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志水辰夫さんの話。

最近、一冊の本を購入した。

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『いまひとたびの』というタイトルのこの本は、志水辰夫という作家の短編小説集で、初版が平成6年、1994年に出版された。
丁度私が生まれた年にあたる。

新装版以前の初版を読んで以来、私の好きな小説の中でもかなりの上位を占めている本だ。

それが、この令和2年になり、新たに書き下ろし短編を加えて出版されるということで、自分が好きな小説が「新しく出版される」ことに立ち会えるという、少し不思議な喜びを感じながら購入した。

少しだけ思い出語りを。

その本との出会いは高校時代。

高3の夏、受験を控えていた頃。
塾などには通っておらず、大した成績を残していないながらに高3の夏ギリギリまで部活動に精を出していたもので、とにかく夏以降に受験の追い込みをかけていかねばならない、という状況だった。

さて、そんな高校生には有難いことに夏休みには高校で受験に向けた集中講座の様なものがあり、私はそこに通っていた。

元来、比較的国語と社会は得意という、いわゆるところの「文系人間」だった私は、私大の文系学部を受験する予定だった。そのため、あとはどれだけ自分の得意を伸ばせるかということに眼目を置いて講座を受講していた。

現代文も得意だったのだが、この科目はけっこう厄介なもので、日頃得意ではあり、おしなべて高得点を取れるものの、時折大きく方向性を間違えると大きく得点が下がる、という分野。読み違えをしてしまうことがあるのだ。
しかも自分一人で勉強していたところで、いち高校生には正答と自分の回答の比較をしかねるという分野でもある。

(ちなみに読者に受験生の方がいた場合、先輩からのアドバイスとしてはひとつ。文章から何かを読み取ってはいけない。ただの作業なのです。受験生いないと思うけど。)

それで、現代文も講座を受けて、練習問題を解いていくということにした。
その時に解いた文章、それが「赤いバス」(『いまひとたびの』所収)だ。

『いまひとたびの』のいちばん最初の短編がこの話。
老年の男性が、田舎の山村に移住してからの何の気ない暮らしを描いた話。

一度読んで、心を奪われた。
社会の喧騒から離れた男性の視点で語られる淡々とした語り。
あくまで抑制的な情景描写にもかかわらず、頭に浮かんでくる鮮やかな色彩。そう多くない登場人物のなんでもないような人間関係から浮き上がってくるストーリー。

私は自分がこの問題文を読んでいた頃の、教室に数人しかいない、夏のうだるような暑さの高校三年生、塾に通っている同級生やまだ見ぬ同じ学校を志望している受験生たちの存在への期待や不安、そういうものの存在を、この文章を書きながら思い出しているのだが、例えばそういう「自分(書き手)の中に浮かんでいる風景」を、そう長くはない短編小説の中で、いま私が書いている文章の何十倍もの鮮やかさと筆致で、読み手にもしっかりと浮かび上がらせてくれる、そういう感じ。

こうやって書いてみても、私じゃ全く伝わらなさそうだ。当たり前の話だ。


ちなみにその時の採点は完璧、ということもなく、そこそこだったように思う。

なお、入試の時には評論に小林秀雄が出てくるという事態だったが(その評論は我々世代のセンター試験国語に多大な影響を及ぼしたそうだ)、逆説的にというか、結果として相対的に現代文は好調だった。ありがとう国語の先生、補習が活きました。

話がそれた。

その後、補修を終え、学校を出てから、問題集の情報を参考に、すぐに携帯電話で本のことを調べた。

わかっているのは、著者が志水辰夫というひとだということと、読んだのが「赤いバス」という作品名だということ。

それを頼りに、携帯電話(ガラケー)でいろいろと調べてみた。

志水さんは、40代以降に小説の投稿を始められたそうだった。
多様なジャンルの小説を書いておられたが、私がその存在を知った時には、時代小説を中心に据えておられる、とのこと。

また、代表作はドラマ化もされた『行きずりの街』であること。あとは「志水辰夫めもらんだむ」というホームページを運営しておられることなどがわかった。
実際、私が不勉強なだけで「ハードボイルド小説」の分野で著名な方あった。

ともかく当時は携帯といっても、いわゆるガラケーで、しかも今のようにSNSで全てが探し当てられるということもなく、中高生にとってはちょうどインターネット発展の最中ぐらいで、ネットリテラシーも高くなく、それ以上のことはあまり把握できなかった。

ただ、ホームページを見つけられたので、そこで更新される「きのうの話」という日記のようなものをよく読んでいた。ちょうど私が志望していた大学のある街に住んでおられたこともあったと思う。

いい意味で飾りのない文体で、淡々と日々の暮らしのことを書き連ね続けておられているのだが、それでいて気温や風景の話などの情景描写によって鮮やかさが立つ文章が素敵だった。まさに私が読んだ小説のような。

また話がそれた。

それで、いつだったか、いよいよ本を手に入れた。
無事に志望していた大学に進学したくらいだったと思う。

当時はamazonなども利用していなかったので、書店を探し回ったがなかなか見つからず、結局最初は図書館でみつけたのだったか。

早速読んで、改めて感動した。
書籍を手に取る感動もひとしおながら、短編集の他の話も素晴らしかった。

そして、これは新刊の方を読んだ際も思ったが、北上次郎さんの解説も素晴らしい。自分が本を読んで感じていたことを、読後感を邪魔せずしかし明晰に言語化してくださる。

それ以来、私の大事な本の一冊になった。

ついこの3月、令和2年に書き下ろし新装版が出版されたとの通り、志水さん、未だ執筆活動を続けておられる。影ながらご健勝をお祈りしております。

ところで、最近訪れていなかったホームページをのだけど、久方ぶりに訪れたところ、そこには数年前と変わらず更新されつづけている「きのうの話」があり、大変うれしくなった。

以降ちょくちょく、訪問していなかったあいだの「きのうの話」を読みに、志水辰夫さんのホームページを訪れている。

このご時世ですが(だからこそ?)、じっくり「きのうの話」を読む楽しみが増えました。

(ひとりでにコラム・第13回)

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