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「好きなこと」が自分を育てた

「私の好きなことをする自由を邪魔する奴はぶっ」……って、違った、これは昨日の記事だった。(笑)


「好きこそものの上手なれ」とはよく言ったものだ。

好きなことについてなら、大量に憶えられたし、深く深く、しつこいくらい深く(笑)、考察することができた。(オタク気質。笑)

つまり、自分の「脳」を、成長期に特に育て、鍛え上げたのって、「好きなこと」「思い入れがあること」「乗り気なこと」だった気がするのだ。


私は「我慢」というものは、本人にその気がないのなら、つまり「仕方なく渋々行うそれ」は、あまり「美徳」ではないと思っている。
(つい「我慢を美しいもの」と捉える向きって、世間にはあるけれども。)

だから、今成長過程にいる方々に、「あれやるな、これやるな」とか「あれよりこっちをやるべきだ」とかって、上の人はあんまり言い過ぎないで欲しい気もするし。

そして、そこそこ老いてきた自分自身についても(笑)、「好き」と「思い入れ」と「乗り気」は、なるべく尊重していきたいと思っている。
(はい、まだ自分を「成長」させる気でいきます。笑)


そして。
「自然と、勝手に、好きになれること」は、「縁」だし、「授かりもの」なわけだ。
だって、「誰かに言われたから」とか「何とか自分でも好きになろうと思って」とか、そういう自他どちらもの「コントロール」ではなかなかどうにもならないのが、「好きになる」という感情だからだ。

「好きなものにのめり込んでいく」時のその強力な「発生熱」を、無駄にするべからず。
そう、資源の「有効活用」の観点から、つくづくそう思う。
――「人が生きていくのに必要な体温」って、それは物理的な身体的体温だけでなく、精神や心の体温ってのもまたあるわけなのだし。

そして、それで身に着いた、脳や心の「筋力」「体力」「持久力」は、きっとどこかで役にも立つと思う。

――いや。
「役立つ」「役立てられる」なんてつまらない観点は、一度捨ててしまおう。

「役立つかどうか」なんていう視点――言うなれば「目先の」「小賢しい」目論見や計算は、人なんかの「想定外」に伸びる、つまりそこに縛らさえしなければ「無限」に伸びよう、伸びていこうとする「力」の、「邪魔」になってしまうのであるからして。

――2023年、春節(旧正月)。
(※2023年は、昨日1月22日が太陰暦の元旦でした。)
(正月は大好きなので、私の中では毎年二回あります。笑)

今年の抱負は、「私の自由を邪魔する奴はぶっ」……じゃなくて(笑)、
「より、自由に動いていく」にしようと思う。