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踊り出す!80年代アイドルPOPS30(31?)選【更に増補版!】

時代は今、「80年代」です。

「音楽の日」にも 「FNS歌謡祭」にも
全然負ける気がいたしません。(笑)

80年代アイドルに、救いを求めてください。
80年代アイドルだけが、世界を救います。
――それこそが「真実」です。(笑)

というわけで、重苦しい記事の後、困った時は、80年代に引きこもるに限ります。
――「ノッテるかーいッ?」
――「イエーイッ!」
(一人芝居でやるこの掛け合いすら古……いえ、80年代ですから。いいんですよ、間違ってません、これで。)

いやー、でも何だか、youtubeで見ているだけで、明るい気持ちになりますよ。
特に自分は「何も考えずノホホンとテレビを見ていた小中学生時代」の象徴が80年代なので尚更、「見ているだけで何だかふわ~っと多幸感」みたいになります。(「ヤバい奴」なだけ、ということかもしれませんけど。)

今回もまた、あえて「生歌・生演奏」で集めました。
――やっぱ当時の歌番組の生バンド伴奏って、いいね!
なんてったって音圧!景気がいいじゃない!ゴージャスじゃない!
――カラオケ伴奏なんて歌番組じゃないっ!!
(おいおい、言い切ったよ。)
――私はプロなのでカラオケ伴奏では歌いませんっ!!
(とか一度でいいから言ってみたかっただけの人生だった。)

という「雑談」はいいから、そろそろ始めてみたいと思います。


【突然踊り出したアイドルSONGS編】

今でこそ「歌って踊るのがアイドルというもの」みたいになっていますが、割と90年代半ばくらいまでは、「(ほぼ)直立(ほぼ)不動」で歌うアイドルも多かった。

で、このコーナーで紹介するアイドルの皆さんは、それまで「ダンス」「振付け(ステップ踏むようなもの)」のない「不動歌唱スタイル」イメージの方々だったのですが。

さあ、「突然踊り出した方々」いってみたいと思います。

――「♪ Woo~, Dance!」

斉藤由貴「夢の中へ」89年4月リリース

何故、斉藤由貴が
・井上陽水の70年代フォークの定番曲を
・原曲を吹っ飛ばすようなユーロビート風アレンジで
・いきなり踊りながら歌っているのか

――何だかいきなり「振り切った」よね~、一体どうしたっていうの?!

という、この「謎が謎を呼んだ」のがよかったのか、40万枚越え――なんと売上枚数としては斉藤由貴最大のそれもダントツのヒットとなったのであります。(飛び抜けて「本来の斉藤由貴の楽曲世界イメージ」からはかけ離れたシングルなんですよ?これ。)

今だともうそういう現象は起こらないんだろうけど、(当時はインターネットも普及なんかしてないからもちろん「配信」という音楽形態もないので、)「CD・レコード」が品切れ状態になった、なんてことがこの曲についてはあったと記憶している。(CD・レコード時代は、そういうことって偶にあったんですよね。そういえば、その後にとんねるずの「ガラガラヘビがやってくる」でも同じ現象が起こって、とんねるずの石橋が番組の中で「ポニーキャニオンはプレスする工場を持ってないからこうなるんだよ!」みたいに「キレ芸」――ふざけて激怒していたのを思い出しました。笑)

で、ここに掲載したのは「夜のヒットスタジオ」からの歌唱映像なんですけど、ちゃ~んと生伴奏!――そうなんです、もう80年代末くらいになると、生伴奏歌番組って減ってきて、この曲も他の番組では全てカラオケ音源利用だったので、「さすが夜ヒット!歌番組の良心!」なんてことも思う私でした。


ラ・ムー「愛は心の仕事です」88年3月リリース

この曲も他の歌番組は全てカラオケ音源、な、上に、御本人も何故かこの曲に関しては口パクだったような記憶が。(ザ・ベストテンでも口パクだったので、「喉の調子でも悪いのか?」と当時私は思ってしまった。)
が、さすがは夜ヒット。生歌・生演奏です。
桃子さんにとっては、ステップを踏みながら歌うのは、当時は少しハードルが高く感じられていたのだろうか??――うーん、でもやっぱり、口パクの歌ならレコードやCDで聴けばいいし、って自分は思っちゃう。多少不安定でも歌はやっぱり生歌がいいけどなあ。


