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「慢性的ウォーカーズ・ハイ」-歩くと疲れたその分元気になる?-

私は、「ランナーズ・ハイ」ならぬ、
「ウォーカーズハイ」である。
――それも「慢性的」な。

日帰りでも、そうでなくても、
旅先では、歩いて歩いて、
歩いて歩いて歩いて歩きまくるのである。

――ちょっとこれは、
誰かとは「分かち合えない」喜びである。
何故なら、そんなの、
誰も喜ばんし付き合いきれないだろうから。(笑)

だから一人で出掛けては、
何なら歩くためだけに、
歩いて歩いて歩きまくる、というわけである。
――毎度毎度の「変わりモノ旅」、である。(笑)

一昨日の日帰り旅も、容赦なく(笑)
歩いて歩いて歩いて歩いて歩きまくった。
――たぶん、普通の人なら
三日くらいに分けて歩くコースを
一日で歩いてしまった。
――う~ん、「ウォーカーズハイ」。(しつこい。笑)

それが証拠に、昨日と今日の記事の写真は
どれも同じ一日の写真なのである。
(写真によって天気がまちまちなんですけど、
結構晴れたり曇ったりする日だったんです。)
(そして写真はまだまだたくさんあるが、
あとはこれから記事によって使い分けて小出しにする予定。笑)

一昨日の旅では何だかいつも以上に「ハイ」が酷くて、
いつもだと良さげな美術館とか通りかかると
「せっかくだから」と入ってみるのだが、
一昨日は歩きたくて歩きたくて仕方なくて、
そういう「静止時間」がとられるものは
食事休憩以外は全部パスして歩き続けました。
(何だかいつにも増して歩くのがとにかく気持ちよかったのである。
ちょうどいい気温と湿度だった、というのもあるのかもしれませんが。)

うむ。

考えてみると、旅先では顕著だけれど、
そうでない場所でも、
やはり「慢性的ウォーカーズハイ」であることには変わりないかなあ。

例えば、
東京に用事があって、終わって、で、
一番安い会社の高速バスが次は翌朝だったりすると、
そのまま一晩中都内を歩き続けたりも二年前まではよくした。
――人がいない深夜の都心ほど、
歩きでがあるところはない。すごく楽しかった。
(最近は諸事情によりできていないので
「過去形」になるのがとても残念。)

あとは今住んでいる街でも、
毎日早起きが可能だった頃は、
(今は仕事の勤務時間の都合でそれがまたできないのだが、)
よく夜明け前くらいから、街なかを歩き回っていた。

――そうなのである。
一昨日の旅もそうなのだが、
「ヒト気がない」というのも、
私が「ウォーカーズハイ」になる条件かもしれない。

一昨日は、観光の人がごった返しそうな場所は、
朝の8時台とかにもうさっさと通過してしまって、
後の場所はあまりたくさんの人は集まらなさそうなところばかり
歩いてきた感じである。
「こんなにいい景色なのに、もったいな~い、ふふふ~ん。」
などと思いながら、である。(笑)
(しかし人があんまり最近歩いていないために
草がボーボー生い茂る「道なき道」も結構歩くことになりましたけどね。
――良い子はマネしないでね。しないと思うけど。笑)

歩くのって、不思議なのである。

「その土地の地面」から、
自分の身体(主に「脚」)の疲れを
そこに残すことと引き換えに、
何かのエネルギーをもらえている気がするのだ。

――「歩きまくることでもらえる」と、私が感じるそれは、
「大地のエネルギー」とかそういうのともまた違って。

「その土地」の持つ、「気」みたいなものだろうか。
なので、
それはアスファルトづくしの都会でもかまわないわけである。
人がいない時間や場所なら、
東京とか京都とかは、やはりすごい「気」を感じたりもする。
(今日のコトモリは、ちょっぴりスピリチュアル。笑)

だから、サイクリングとか、ドライブだと、
どうもダメなのである。

「歩く」でなきゃ、やはりダメなのである。