか、
自分の既に持っている感情が呼んでいるところはやはりあるように思える。

そうなるととりわけ、
負の感情についての「それ」は、疑問を持たざるを得ない。

何故、自分でも「そうなる」と知っていながら
その感情を呼びたくなるのか。
――つまり、
「同類である感情は自分の外側から呼び込まれやすい(とするなら)、
それならそれが負の感情の場合、
(そうなるだろうとどこかで自分でもわかっていながら、)
何故わざわざその感情をいつまでも
持ち続けようとしてしまうのか?
早めに片づけようとしないのか?」

(……というのが、今回の記事のお題なのであります。)

その中でも特に「怒り」や「悔い」や「憎しみ」の感情が、
少なくとも、率先して
「笑い」や「幸福感」を運んできてくれそう、とは、
やはりどうしても思えないし、
更には、
我々はそのことにとっくの昔から(下手すると既に幼少時から)
気づいてもいたはずだ。

なのに何故?
なんでまた、(瞬間的に抱いてしまうケースは仕方ないとして、)
その「憎悪」なり「後悔」なり「怒気」なりを
それでもまだ抱き「続けよう」としてしまうのだ?
「過去」や「もう二度と会うこともない人」やその他諸々、
「現在と関わりない」ものに対してそれらを抱き続けたって、
何にも良い事がないのはわかり切っているではないか。
(その「負の感情を抱き続ける」ということに関しては、
前記事から続いている内容と言えるかもしれません。)

誤解を恐れずに書けば、……もしかして。

どう考えても忌み嫌うものであるはずの、
悔いを、憎しみを、怒りを、
どこかで「好んでいる」自分がいるのではないか?

――いやいや、それにしたってさ。

自分のことを振り返ってみても、
負の感情なんて、どう考えても持ち続けたい訳がない。
いつまでも「悔やみたい」「憎みたい」「怒りたい」?
――ないない、そんなのあり得ない。
だって、どう考えても苦しいもの!

と、いうことは。

その感情を抱えることによって、
(その感情を抱え続けるツラさと引き換えてでも、)
得たい、あるいは呼びたい「何か」が
そこにあるのではないだろうか。


……ちょっと考えてみよう。

(余談ですが、こういう、自分のその「癖・習慣」や「振る舞い」などの原因が、どこにあるのかと心当たりを辿って辿って、記憶やら心理やらのその更なる奥の奥まで探っていく作業って、最近何だか面白く感じられるんですよね。……話を戻して、)

自分の胸に手を当てて記憶を手繰ってみよう。

怒りを、憎しみを、悔いを、続けてみせることによって、
例えば。

誰かに、共感してもらいたいのかもしれない、気にかけてもらいたいのかもしれない、労ってもらいたいのかもしれない。
あるいは、根本の問題を逸らしたりすり替えたり誤魔化したりのかもしれない。また、その感情で現況を紛らわせたり隠したりしたいのかもしれない。
いや、単に応援してもらいたいだけかもしれない。憐れみでもいいからただ慰めてほしいのかもしれない。
もうそれくらいでいいよ、それ以上頑張らなくていい、など、誰かに言ってもらい、それをきっかけにでもして何かが変わっていくのを待っている、なんてこともあるかもしれない。
……等々。

自分でも、記憶中のこれまでの前例から、
思い当る「心理」は、結構様々挙げられるものだ。

「しかし言葉にはできない言葉」
のようなそんな「心理」が、姿を変えて、
「怒」や「悔」や「憎」の感情として、
自ずと言葉足らずに滲み表出しているのかもしれない
……というような気もする。


でも、――どうしてそうなる?とも同時に思う。
何でそんな「遠まわし」なやり方にしないといかんのだ?!
「聞いてください」と胸の内を誰かにすっかり話した上で、
「共感して!」「慰めて!」「労って!」等々と
直線の最短距離で求めればすむことじゃないか。
または、判りきっていても「言い訳」をたくさん並べて、
「自分のせいじゃない!」と
問題をすり替えて見せるなどをとりあえずすればいいじゃないか。
……そんな「ツラい感情」を、延々と抱え続けるくらいなら、
そっちのほうが余程いいのではないか?