原田知世「雨のプラネタリウム」86年6月リリース

主演映画「愛情物語」の中では、ダンスシーンがふんだんに盛り込まれてもいたし、一つ前のシングル「どうしてますか」もアップテンポの曲で、結構曲中に動いてはいた、だから「この曲から唐突に踊り出した」というわけでは実はないんだけど。
でもこれだけ「振付」を前面に押し出したのは、この曲からではないかなあ?と。(ここからしばらく「振付シッカリバッチリ」な楽曲が続く印象です。)
今の知世さんしかしらない人は、驚くかもしれませんが(最近竹内まりや氏の「SEPTEMBER」のカバーを出した時に、PVで知世さんが簡単な「手振り」を付けただけで、なんだか大騒ぎしている方がいらっしゃった記憶が。)、2歳からデビューまでの14年間バレエをやっていた人だから、そもそも踊りはお手のものだし、そこからの影響でしょうけど、踊り自体も動きの一つ一つが綺麗ですよね。



河合その子「再会のラビリンス」1986年7月リリース

この4thシングル辺りから、割と「印象的な振付」が入り始めた河合その子氏。

一番印象的なのはやっぱ6thのこちらの曲でしょうな。
河合その子の「振付最終形態」。

河合その子「哀愁のカルナバル」87年3月リリース

はじめは私も大好きな名曲「JESSY」を出しておいたんですけど、記憶していた以上に、振付が地味に思えたので、(「あれ、こんなもんだったっけ? ま、静かな曲だしな」と、)ああ、やはりその子氏の振付のピークはこの曲だったのだろうなあ、ということで、差し替えました。
ここまで激しい振付にしなくても、と思わなくもないですが、(そういや当時、とんねるずの石橋貴明にいじられていたなあ。)とはいえ、こういう「謎振付」のほうが、後年まで記憶に残るのも事実です。
河合その子氏のシングルは、ホント、しみじみ、名曲揃いですね。


西村知美「眠り姫」89年6月リリース

「西村知美が何故中原めいこ楽曲を?!」という一言に尽きますが(笑)、でも私、この曲、中原めいこ版よりこちらの知美版のほうが好きです。
こんなに細かい振付が曲中ずっとしっかりある曲は、多分初めてだったと思います。
シングルコレクションを出した次のシングルだったので、心機一転、それまでにない新しいイメージを打ち出せる楽曲を!ということだったのかと思いますが。――コアなファンのみなさんは、どうお感じになったんでしょうかね??
私は西村知美さんの曲の中でも好きなほうだったりします。(御本人のキャラクターとはかけ離れた作品だとは思いますし、曲調も御本人の声質とややミスマッチとも言えますが、でもその「ミスマッチの化学反応」を楽しむのもアイドルPOPSではないかと私は思うので!)


さてここからは。

【聴いているこちらが躍り出さざるを得ないアイドルSONGS編】


河合奈保子「夏のヒロイン」1982年6月リリース

「マツケンサンバⅡ」とならぶ、「日本2大サンバ歌謡」。(またテキトーなことを言う。笑)
ホント、河合奈保子さんって、アイドルの良いところを凝縮したような方ですよね~。
何を歌っても厭味がまったくない。聴いていて晴れやかな気持ちにしかなりようがない。最高ですね~。
この曲もまた誰が歌ってもいい、って感じではなく、奈保子さんのスコーンと抜ける声で歌うからいいんですよね。
「きっと、な・れ・るっ!」「チャンス!チャンス!」ってコーラスも、一歩間違うとイロモノになりかねない、割とスレスレだと思うけど、奈保子さんが歌うとちゃんと「素敵アイドルPOPS」になる。何故ならそれは――正真正銘、彼女こそが、「夏のヒロイン」だからだ!(決まった!!笑)



松本伊代「TVの国からキラキラ」82年5月リリース

(もうちょっとテンポ早くてもいいかな~。レコード音源はもう少し早かった気が……。)
間奏のセリフ「ねえ、キミって、……キラキラ?」
――うむ、この曲も割と「スレスレ」楽曲かな?と。(笑)
「伊代ちゃん」が歌うからこそ、「素敵アイドルPOPS」として成立しているのだな、というね。――完全に歌う人を選ぶ楽曲ですよね。他の人では成立しない世界観。


