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何故80年代アイドルPOPSが好きなのだろう?

時をかける少女

「アイドルファン」と一口に言っても様々で。

私は「生身の御本人」には、ほとんど興味をそそられなくて、
すべての関心が「作品」に集約されるタイプというか。

だから、「会いに行ける」より「行けない」ほうがいいくらいだし、
「生写真」(昔はそういうのありました、カメラ小僧とかが撮ったやつ)も興味なかった。

「ちゃんと完成品として」録音された音源、収録された番組、緻密なライティングでプロが撮影したジャケ写とかの写真……等々だけが好きだったと思う。
だから「アイドルオタク」を名乗る割には、
意外と一度も、ライブとか、イベントや握手会とか、
つまり「直接ご本人を」観に行ったことがない。

自分にとってアイドルとは
「向こう側の人」、
または正しく直訳のまま「偶像」であってほしい。

「この世のもの」であってもらう必要すらないのかもしれない。
それは「素人っぽさ」「普通の子っぽさ」を売りにしていた、
例えば「おニャン子クラブ」の面々に対してですら
同じ気持ちだったかもしれない。
――ほぼ素人同然の子が何かのはずみで「不思議の国」に迷い込んだ、
そういう物語をそこに見出す感覚だったと思う。
つまり「アイドル」として成立した以上、もうそこからは、
現実と地続きだとしても「特別な世界」にはいて欲しかったわけだ。
逆に言えば、「偶像化」されたとしても、
「絶対、血の通った人間臭い部分は見たくない」
ということでは全くなくて、
「自分と同じ現実に存在している人が、ある種の不思議の国を描き出している」そこが面白いわけだ。
それこそ「光の当て方で、ただの人が、偶像に見えてしまう」という、
その「不思議」を楽しんでいたのだと思うのだ。
(……とか考えている、まあ、我ながらアイドルオタクとして
特殊なタイプだとは思いますけどね。笑)

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アイドルの面白さって、
「ただの普通の一人の人」を、周りの大勢の大人達が総力を結集して
「祀り上げる」「偶像化する」
その醍醐味ではないだろうか。

で、それが本当に偶像として、浮かび上がり動き出し始める、
それがアイドルというものであり、
「巫女」を生み出すかのような、ある種の宗教の儀式の様な趣すら感じる。
(※個人の感想ですし、我ながら言い過ぎだとも思う。笑)

てな空気感が特に色濃いのが80年代かな、と。

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なので、会いに行けなくていいし、
ましてや、横並びさせて品定めして
ファンに投票させて一番の人気者を見える化する、
……みたいな「俗っぽい」感じは、
アイドルがアイドルじゃなくなる気がするから
あまりピンと来ないのである。(※個人の感想です。)
いや、一企画としてだったら、面白いだろうと思うが、
それが「主流」「スタンダード」になってしまったら、
アイドルは偶像ではいられなくなる。「別物」になってしまう。
――先に「大衆」と意図的・戦略的に邂逅してしまったら、
「時代」のほうはもう、その指先でその娘を、
「いち早く」見出しはしないだろう。
さすれば、「時代と寝た娘」は、そこに存在し得なくなるのだ。
人の思惑なぞからは零れ落ちてしまうような、
そんな「偶然性」がそこに見当たらなければ、
「ラッキーガール」「シンデレラガール」は生まれ出でないのだ。

……はい、アイドルというものに対する捉え方には、相当、
※個人差があります。
そして、「いまだに80年代アイドルファン」という時点で、それだけで
まあ、「視点が古いのでは?」「言っていることが解らない」と言われても否定もできませんですね、ええ、ええ。(笑)

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