優しく、認めてあげること。

最近、コロナの影響で仕事もお休みになり
とても暇だったので部屋の片付けをしていました!

その時に気づいたことを綴っていきます。

私は読書が好きで、本をよく読むのですが、あらゆる所に本が散らばっていたので、何となく重ねてタワーみたいにして積み重ねました。

すると、自分でもびっくりするくらいの沢山の本がありました。

私は読書が大好きです。
ジャンルはエッセイが好きです。

読書と美容が唯一の趣味でして、タワーになった沢山の本を見ながらふと考えました。

私がエッセイ本が好きな理由なんてあまり考えたことがなかったけれど、もっと自分の内面を磨きたいと思い、様々な方の価値観に触れ自分の物にし常に成長したいという願望から本が好きなのだと気づきました。

自分でも無意識に、月に何冊も何冊も読んでいてこんなに沢山の情報量を頭に入れようと必死な自分を、もう少し褒めてあげてもいいのではないか。

客観的に見たら、自分がどのくらい努力したかとか、すごいかとかレベルは分からないけど、私は今までずっと自分より遥か上のものを目指す癖があるようでした。

周りと比べ美容に著しく興味があるのも、「自分はまだまだ」スタンスで生きているから。

私なんて、そんな努力できているつもりなんかないし、もっと努力するべきと思っていました。

自分が思う完璧になりたくて、必死に内面や外見を磨き続けていたけれど、気づけばそれで何も満たされることはありませんでした。

積み上げられた本を見た時に、「あ、私本当はこんなに頑張ってたんだ。」と気づかされました。

美容に関しても、自分の理想の外見になりたくて、たくさんお金をかけてきました。
美容皮膚科でお肌のお手入れを毎月したり、エステに通ったり。
そこまではいいのですが、自分の顔が完全な理想的ではなかったため、将来美容整形を本気で考えていました。

美容に関しても、私はたくさんのお金を費やしとても頑張ってたんです。

それにずっと気づくことができなくて、やっと気づくことができました。

それに気づいてから、今までの自分の努力を素晴らしいと心から思うことができ、反省しありのままを認めることにしました。

ここがダメ。あれがダメ。もっと努力しなければいけない。と全てを否定して生きてきました。

それは幸せになるためにストイックだったのかもしれませんが、結果、ずっと宝探しで見つからない宝を探し続けてるような感覚でした。

自分にないものを作り上げるやり方ではなく、それまでの自分の努力をまずは認めてあげること。

高いところを見るのではなく、自分の素直な目で見ていいところはいいと認める。

そう、認めることが大切だと思います。

そんな自分に厳しい目ばかり向けて、痛めてばかりだと幸せになろうとしていたはずなのに、どこか無茶をして空回りをしている気がします。

だから、素直にもっと自分に優しく認めるべきだと自分自身に強く思いました。

今はすごくならなくていいのです。
高いところを見て自分との差に落ち込まなくても、必死に努力しなくてもいいのです。

自分のペースで無理ない程度に着実に努力し、一つ一つ認めていく。

こんなストイックすぎるほど努力家な私だから、きっと気づいたら理想の場所へ行けてるのではないかと感じています。

多分、全てないと思っているものは既に自分自身で持っているはずです。

肩の力を抜いて、高い目標は一回捨てて、大切だと思ったことを胸に自分らしく生きます。


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