御一方御一方、そういうふうに「しっかり持ち味がある」という、こういうのが、80年代アイドルの醍醐味。


岩崎良美「どきどき旅行」1982年4月リリース

♪行かせて~ ハワイに行かせて~

――うーん、この詞はちょっと良美さんの曲にしては「遊び心」がすぎないか?と、小学生当時の私は思ったけど。
大人になった今は逆に結構好きな楽曲。今聴いてもかっこいい。作詞が安井かずみ氏で作曲が加藤和彦氏。――なるほど、と納得。
良美さんの曲は、今現在の耳で聴いても、ハイセンス、ハイクオリティ楽曲が目白押し。
これもまた難曲ですが、軽々とそつなくこなして歌う良美氏。


ゆうゆ(岩井由紀子)「25セントの満月」87年10月リリース

アイドルPOPSでスカ・ビート。これもまたすごーく好きな楽曲……なんだけど、これは生伴奏も歌も、難しい作品なのかなあ。――これはもしかしてもしかすると、レコード音源のほうがいいような気もしないでもないでもないでもない。(どっちなんだよ!笑)

というわけでレコード音源はこちらです。

……この曲こそザ・ベストテンでのバンド伴奏を聴いてみたかったのに、ランクインできなかったんだよなあ。



中山美穂「LIBERTY GIRL」87年7月リリースAL『ONE and ONLY』収録

こういうアルバム曲もやってくれるのが、夜ヒットのよいところ。久保田利伸が歌い出しそうな、今聴いてもなかなかカッコいい曲。尖った音触がCity Pop感に溢れている。

シングルでいうとちょうどこの頃の楽曲ですね。

中山美穂「50/50」87年7月リリース

小室さんの楽曲って、編曲は別の方が担当しているほうが、面白みがあるというか私は割と好きだったりする。
まあ、大村雅朗氏のアレンジが元々大好物なもので、そう感じるだけかもしれませんが。


早見優「GET UP」88年4月リリース

早見優氏はやっぱ「夏色のナンシー」のイメージが強すぎるのだろうか、その他にも結構「カッコいい」し「早見優でしか出せない」作品世界があるんだけど、80年代アイドルPOPSにおいては貴重なそっちの作品群に、割と光が当たらないんだよなあ。80年代らしい音を凝縮した感じでもあるから、「ハイ、注目~!」なんだけどな。
こういう80年代後半の早見優、結構私は好きなんだけどなあ。


BaBe「I don't know!」87年5月リリース

「踊る80年代アイドル」というと、なんとなーく、真っ先にこのお二人を思い出す。
何というか、てらいなく、思い切り伸び伸びと歌って、思い切り伸び伸びと踊っているところが、今見ても実に気持ちがいい。
アイドルとしてしまったけど、アイドルぶってもいないし、かといてアーティストぶってもいないところが、「好感度」「持ち味」となっている魅力的なユニットでしたね。


島田奈美「NO!」88年6月リリース
渡辺美奈代「ちょっとFallin'Love」88年6月リリース

80年代の「ザ・ベストテン」は、こうして「アイドル大集合」的な場面になることが結構あって、アイドルファンである私には、それも楽しかったですね。
お二人ともデビュー3年目に突入した夏で、楽曲も単なる「伝統的アイドル楽曲」から抜け出そうと、いろいろ試行錯誤していた頃かと思います。
(そういう「挑戦」も私は案外好きでした。年4枚シングルをリリースして、いよいよ8,9枚目ともなると、同じ系統の曲ばかりもなんだし、いろいろ変えていかないとね!ともなりますよね。)


89年9月末に終了を迎えるザ・ベストテンですが、曲の演出も色々趣向を凝らして、88年のこの頃はまだまだ「最後の攻防戦」を繰り広げている感じがありました。(89年に入ると「あ、終わりそうだな、この番組」という匂いが少しずつし出すんですよね。)
そう、その「攻防する相手」とは、高視聴率の裏番組「とんねるずのみなさんのおかげです」なわけですけど。――と、そこまで考えて、今気づいたこと。
おニャン子解散後も、当時ずっと長らく美奈代さんと後々まで売上枚数的には拮抗した人気だったはずの満里奈さんは、そういや87年の「マリーナの夏」以降、一度も「ザ・ベストテン」にはランクインできなかった。それに対し、美奈代さんは割とその後もランクインし続けていた。何故か。――そうか、裏番組が「みなさんのおかげです」で、満里奈さんはそっちのレギュラーだったじゃん!

