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思いこみ、のふしぎ


  うつの傾向のある人は、心理学の言葉を使えば、認知が歪んでしまうことが多々あります。認知、とは、物事の受け止め方のことです。

  こんなパターンのエピソードです。

  その男性は一人暮らし。古い一軒家を借りて住んでいます。日中働いているので、庭の草刈りがなかなかできません。それを気にしていました。春が来て、梅雨になって、雑草が伸びる。近所の目がある。

 ある休日に、草刈りをしておりました。草刈りガマを持っていないので、その古い家のどこかに置いてあった、草花の手入れをする小さめのはさみでチョキチョキ切っていました。すると、向かいのおうちのおばあさんが見かけて、「それじゃ仕事がはかどらんでしょ」と大きな草刈りハサミを貸してくれました。親切な笑顔の柔らかいおばあさんなのです。

――「草刈りをやっと始めたね。早くしなさいよ」と思われてるんだ。やっぱり見られてたんだ――

 彼はそう受け取ったので、がんばってたくさん草刈りしました。借りた草刈りガマで。夕方にはかなりさっぱりした庭になったので、「ありがとうございました」と草刈りガマを返しに行きました。ほっとしました。おばあさんも笑顔で「がんばったねえ。きれいになって。」とほめてくれました。

 そして夏が来て。草はまた伸びました。男性は、近所から「草が伸びててみっともない。虫がわく。早く枯れよ」と思われているに違いない――と焦りましたが、休日はぐったりしています。焦るほどに気分がおちこみ、動く気になれないでいました。

 ある夕方、帰宅すると玄関脇に大きな草刈りガマが置いてあるのに気づきました。男性は「むかいのおばあさんだ」と思いました。「伸びているから、これ使って刈ればいいよ」という親切心だろう、と受け取りました。早く刈らねば、とますます焦りは募りました。刈りきらないと、返しに行けない。早く刈って、返してしまいたい……しかし結局草を刈ることがないまま、秋になりました。

 ああ、もうだめだ。気分がましな秋の休日に、決心して、彼は新品の草刈りガマを買いに行きました。人のカマを借りる甘えた気分がよくないのだ、と。その気合が奏功したのか、ついにその夕方には、きれいに草を刈り取ることに成功しました。

 お礼の気持ちで、むかいのおばあさんに、置いてくださっていたほうのカマを返しに行きました。夜です。

 「ありがとうございました。おかげさまで草、刈れました。」

 「あれ?それなに?」

 「いや、お借りしていた草刈りガマ。」

 「返してもらったでしょ。それ。いつのこと?梅雨頃のこと?」

 「いや、うちの玄関脇に置いてくださったのじゃないのですか?」

 「え?うちのおじいさんかな。聞いてみよか?」

 おじいさんは奥で、知らんよ、と言ったみたいです。玄関先に出てこられました。

 「どれよ。草刈りガマ?うちのはここにあるぞい。」

 手に持っておられます。すると玄関先に置いてあったこのカマは?

 「見せてごらん。…あらら。こらもうサビサビじゃ。こんなにさびとったら草なんか一本も刈れんよ。」

 おばあさんも手にとって「あれ。トマトも切れんね。うちのじゃないわ。」と言います。

 男性は錆びてることに初めて気づきました。気づかなかったのです。だって見るのも怖いような気持ちでその横を目をつむって通り過ぎる毎日だったのですから。じゃこれはなんだろう?だれだろう?

