いつしかのあなたの幸せを願って
人生で1度だけ、4階の窓から飛び降りようとした友人を引き戻したことがある。
忘れもしない、中学1年生の6月のこと。よく晴れていた空。中1の4階の窓。給食のあとののどかな昼休み。
入学したばかりの4月、担任の先生に「あの子、人と話すのちょっと苦手なんだけど、おもしろい子だから仲良くしてあげてね」と声をかけられた。
確かに一度しゃべり始めたら面白い子だったので、私は割と好意的に接していた。ただリスカした(かなり派手な)写真をラインで送ってきたり、どうやったら死ねるか本気で語りだしたり、困ったところ、というか本人も自分の中になにか抱えていたところがあった。
とはいえ彼女を軽くいなしながら数ヶ月がたった、6月のよく晴れた昼休みのこと。空がやたらと青くて高くて綺麗で、なんかイライラした。
いつものように、死にたいんだけど、と半笑いで言いながらすり寄ってきた彼女を軽くあしらっていたら急に血相を変えて本気で窓に走っていった。正直この辺は記憶が薄い。が。
でも確実にやばいことを察した、危ない。
やめて、と大声を出し、一生懸命追いかけて、私より体の大きい彼女を抱えるようにして引きずり下ろした。多分3秒とかだったと思うけど、永遠に感じられた。
そのとき、担任の先生がどうしたの、と顔をだした、と思う。
そのあとのことはあまり覚えていない、一つ確かなのは、担任の先生とそのあとお話して、すごく心配されて、感謝されたことだけだ。
事実はどうであれ、当時、誰も私に向かって心配のことばをかけない、私はおびえて周りの顔色をうかがっているだけだった、そうとしか感じられなかった。ただ孤独で、でも私の私じゃないところばかり評価されて、求められて、反動で孤独感は増していた。学級委員的なのをやっていたけど、心は空っぽだった。
いまでも当時のことを思い出してひやっとするけど、命と全力で向き合ったこと、誰かに心配されたこと、感謝されたことは、不謹慎だけど生きてるな、と思えたできごとでもあった。
もう7年が経とうとしていて、彼女とはいつからか疎遠になって、今どこで何をしているのかはしらない。
彼女の一命を取りとめたことについて、彼女からは感謝も、恨みも聞いていない。その後もなぜか普通に友達だった。でもクラスが変わったとかで疎遠になった。
ねえ、いま、何してる?
どんな進路を歩んでるんだろう、私には知る由もない。知る権利すらないかもしれない。
でも、綺麗事でも、私はあなたの幸せを願っている。生きることは苦しいし、あなたの苦しみはわかってあげられない。でも、友達のあなたが、あの日苦しかったあなたが、少しでも楽に生きられたらなんて思う。
私は生きるのが下手くそで、どうでもいいことに躓いてしまう。そんな私が今どこで何をしているか、本人にとって幸せか、そんなことを考える隙はないのだろう、それでも願わずにはいられないのだ。
今年成人式なのでそのときに会うのだろうか。
会ったら何か話せるかな、私は何を言うんだろう。
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