と、いうわけで。

渡辺満里奈「夏の短編」88年6月リリース

さすがNHKの歌番組は生伴奏ですね。(この曲ではこれだけだと思う。)
そしてPVのようなイメージ映像を差し挟む仕上がり。――丁寧。

割とこの後は意図的に「アイドル色」をだんだんと消していく満里奈さんなので、「THE アイドル」的歌唱は、この辺りが最後かもしれませんね。
この曲が収録されている夏AL『SUNNY SIDE』も、私は割と好きでよく聴いていました。この曲以外の収録曲は、割と「シティポップ」な、マニアック過ぎない程度にアイドル作品としてちょうど良くお洒落な、リゾートアルバムという感じの印象。


さあ、ここからは【「胸躍る」デビュー曲】4連発!

伊藤智恵理「パラダイス・ウォーカー」87年6月リリース

デビュー直後、初の人前歌唱、生バンド、――なのに、この出来映え!
近年になって再評価著しい伊藤智恵理氏。やっぱり今の人のほうが耳がしっかりしているなあ、と感じる。と、いうのも、当時は伊藤智恵理さんの曲って、そこまでヒットしていないんですよね。
でも、よく通るいい声だなあ、と、いま改めて聴いてやはり思います。それに見合って楽曲も粒ぞろいの名曲ぞろいだし。
今この「伊藤智恵理」がデビューしたら、ちゃんと売れるんじゃないかなあ?
どうでしょうね?? 当時を憶えていない、あるいは知らない、若い方々の意見を聞いてみたい気もします。




山瀬まみ「メロンのためいき」86年3月リリース

今聞いても好楽曲のデビュー曲。――それもそのはず、松本隆×ユーミンに、編曲は松任谷正隆。
確かレコードはメロンの香り付きだったと思う。
聴いてみると、本人の歌唱力も申し分ない。
ホリプロが「絶対外さねえぞ!」と出した大型新人。――何がいけなかったのか、誰か教えてください。私にはわかりません。(笑)
でも「大型新人」に、世間がそんなに反応を示さない、というのは、当時のアイドル界にはよくあった話ですよね。――割とアイドルって、「意外性」から大躍進、となることも多いんですよね、特に当時は。
そうそうこの年86年のオリコンチャートは、「素人集団」などと揶揄された、おニャン子クラブが席巻していたのでした。


で、それならばその前年のホリプロスカウトキャラバン優勝者は?というと。

井森美幸「ダンス」

じゃなくて、(笑)

井森美幸「瞳の誓い」85年4月リリース

「8時だよ全員集合!」のバンドの演奏も、私、好みなんですよね~。――コント番組の歌コーナーでも、ちゃんと生バンドが付くというのが素晴らしいじゃないですか、80年代!

井森さん、確かデビュー前に「芸名を一般から募集」していたような気がするんだけど、結局本名でデビュー。
林哲司氏の作曲で、桃子路線を狙ったのか。狭い音域ながら、広がりを感じる曲展開で、これもまたなかなかの好楽曲。デビュー当時の井森さん本人も、いかにもホリプロが好きそうな感じで、爽やかさ100%、歌唱もまた、拙いながらも、まったく厭味がない。

そういや、このCMの映像を使ったフルPVも存在していたんだよなあ。85年にしては、安っぽくなく結構ちゃんと作られていた記憶が。
「この香り好き。」(やや棒読み。)

私、この曲も結構好きなんですけどねえ。――4.1万枚かあ。もうちょっと売れてもよさそうなものなのになあ。
何がいけなかったんでしょうか??誰か教えてください。(笑)



