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親業の分担度合。

読書会に参加していたら、急にスマホの着信が。
マナーモードにしていたとはいえ、手首のウェアラブルウォッチが振動することで一気に本の世界から現実に戻される。
慌てて画面を確認すると、子どもたちが通う塾。
何か重要な話かと思い、静かな空間の隅っこに移動して「もしもし…」と小声で出てみる。
相手は塾の校長だった。
「明日の漢字検定、お子さん遅れないようにお越しください〜」
………え、それだけ?

母親業を始めて15年以上になる。
お腹の中に生命が宿るという、何物にも変え難い体験をさせてもらった。2回も。
大きくなってきた彼らは、だんだんと一人でできることが増えてきて、好きにご飯を作ったり、勝手に友達と遊びに行ったりする。
つきっきりで彼らの安全を守っていた頃に比べれば、今は遥かに自分の時間を確保できている。
それでも常に、しかも突然に「親」を求められる瞬間がくる。

学校から、塾から、習い事の先々から予告もなくかかってくる電話。
「進路希望の調査票のことなんですが…」
「先日お子さんに渡したプリントがまだ提出されていないのですが…」
「次回の見学会のことで…」
「体調が悪いようなので今からお迎えに来られますか?」
休日にスウェットのままだらだらしている時、昼間からお酒を飲んでへろへろしている時、映画館でクライマックスシーンを観ている時、カフェでランチを注文してまさに食事がテーブルに届いた時。
電話の向こうにいる人は、私がどういう状況かなんて知らないから、タイミングなど全く選ばず私の手首は唐突に震えだす。
先生方も、親に連絡するのは手間だしきっと大変なことだろう。だから、それは仕方ない。いつもありがとうございます。
なにが問題かって、これらの電話が我が家では全て「母親」にかかってくることだ。

保育園に通わせるようになった時から、いつだって緊急連絡先の1番目には私の携帯番号が書かれていた。
夫の連絡先だって下に書いてあるし、時々、ほんとうにごく稀に夫に連絡がいくこともあったけれど、それは私がどうしても手が離せない状態(仕事で電話中だとか、運転中だとか)の場合だけ。夫の前に必ず私の携帯は一度鳴らされる。なんなら二度、三度と鳴らされ、どうしようもない時だけ夫に連絡が入る。
そんなだから、夫が知らないうちに突発的な子ども関連の呼び出しを済ませたことは、数えきれないくらいある。

似た家庭も多いのではないか。
子供たちに関わることは、なぜか母親がまずやるという取り決めが、太古の昔から知らないところで勝手になされている。
私の夫は、保育園時代は滅多に会社を休んでくれず、流行病で登園させられない時に減るのは私の有休ばかりだった。
「俺の仕事は休めない」と面と向かって言われたことまである。なかなか酷い。
今では大分考えが変わったようで、私の仕事にも一定の理解を示してくれている。時には子供の不調に有休をとるし、学校行事も積極的に参加する。けれど、一番きつかった頃にパートナーの支援があまりないというのはしんどく、何度も泣いた。お迎えがあるため何年も短時間勤務しかできず、なかなか仕事の成果は出ず。保育園時代は、「早く帰れていいね」なんて陰口をたたくおじさんもいた。お迎えに行けば子供たちが寝るまで自分の時間などなかった。
朝起きてから子供たちが寝るまで、嵐の中で闘っているような日々だった。
多分夫自身はそんなこと覚えてはいない。私が泣きながらでも強く訴えたりしなかったから。
なんで言わなかったんだろう。言えばよかったのに。私も「母親神話」みたいなやつに、取り憑かれて生きていたんだと今なら思える。

この、うすらぼんやりと続いている「母親すごくがんばる」的な空気を、自分の子供たちには引き継ぎたくない。
緊急連絡先に書く携帯番号、父親と母親を並べて書いて「好きな方にかけてください」って付け加えたっていいんじゃないのか。
親業のやり方や分け方は各ご家庭ごとに自由に決めればよくて。なんとなく刷り込まれ、引きずっている古くからの価値観みたいなものを、自分の世代で断ち切るのが役目なんじゃないかと、この頃は考えている。

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