高校2年生で心が折れても大学生になれたよって話。1

こんにちは。

大学受験を控える方にとって、いまさら、、、、って感じの内容になってしまうかもしれません。

今後大学受験をするであろう高校生、今学校に通うのがつらい学生、出席回数や単位が足りるか心配な学生、そうじゃなくてもこの記事に興味を持ってくれたすべての人に向けて、私が経験した高校で辛かったこと、がんばって大学合格できたことをここでまとめたいと思います。


ざっとまとめるとこんな感じ

・高校2年生で教室や部活に行けなくなって保健室登校、案の定単位がやばい

・しかも高校3年生になったのを機に理転

・でもなんとか大学合格したよ

なんか胡散臭い感じになりましたが、今回は一番上について書きます。


・高校2年生で教室や部活に行けなくなって保健室登校、案の定単位がやばい

 高校2年生になると、私の高校ではクラス替えがありました。当時部活は中学から続けて吹奏楽部に所属、副部長も務めさせて頂きました。新しいクラスには、正直仲良しの人はいませんでした。同じ部活の人はなんと7人も。ただ1年生のときにクラスで仲が良かった人、部活内で仲が良かった人はいませんでした。なんとなく部活では話すけど、って感じです。

なんとかクラスの人と仲良くなろうと、積極的に声をかけに行きます。ですが、人見知り、人付き合い苦手な私には苦痛でしかありませんでした。しかもちょうど高2の5月に、同じくらいの吹部の人と仲たがいをしたのもあり、徐々に教室に通えなくなりました。教室にいづらくなったのです。私の記憶が正しければ、6月ごろには1日の半分くらいは保健室にいました。

保健室はとても居心地が良かったです。実は吹部の顧問の先生の一人が保健室の先生でした。その先生は親身になって私が「何が辛いのか」「どうしたいのか」を聞いてくれました。教室に通えないうちは保健室の中でも個室のような場所にいました。

7月、一応それまで部活に顔を出してはいたのですが、ついに部活にも行けなくなりました。仲たがいをした相手とはパートが違ったのでほとんど話すこともありませんでした。しかし分かる人には分かると思いますが、7月の吹部といったら、コンクールで忙しい時期。このとき部活を1~2週間も休む副部長が私でした。主顧問の先生は私の学年で他クラスを受け持っていました。というか高1のときの担任の先生でした。高2のときの担任の先生や保健室の先生方から話を聞いたのか、なかなか教室に行くのすらしんどい状況だと理解してくれていたようです。ただ、さすがの私も部活に迷惑はかけられまい、と夏休みに入る前くらいからはがんばって部活に行くようになりました。この辺りから、部活の同学年のノリとか、そういうのもしんどくなって部活も嫌いになってきました。

しかし夏休み…。吹部にとっては超絶ハードな毎日がやってきます。コンクール練習に明け暮れ、8月末には他校と練習会、そしてきたる定期演奏会の練習…。しかし忙しかったのが逆によかったのか、教室に行くことがなくなったからか、このときは割と頑張っていた記憶があります。


時は少しさかのぼって7月上旬。実は教室に通えていないことを、家族には話していませんでした。理由は母親に怒られるから。私の母は「学校に通うのは普通のこと。ひきこもりや不登校は異常」という考えの人でした。(その割にはひきこもりだった父には何も言ってませんでしたが。)

教室に通えなくなってから、家に帰ったらすぐに寝込む日もありました。大好きなプロ野球観戦も、開幕戦を観に行ったきり行けなくなりました。母に学校の話をすることもありません。なので会話もほとんどなし。一度高熱が出たのに学校に行かされた日もありました。さすがにそのときは「母親失格だね」とlineが来ましたが、そうだね^^と思っていました。

母はそんな様子の私を、どうとらえていたのでしょう。きっと「なぜこいつは学校に行きたがらない??」程度にしか思っていないのでしょう。残念ですが、察してもらうのは非常に難しいです。かと言って、「学校に行きたくない!部活やめたい!」というと、拳が飛んでくる母です。そりゃ、保健室頼りになるわけです。ある日、保健室にいつものように登校したときの私。開口一番に、

「親に殴られました!」

と元気よく先生に行ったのを覚えています。

事態を重く見たのか、ついにカウンセラーさんを紹介されました。

カウンセラーさんとは、普段どういうことをするのが好きか?とかそんな話をしました。学校や部活の話はあまりなかった記憶があります。このときはノリノリでプロ野球の話をしました笑。カウンセラーさんも、ノってくれました笑。

