柊生元帥への手紙

柊生元帥へ。

今日、第14帝國の式典に参加するためにダイアモンドホールへ行きます。

その時までに、柊生元帥への手紙を書こうと思っていました。何度も便箋を出そうと試みました。が、どうしてもできませんでした。

改まって手紙を書くとなると、どうしても過去の思い出と向き合うことになりますし。そうしたら、もう何を書いていいのかわからず涙が出そうで怯んでしまったのです。

もうnoteを更新することはないかと思っていましたが、打ち慣れているスマホならぽつぽつ文章が書けるかもしれないと思い、久しぶりに開いてみました。

第14帝國の存在を初めて知ったのは、まだギリギリ10代だった頃。コミケのテーブルに置かれていたチラシでした。

あの頃の私にはコミケへ行く所謂オタクなお友達がいて、サークル参加しているのにくっついてよく遊びに行っていました。そのテーブルの上によく置かれていた、帝國のチラシ。

最初の感想は「えっこれ何?軍人?怖っ!」でした。ごめんなさい。でもきっと、それも狙いでしたよね?

気になる!と言った友人2人がvol.10を観に行きました。その時購入してきたビデオを貸してくれたことが、本当の柊生元帥との出会いでした。

あの、映りが悪い、音も時々大きくなったり小さくなったりする、式典のビデオ達。vol.8を観た時の衝撃は何と言葉にすればいいかわかりません。かっこよさと爆笑の渦にもまれて、私はあっという間に元帥の虜になりました。

次の式典は東京と知っても怯まず、友人達と夜行バスで観に行ったのがvol.11です。帰りのムーンライトながら、自由席が全然空いていなくて、リクライニングの効かない4人向かい合わせの席で直角のままどうにか眠って名古屋へ帰りました。そこまでしてでも、行きたかったんです。あの式典、ビデオにならなかったのが今でも残念でなりません。

大学の学園祭にも行きました。柊生元帥が式典の最中、背後から登場した時に手に持っていた焼きそばを急に「あげる」と渡してくださったのが最大の思い出です笑 あれはびっくりしました。びっくりした、という声がモロにビデオに入っていてもう一度びっくりしました笑 あの焼きそばは友人と美味しくいただきました。式典の後に食べたので、めちゃめちゃ冷えてましたけど。

リッターの皆さん全員もちろん大好きですが、私はとにかく柊生元帥に夢中で、でも式典の後は物販のところに元帥がいると妙に緊張してしまって、うまく話しかけたりはできませんでした。

先日実家に行ったら、そんな物販の時に撮った写真が出てきました。カメラを向けたらポーズを撮ってくれた、カメラ目線の元帥の写真です。綺麗に撮れていて嬉しかった記憶が蘇りました。ありがとう元帥。

バレンタインにチョコレートを贈ったこともありました。元帥の公國は寒いからペンギンがいると聞いて、ペンギンのチョコレートを。安易だったなぁ…笑 でも元帥は後日丁寧にお返事の葉書をくれました。ペンギンの中身は空洞でした、と書かれていて「ああちゃんと食べてくれたんだ!」と二重に感動しましたよ。なんて律儀で臣民思いの元帥なんだろうと。

あの頃、バイトしてお給料もらってビデオや写真を買う、その繰り返しの日々でした。それが幸せだったのです。私はあまり遠征が得意じゃなかったので、東京や大阪の式典はあまり行きませんでしたが、帝都名古屋の式典は全部参加していました。

色々あって、帝國の活動が多方面に分散された頃、私は社会人で仕事が忙しくなり、休日は今の夫とお付き合いをして、少しずつ帝國から離れていきました。

でも元帥や帝國への愛がなくなったわけではなく。元帥とmixiやTwitterで繋がることができた時は胸が喜びに満ちました。生活の中心ではなくても、私はあの10代の頃からずっと第14帝國の臣民です。今も。

コロナ禍の時はツイキャスに本当に救われました。あの先が見えない緊急事態宣言、子供達は学校が休校で仕事場も混乱していた最中。毎日柊生元帥の声が聴けたあの時間が支えでした。

柊生元帥が亡くなってしまう。そんなことは、全く考えもしない日々でした。

入院しても手術しても、絶対に颯爽と帰ってくると、何も信じて疑わなかったんです。多くの臣民さん達がそうであったように。

あの日。12月2日。仕事終わりに近所の薬局で買い物をしていて。レジ待ちが長かったのでなんとなく開いたTwitter。

立花大将がリツイートした、児玉さんのツイートが目に飛び込んできた時。

訃報。

その二文字が脳内でゲシュタルト崩壊を起こして、持っていた買い物カゴを落っことしそうになりました。

茫然としたまま会計を済ませて家に帰り、もう一度しっかりとTwitterに向き合いました。何かの間違いとか冗談じゃないのかと、必死に。

でも、どうしても、間違いではないと。訃報という情報は正しいものなんだと。

次に臣民の皆さんのツイートを追い始めました。「ご冥福をお祈りします」「ありがとうございました」「ゆっくり休んでください」そんな文字がどんどん目に入ってきて。

私は、そのどれも言えませんでした。

とてもご冥福は祈れず、ありがとうもさようならも言えませんでした。

柊生元帥がいない。

その事実を、嘘ではないと思っても、受け止めきることができなかったんです。

遠藤伯爵の言葉を見るたびに涙が止められませんでした。「二度と彼に会えないのではなく、目を閉じればいつでも彼に会うことができる」その言葉通り、目を閉じると元帥の青い髪や笑う口元や演台から出てくる凛々しい姿や、なにもかもがとめどなく浮かんできて目を閉じたまま涙を流し続けてしまいます。

Twitterを閉じて、私は仕事中の夫に電話しました。

夫は電話の後、すぐに帰ってきました。

抱きしめてくれて、気が緩んでしまった私はまた泣きました。子供達が隣の部屋にいるのも構わずに声をあげて泣きました。

「ファンも悲しいけど、きっと本人が一番悔しかったと思うよ」

そう言われてまた泣いて、泣いて、お酒が飲みたくなって、下戸の夫と焼鳥屋へ行って、メガハイボールを飲み干して、腫れた目で眠りにつきました。

私の大切なものを大切にしてくれる夫でよかった。泣きまくる私を諭したり馬鹿にしたりする人じゃなくて、本当にあの夜はありがたかった。

私はまだ、今日になっても、ご冥福は祈れていません。ありがとうやさようならも、まだ言えません。

きっと今夜、ダイアモンドホールに行って、やっとその言葉が言えるんじゃないかと思っています。

同じ思いの臣民さん達と、リッターの皆さんと一緒の空間なら。それが叶うんじゃないかと思っているのです。

柊生元帥がいない世界なんて考えられない。あの日からずっとそう思ってきたけど、精神世界の中に元帥はずっといる。そうも思っています。

今でも、目を閉じれば、鮮やかに貴方の姿が浮かびます。

それはきっと私がこの世で死を迎えるまでずっとずっと変わることがありません。

どんな気持ちで今夜ダイアモンドホールを出るかはまだわからないけれど。ずっと帝國臣民だし、ずっと元帥の虜だし、第14帝國に出会えてよかったし、私は幸せです。

私が生きている限り。私の精神世界に元帥はずっといます。

どうかこの先の私の人生にも、そっとお付き合いください。柊生元帥。

ダイアモンドホールで会えるのを楽しみにしています。

追伸:柊生元帥の写真を子供達に見せたら「えっ、超絶イケメンじゃん!やば!!これは好きになっちゃうね」と言ってましたよ。やっぱり柊生元帥の魅力は写真からも溢れちゃってますね!



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