アイドル夢工場「アドベンチャー・ドリーム」1987年7月リリース

今聴いてみると、なかなかの好楽曲ですよね~。――でも、オリコン最高位8位、4.4万枚かあ。当時散々耳にしたしそのおかげで今でも憶えているくらいのその割には、思った程には伸びなかったかなあ。
もう80年代も後半になると、「アイドルのデビュー曲は厳選された好楽曲が当たり前」ってところもあって、むしろこういう正統派楽曲の正攻法より、「何だコレ?」って要素で切り込んだほうが、「はじける」可能性があった気もしないでもない。
で、さてこの「生歌」をお聴きになって、皆さんはどうお感じになるだとうか。
中には「これなら口パクのほうがいい」と思われる方もいるかなあ??
しかし私はそれでも、「生歌」主義である。――レコード音源は別にそこまで繰り返し聴きたくはならないけど(笑)、この生伴奏生歌バージョンの「アイドル夢工場」の皆さんのどこか「カタい」歌唱は、私は結構、リピートして聴いております。
(と、いいつつ、このオーディションで「審査員特別賞」で何とか残された吉田真里子氏が、このグループに組み込まれてシングル1枚で消えてしまわなかったことは、「ちょっと良かったかも?」と、思ってしまう私なのでした。笑)




さあ、「勇気を振り絞って」次のコーナーへ行きましょう!!――先に言っておきます!私はこういうの、大好きです!!!
何故、彼女は踊ったのか?――そして歌ったのか?!】

沢口靖子「Follow Me」88年2月リリース

作詞:川村真澄 作曲:小室哲哉 編曲:大村雅朗
おお、大ヒット曲「My Revolution」と全く同じ布陣ではないですか!
――歌っている人が「美里ではない」、違いはただそれだけ。
しかもドラマ「痛快!ロックンロール通り」挿入歌、で、
「ナビスコリッツ」CMソングのダブルタイアップ!!

曲は好楽曲!売れないわけがない!

――何がいけなかったのか。誰か教えて。(自分で考えろ。笑)

いや、最初こそ、ある種の「ネタ」として視聴していたのですが、――でもね、見だすと必ず最後まで見ちゃう動画なんですよね、これ。
「ステップを踏む振付は本人の歌唱の大きな負担になるのでは?」
「本人は歌いにくいかもしれないが、もっとアップテンポにした方がいろいろ隠せ……いや『カバー』できるのでは?」
「聴いているだけでどうして?なんでこんなにハラハラドキドキするの?」(吊り橋効果。)
など、いろいろなことが脳裏をかすめて仕方がなかったです。

「相対音感」(私も「持ち主」です)、「オリジナル音階」(私もよく使います)、そんな同種の「中毒歌唱動画」はまだあります。
(だんだんテーマ「踊り出す」が、「手に汗握る、胸が躍る」になってきている感。笑)

中山忍「涙、止まれ!」89年2月リリース

うーん、何なんでしょう、何なんでしょうね、何で?何で繰り返し聴きたくなるのだろう?!?!
たぶん、「十二音階では表しきれない宇宙的旋律」が、そこに存在しているからでしょうかね?!?!(きっとこれは私にだけ聴こえているメロディーに違いない!!!)


さ、話を「本線」に戻しましょう。
今日のテーマは、80年代アイドルPOPSを「踊る」です!
【総まとめ】に入ります。

この方は、自分で振付を付ける時と、振付師の方に付けてもらう時とあるそうで、この曲は後者とおっしゃってました。
――うんうん、これはいかにもそんな感じはしますね。

南野陽子「トラブル・メーカー」89年6月リリース

「この曲、おしゃれで自分は好きだけど、ちょっと地味じゃないか? 収録アルバムの先行シングルなんだろうけど、他にもっとパッとした曲なかったかなあ?」と自分、当時は思っていたんですが、今聴くとちょうどいい曲に聴こえる。
それまでのナンノのシングル曲にない「軽さ」があって、これはこれでいいのかなあ、と。「勝負より安定」の方向で、シングルカットしたのかなあ、なんて。本人作詞曲としては初シングルだったしね。AL『GAUCHE』収録の本人単独作詞曲だとあとはバラードの「月夜のくしゃみ」になってしまうし、昨年、一昨年と、ナンノの夏シングルはバラードが続いたから、今年は本人作詞のアップテンポの曲で、となったのかもしれない。