 あ。思い出しました。草刈りガマを返したその夜に、探したのでした。この古い家のどこかに、前の住人が使ってたのがあるんじゃないかな、と。そして、納戸の奥に見つけたのです。それを、玄関横のわかりやすいところに置いておいたのです。次は人に借りないで刈ろう、と忘れないように。そしたらその置いたことを忘れたのです。そして見つけた日には「誰かが置いてった。」と怯え始めたのでした。

 これが、実際のストーリーでした。

 私は夏ごろから、この男性から「庭の草刈りができてない」という気がかりを聞いていました。むかいのおばあさんが置いていった草刈りガマに焦りを感じる、とも。

 私は、じゃ、別のストーリーも思い浮かべてみましょう、認知療法のいい練習材料ですよ、とはたらきかけていました。

 男性の頭にすぐ浮かんでしまうストーリーは、認知療法では「自動思考」といいますが、こうです。

A――おばあさんは怒っている。「早くこれで刈り取れ。」と。近所の人もそのおばあさんに聞いて一緒になって怒ってる。――

 で、それとは違うストーリーは、たとえばこうです。

B――おばあさんは親切なだけで、怒ってはいない。草刈りがしたいんだろうから、使えばいいよ、という程度の親切心で、近所の人もよその家の庭のことまではそんなに気にしていない。――

 あるいは、また別のストーリーは、

C――おばあさんは若いあなたのことが好きなのだ。一人暮らしをなにかと応援してあげようと思っている。だからときどきおはぎなんか持ってきてくれたりする。畑でとれた野菜をもってきてくれたりする。いろいろ持ってきてあげたから、草刈りハサミのことなんか忘れてる。返しに行ったら「あれ。そんなの貸してたんだ。ないと思った。探してたんよ。あほやな私は」と笑うだろう。でもそういうコミュニケーションが老人は好きなのだよ。――

  さて、じゃ、三つ考えだしたストーリイが目の前にあります。どれも真実100パーセントだ、とは決めつけられません。じゃ、想像してみましょうか。どれが何パーセントあたってそうですか?

「ううん。この中では、Cみたいな調子のいい話はないと思うし、やっぱりAは悪く考えすぎかもしれないし、ややBの方がリアルなストーリイかなと思います。だけどAがほんとだという可能性は消えません。」

 そうですか。その合理的な受け止め方のことを「適応思考」っていうんですよ。自動思考の逆の考え方を「反対思考」と言います。いろいろ考えてみて、その思考三つを評価してみましたね。さて、そのうえで、今、気分はいかが?

「さっきよりは少しましです」

 なるほど。こういう練習、これからも、ちょこちょこやってみましょうね。

……そんなやりとりをしていたのです。

  そのこと自体はもう忘れていました。草の庭はもう刈れかけている季節です。草が伸びること自体が問題ではなくなっているように私も思っていたのでしょう。忘れた頃にこれが実際の事実だった、と知って、私たちは笑いました。AでもBでもCでもなくて、Dっていう筋が急浮上。そしてそれが事実でした。どのストーリーよりもずっと気楽な物語が真実だったんだ、とわかって、自分たちの考えこみのこっけいさにずっこけるような時間でした。

――こんなことってあるんですね。

 その男性は自分のかんちがいにあきれたように言いましたが、私のほうは、事実は小説より奇なり、を地で行くようなこの体験を、なんだか大切なことかもしれないぞ、と思いました。事実は、こんなものなのかもしれないぞ。

  私の近所の少年10歳のはなしがあります。このご時世なのにマスクを持っていくのをよく忘れるのでお母さんに叱られます。朝、学校につく前に、あ。あれ。あれれ。と慌てました。友達がどうした?どうしたの?と聞きます。

 ない。忘れた。忘れたかも。ああ。もう。

 なに?なに忘れたの?

 マスク。マスク忘れた。また忘れた。

 きみお顔につけてるよ。マスク。

 あれ。え?あほんとだ。

……物忘れが始まった初老のおばさんやおじさんによくある「メガネ、頭の上だよ」みたいな話が、少年にもあるのか、と私は笑ったのですが、人ってなにかおいつめられたら、なんだかこういうちょっと虚を突かれたみたいな物忘れをしてしまうものかもしれませんね。

 

 意外と、大丈夫なんです。世界はうまくいってるのです。


(ご本人の承諾を得て、エピソードを紹介しました。また、個人が特定できないように、エピソードは性別など、具体的な条件を変更してあります。)

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