そして夏休み突入前、ついにこの日が来ました。

私、母、担任の先生、保健室の先生、カウンセラーさんの5人で、面談。

と言っても私はその場にいるだけで、端っこのソファーで耳栓をつけて寝ていました。言い方は悪いけど、きっと母が私の状況を理解する気がないので、先生たちから話してくれたのでしょう。

実はいつだったか、自殺を考え家のベランダに立っていたことがありました。でも、死ねませんでした。高所恐怖症だとか、死ぬのが怖くて中学からの友達Sに電話したりとか。いろいろしてたら死ねなかった。もちろんこのことは保健室の先生にも言いました。誰にまで伝わったかは知りません。

自殺を考えていたことを、カウンセラーさんが伝えました、そしたら、母親泣いてやんの。何をいまさら。私がつらいとき、なーーんにも手を差し伸べなかったのに。

でもこの面談がきっかけで、母親が殴ることはまずなくなりました。それと以前より保健室登校に寛容になった気がします。部活に関しては、最後までやれって感じでしたが…。


てなわけで、夏休みも乗り越え、いよいよ学校の再開。

実はこのとき、すんなりと教室に通えるようになったのです。しかしそれには、本当にいろいろな人達の支えがありました。

まず担任の先生Ⅰ。Ⅰ先生は自分の授業が無い時間には保健室に来てくれました。そこで他愛のない話をしたり。高2になるとだんだん大学についても考え始めるので、大学についての情報を持ってきてくれたり。ちょうど高2の7月頃、私は理転を考えていたので、それについての相談も乗ってくれました。

次に吹部で同じパートの先輩と同学年の子。少人数パートなので、高3と高2合わせて3人しかいませんでした。ちょうど部活にも行けなくなったころ、この2人から手紙が届きました。内容については省略しますが、本当に嬉しかったです。

次に同じクラスの女子3人。この3人とは後に卒業までいつメンになるのですが、なんと修学旅行で同じ班に入れてくれたそうなのです。この3人とは話したことがありませんでした。正直、高2のはじめからこの3人と仲良くしていれば…。と思うことはあります。

最後に中学からの友達のS。彼女とは高校受験のときから仲良くなり、私が彼女を誘って同じ高校に入学しました。(中学でも同じ吹奏楽部に所属していましたが、彼女は中2の終わりに転入してきたのです)彼女と同じクラスになることは一度もありませんでしたが、彼女もいろいろ人間関係に悩んできた人で、電話でも保健室でも話を聞いてくれました。現在もご飯にいったりときにはゲームをしたりしますが、本当にありがたい存在です。

9月からは上記の同じクラスの女子3人と一緒にいました。本当に楽しかったですし、ありがたかったです。ただ部活では、3年生が引退したことで、私たちが最高学年になりました。正直だましだまし続けていましたが、部活がつらいことに変わりはありませんでした。ですが本当に吹奏楽は好きだし、楽器も好きなので最後まで気合で続けました。まあ私は、部活なんて無理して続ける必要はないと思います。この話はまた後日…。


と長くなりましたが、ここで一つの問題が発生します。

出席がやばい。

厳密には、あと数回休むと単位落とすよ^^っていうレベルまできてしまっていたのです。

7月までは落とさない程度に休もう、と話しをしていました。最終的に進級の判断がされるのは、学期末の成績なのでまだセーフでしたが、前期の体育の成績は1でした笑。(最終的に1があると留年)

そこで、保健室の先生に協力してもらい、出席を確認することになりました。実は9月からもちょこちょこ保健室に通っていました。保健室で休むのは私の気分が落ち込んだ時でした。気分で休むな!ってお思いの方に言いますが、このときは本当にすぐ傷つくレベルだったので、苦手な人にハブられた、何か言われた、クラスの雰囲気が無理だったとか、何かあれば保健室に直交して気を休めていました。

おかげで留年することはありませんでした。ただ家庭科が、あと1回休むと留年だったそうです…。危ない危ない。

このように出席で成績を稼ぐことは厳しかったので、勉強だけはがんばりました。心身ともにぼろぼろだった前期はテスト勉強もしなかったので、史上最悪の点数をたたき出していたと思います。ただ後期は授業に出なかったときの内容もちゃんと勉強するようにしました。決して自習したいから保健室に行く!ってことはしていません。



以上が私の高校2年生のときの話になります。

次は理転から大学合格までについて書く予定です。

少しでも多くの人に読んで頂ければ幸いです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?