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「若返っていく」人生なら

『「歳とった」状態で生まれて、
で、成長するにしたがって、どんどん若返っていくほうがいいな~。』

……と、ある時、切実に(笑)、思ったのであります。

早い話が、
「体力とか吸収力のピーク、人生のあとの方で欲しかったな~」
ってことです。

誕生から60~70年かけて、思春期にたどり着く。
(で、その後、幼児から乳児の順番で戻っていく?)

そうしたら絶~っ対、「若さ」を無駄遣いしなかったのに~。
あの頃も、その時も、
ちゃ~んとありがたがって大切~に使ったのにィ~。
だって、それまでに「若さ」というもののありがたみを、
「つくづく」「熟知」できているわけだからさ。
(体力と吸収力――失われてきて初めてその「本当の」ありがたみがしみじみと。笑)

まあ、でも
「若くもなくなった後の世界を、それでもゴールまで漕いで進むための力」を、
若い頃に(それを意図せずとも知らぬ間に)先に養っておけたから、
何とか今、老いてなお、もっているところはあるのかもしれないなあ。

(体力的なもののみならず、精神的なものも……ってか、後者の影響のほうが案外大きいかも?)
(時と共に生命力を削りながら、でも時をかけて得てきたのであるよ。笑)
(体力も精神的な力も、一瞬でパッと養えるものではないもんね。「得る」とはいっても、一滴一滴水を貯めるように、一枚一枚紙を重ねるように、どうしても「少しずつ積み上げて」いくものだから。)

……だってさあ、
「余力」とかだけでは進めなくないですか、――「こんな」の、ねえ?
摩擦力とか、重力とか、向かい風の風圧とか、
もう、かかり過ぎてかかり過ぎて、
若い頃の勢いだけでスーッと進めるようなそんな
慣性の法則なんか全然成り立ちませんわ、この現世。(笑)

でも、よいしょよいしょと、
まだ漕いで進める力があるだけ、ありがたいわ、自分自身が。


もっと、ありがたがっていきましょうか、
「何だかんだ言いつつ、ここまできた自分自身」というものを。

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