森高千里「17才」89年5月リリース

この曲では珍しい、歌番組での生伴奏版。――さすがは夜ヒット!
71年の南沙織氏の出世作を、その約20年後にもってきて、自身の出世作にしてしまった森高氏はさすがです。
そして、「筒美京平メロディー」という、ベースがしっかりした旋律は、どんなアレンジにも負けない。
これも印象的な衣裳と、それを活かした振付。初期森高のパブリックイメージを固めたのは、やっぱこの曲だったのではないかと思う。
――でも、結構、この振付しながら歌うのって、難しくないです?
(って、やってみたんか~い!笑)



柏原芳恵「カム・フラージュ」83年12月リリース

もろタイトル通り、テーマは「カム・フラージュ」で。――大人になった今なら、描かれていることの意味がわかる。(笑)
でも芳恵ちゃんが歌うと、そんなキツい感じも深刻な内容にも聞こえなくて、何だかふわふわしちゃう。(それがアイドルPOPS。笑)

中島みゆき書き下ろし楽曲をたくさん歌った芳恵ちゃんですが、「この曲、みゆきさんがセルフカバーするとどうなっちゃうんだろう。みゆきのシングルの「あの娘」みたいな感じになるのかなあ??」――と、当時思っていたら、全然違う、ど直球ロックテイストに変えられていましたね。(笑)

芳恵版のこの曲のこういう曲調って、70年代にもない気もするし、90年代以降もみられなくなったし、もしかするとこれもまた「THE 80年代」の感じかもなあ、なんて。
歌謡テイストもあるけど、それだけではない。70年代ディスコってテンポが緩いからこんな感じだったっけ?と考えてみたがいやいやそれとも全然違うリズムというかスウィングというか。ならば微妙に薄っすらロック?かなあ?? かといって少なくともアン・ルイスさんみたいな「歌謡ロック」ど真ん中、というほどでもないからなあ。
とはいえ、「洋楽にはないしっとり感」だしなあ。
意外とジャンル分けがよくわからない。――既視感ならぬ既聴感は「どっかの邦楽」にある気がするんだけどなあ。何だろう??こういう曲調、絶対元ネタありますよね??なんだかホントに解らなくなってきてしまったのでした。


小泉今日子「キスを止めないで」87年10月リリース

これは生オーケストラバンドが映える曲ですね。特にベストテンバンドの演奏はいい。
野村義男氏の作曲。当時より、今聴くと、なかなかカッコいい曲だなあ、と改めて思い直したりします。
80年代後半のキョンキョンの楽曲は、実にバラエティーに富みながらも、でもどれもが実にキョンキョンらしいと感じられる。つまり、キョンキョンのこれがひきだしの多さの証明なのでしょう。



中森明菜「BLONDE」87年6月リリース

いや~、80年代後半の明菜の楽曲は、今回のテーマで出したい曲のオンパレード。B面曲も、アルバム収録曲も、すべて含めて、迷いに迷ったのだが。
最終的に行きついたのが、明菜のこの曲の「舞い」でありました。
振付ではない、何かに「憑かれている」かのような、特に間奏の「自由な舞い」です。
「妖しい」という言葉がこれだけ似あう歌手は、後にも先にも、明菜だけ、という気がします。

ちなみにこのシングルのB面がこちら。

中森明菜「清教徒(アーミッシュ)」

特に85年くらいからの明菜のシングルって、AB両面通して一作品、という感じで、A面と世界観が揃っている(あるいは合わせている)ので、B面も単なる「おまけ」ではない作品ばかり。
これも、こっちがA面でもいいくらいだなあ。踊れるわ~。


――と、いうわけで、ここまで一気に書いてしまいましたが、
テーマを比較的自由にすると、好きに長く書き過ぎてしまう。
そろそろ終えないと。(笑)

長らくお付き合いいただきありがとうございました。

ではでは、最後におまけ
小泉今日子・中森明菜「S・O・S」

(元曲ピンクレディーの「S・O・S」はもちろん70年代楽曲ですが、そこは見逃して!笑)

「私のアイドル」が彼女達であったように、彼女たちにとってのアイドルが、あるいは「ピンクレディー」であったわけですね。

と、このように、やっぱアイドル楽曲は人を踊らし、その心を躍らすのですよ。
御覧ください、明菜さんの弾ける笑顔!何と楽しそうなこと!!


本日はここまで!


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