――が、しかし。
我々は、既に知ってしまっているのだ。

上記のような、自分の胸の内の「聞いてください」や「言い訳」が、
時に「重い」「厄介」「面倒くさい」と、
聞いている相手に思われることを。

――それを「経験上」で、つくづく重々、
承知してしまっているのだ。
あるいは、
こちらから起こしたそういうアクションによって、
人にそのように思われるくらいなら、
「苦い感情」を自分の中に抱えこみ続ける辛酸の方がまだマシ、
……というこれは、
「ヘンなプライドの高さ」というヤツだろうか。

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うーん……。
もうこうなったら、不特定多数に、
SNS上で叫ぶのも、アリかもしれないなあ、なんて。
特に、直接の顔見知りではない人々なら、
スルーしたい人は、気づかぬふりしてスルーしてくれるだろうし、
でも、多くの人の目に触れることは触れるので、
その中で「それ、自分も感じてました!」とか、
反応したい人は反応してくれるかもしれないし……なんてなあ。

あと、「書く」という作業を経ると、
整理がつくところもある。
どこか客観的になれるから、俯瞰で状況も見られるし。

――本当は、誰かに何かしてもらうのではなく、
自分自身でまず「着地点」を見つけられたほうが良い。
自分の心の整理は自分自身でつけるしかない、というところもある。

と、そんな「SNS活用」を思いながら。
(どんな「活用」だよ。笑)
でも、一番、ストン!と手っ取り早いし、
更に理想的だと個人的に私が思うのは。


これはもう「お互い様」ということで、もう少しだけでも、
「遠慮なく」「大人げなく」「物分かりよくなく」「分別も持たず」
もっと好きに日常的に
言葉に出して言いあったらいいのではないか、ということである。
(最低限の人としての「配慮」は、持ち合わせながら。)
「つらい」「苦しい」「悲しい」「怒ってます」と、
で、
「聞いてくれ」「慰めてくれ」「気にかけろ」「応援しろ」「労え」「私だけが悪いんじゃない」と、じゃんじゃん、時には何ならぎゃーぎゃーと、
「お互いに」「誰もが」但し「対等な立場で」、
相手にもっと気軽に伝えて求めてしまえばいいのではないか??

「誰かに話してしまう」それだけでも、
相当、心は落ち着く。
たとえそこで何か具体的な言葉とかリアクションは返ってこなくても、
そういう場合ですらも。
不思議と、何故だか、
「話し言葉として外に吐き出す」、
で、「その言葉が誰かの耳に入る」
というそれを一度でもするだけで、
「ただひたすら沈黙」よりかは、ずーっと「マシ」というか、
明らかに心の空気がどこか動き出す、そんな気配くらいはあるものだ。


――更に言えば。
そういう気持ちの「換気」がほとんど出来ていないから、
悪い負の感情が、滞って溜まるのではないだろうか。

どんどん、ガンガン、気持ちの窓を少しでも外へ開けて、
とにかく流して、閉め切りがちな
自分の「内側の」空気を動かせばいいだけなのかもしれない。

「沈黙」こそ「美徳」だの「成熟した大人」だの
と、考えがちな我々であるが、
しかし、その「沈黙」のせいで、
胸の中に「憎」や「怨」といったどす黒くドロドロした感情が、
渦巻いたり溜まり続けたりしてしまうくらいなら、
もう、ベラベラベラベラと話してしまって、
その都度スッキリと清々しくさせてしまったほうが余程いいと私は思う。

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……。

とはいえ、である。

我ながら今回はなかなかの
「理想論」をぶち上げたものだとは思いましたけどね。(笑)
上記のようなことが、では、
自分は現実的にできるのか?と問われれば、
「うーん、……できない、難しい。」
と、なりそうな予感しかない。
(つい人の顔色を窺い過ぎてしまう自分が、まだここにこうしているわけですな。笑)

(――という、歯切れの悪い結論で申し訳ないが、)
しかし、
「誰かに自分の感情を吐露」まではできなくても、やはり
例えば一回こういう場に「取り出して並べる」という
見える化の陳列作業を行うだけのことでも、
「凝り固まった」状態から少しは抜け出せる気もするし、
少なくとも多少は心の内側の空気は「とりあえず動いて」変わるし、
したがって心の「すす払い」みたいなものくらいは
いくらかはできるのではないかな、という気もする。
(――これは「note使用者の個人の感想」、である。笑)

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