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充実を感じる生というのは

カウンセリングをしていて、最高のうれしい時間は、そのことばを聞けるときです。
――生活のなかで、充実を感じるようになりましたーー
学校に行ってなくても、給料を稼いでなくても、つまり、世間並みの多数派的な視点から見ると、「成功者」の成績があげられていなくても、日々、充実した生を感じられるようになりますね、ということば。
それが、「どうですか?今は」という質問に対して、ぼそぼそと、むしろ無表情にかえされてきたとき。一瞬、こちらの、呼吸が止まります。

私たちは、今の社会体制の下で、現在の社会での支配的な価値観にとらわれて、どうしても「世間の認める」「人並み」を求めてしまいます。その「人並」は、貴いことなんだろうか、大切なことなんだろうか、と問うことは忘れて。そうなっているからそうなのだ、ということ以上の理由もない価値づけ、です。負けるよりは勝つほうがいいから勝ちたい、というようなことです。いや、勝たねばならないのだ、とまで思い込んでしまいます。そもそも勝つ、ってそんな大事かな?という問いは、ぬるい、弱々しい言い訳、屁理屈みたいに一蹴されます。

ほかのだれでもない、自分の脳内で、自分が一蹴します。するもんです。

カウンセリングを受け始める人が求めるのは”回復”や”治療”です。もちろん。けれど、ほんとは、カウンセリングの目標は”成長”だと言われます。せっかく病んだのだから、もとの自分にもどるのではなく、もっと豊かな自分へ成長しよう、ってことです。

よくよく考えてみたら、偏ってて狭くて、よその国では通用しない、よその時代では通用しない「順位づけ」に縛られる小さい自分を手放して、脱皮して、別の自分へなることは可能で、そしてすてきなことだと思います。

幸せ、とはなんだろう?生きる意味、とはなんだろう?いま、ここでの一瞬一瞬の充実を味わうこと、そのほかになにがある?……と私は勇気をもらうのです。クライアントさんのそのことばに。

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