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今こそ、繋がらない自由。

5月に入りました。
東京は緊急事態宣言が4月上旬に出されていたので、もうそこから3、4週間が経とうとしていると思うと、長かったようなあっという間な気がしています。

そして同時に、外出自粛の中でのゴールデンウィークを迎えています。
皮肉なことに連日大変天気が良く、今日は雨が降りましたが、それでも室内にいても汗ばむような気温です。

そんな最中、インターネット上では「家で楽しもうコンテンツ」が花盛り。一日中何かを観ていても時間が足りないほど、色々な方がコンテンツを提供してくださっています。

それに、ハッシュタグや指名制の「リレー」が沢山。書籍や映画、音楽を紹介したり、お題に回答したりと様々です。
このの流れは、何となく昔の「チェーンメール」や「ブログ」「ホムペ」を連想させます(いずれも死語ですね)。

さて、そんなSNSの状況をみて、ふと思ったことについてです。

皆さんご存知の通り、2011年に東日本大震災がありました。
当時というと2010年代に入りたて、インターネットが大きく普及し、スマートフォンの所有率も徐々に上がりつつあった時代だったと思います。
その東日本大震災によってインターネットのあり方が変容した、ということが、その数年後から例えばインターネット論で、例えば文芸批評の場でしきりに言われるようになりました。

東日本大震災当時、私は関西で高校生、また「東日本大震災以降」の言説の時期には大学生でした。なんとなくそのことについて実感が持てておらず、「そんなもんか」と思っていたのですが、最近のコロナ禍の中で、ふと「もしかしたらこういうことなのか」と少し思うようになりました。

無論、感染症と地震を全く同列に扱うことはできませんし、また、同じだと思いません。それぞれの場で直面していることは様々です。
どちらかといえば、そういう現象に付随して生まれるある種の非日常、人間があまりどうしようもない出来事が起こり、先のことが見えず、なんとなく不安が広がっているという状況下。そういう時に、コミュニケーションのあり方にゆらぎが生じるのかもしれないということです。

上に書いた通り、最近「お家に居よう」「お家で繋がろう」「みんなでリレー」という系統の投稿がインターネット上(主にSNS)に増えたように思います。

そのこと自体は、素敵なことだと思います。
お家にいて、閉塞感を感じるようなときにその時間をどうにかして「楽しい時間」にできないか、という創意工夫やアイデアが生み出したものだと思います。私自身、色々と楽しませていただいている部分がありますし、もしかしたら自分もどこかでそういったものを投稿しているかもしれません。

しかし、そういった投稿が溢れる中で「なんとなくお腹いっぱいだなぁ」という感覚になっている私がいるのも事実なのです。

少し東日本大震災の時の話に戻りますが、当時、「「頑張れ」といわれるのがしんどい」とか「絆」という言葉に対する議論が生まれていたことを覚えています。

当時は「そんなこと、人それぞれやん」くらいに思って流していたのですが、最近、なんとなくその議論を思い出すようになりました。

孤独であること・いることにもまた豊かさがあると思うのです。
そして、その重要さや、孤独でいることがなんとなく「全体からずれた」行為になってしまうのが、天災や疫病の時の様な「非常事態」なのかなと思います。

ましてや今日、私もですがテレビが家に無いという環境も増え、情報収集のプラットフォームがインターネットに変わってきている人も少なくないのではないでしょうか。
その中で「情報収集」と「いろんな人の議論や意見、繋がりを目の当たりにすること」を切り分けるのは以前よりも難しくなっているのだと思います。

情報を集めるだけでもそういったものをたくさん見てしまう。色んな情報が頭の中に入ってきてしまう。
そういたとき、「ポジティブな言葉」ばかりだとしんどくなるのはなんとなくわかる気がしています。

それが自分にあてられていなくとも、その人に何の落ち度もなくとも。

昔「頑張れ」が「絆」が批判の俎上に上がるということがよくわかりませんでしたが、今なんとなく感じることができています。
そのうちのいくらかはおそらく、個々の事例ではなくそういった「流れ」に対してのしんどさの中で生まれていったものなのではないかと。

先ほど書いたように、今のムーブメント自体が悪いと思うわけでは全くありません。むしろ私もその恩恵にあずかり、また私もその流れに加担している、というのが多分自然な所だと思います(少なくともこれを書いている時点で)。

しかし、あえて独りになるとか、もしくは家族とか、親しい友人とか、そういった小さいコミュニティの中に留まることを意識するのは、結構大事なのかもしれないな、と思いました。

(とはいえ、ご家族で暮らしておられる方など、少し窮屈だったりするんじゃないかな、などと思ったりもするわけですが)

また、小さいコミュニティが周囲にあまりないのであれば、接続を必要としないコンテンツ(漫画とか、ラジオとか)に浸るのもいいかもしれません。

いずれにせよ、そうやって個人レベルで「適度に孤独になれる自由」を行使しながらやっていくのが良いのかもな、などと考えています。

(ひとりでにコラム第12回・了)


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