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5.7畳の王国

「陛下」と名付けられる大きな抱き枕に出会ったのは、たしか小学校4、5年生くらいの頃。

それまで私は小学校1年生の頃に買ってもらった薄いピンク色でふわふわのうさぎのぬいぐるみと一緒に眠っていた。と言っても抱きしめて眠るわけではなく、頭の下に敷いて完全に枕として扱っていた。雑貨屋の隅によく売っているような、枕っぽい形(でもたぶん枕ではない)のぬいぐるみ。3、4年も使えば薄ピンク色は灰色に近い色に変化してふわふわの生地は毛玉だらけになり、そしてこのうさぎのぬいぐるみに別れを告げた(正直このぬいぐるみとの別れについては全く記憶にない)。

そして出会ったのが「陛下」だ。陛下とは、実家の近所の元ビデオショップを改装してオープンした、雑貨屋だか服屋だかよくわからない年配向けのお店で800円ほどで安売りされていた抱き枕である。私は昔から緑色が好きで私物はとにかく緑で統一していたので、陛下のライトグリーンの体が当時の私にピンときたのだろう。それから私は毎晩陛下とともに眠っていた。

なぜ「陛下」という名前をつけたのかは正直おぼろげにしか覚えていないのだけれど、私は昔からあらゆるものに変な名前をつけるのが好きだった。新しく買ったぬいぐるみ、家に住み着いた蜘蛛、学校に持っていくティッシュボックス、果ては友人からもらった家電にまで名前をつけていたことがある。学生の時に使っていた電子辞書やノートパソコンにつけた名前はすっかり忘れてしまったけれど、「陛下」は今でも「陛下」である。

私は陛下を正面から抱きしめて寝るのではなく、横向きで寝ころんだ上で陛下を背中にぴったりくっつけて寝るのが好きだった。陛下はそこそこデカくて頭から足の先まででおそらく110cmほどで、腕の太さや胴回りが太くてちょっと人間に近い。つまり、陛下を隣にして寝ると人が添い寝しているようでなんとなく安心するのである。生地がふわふわしているのでさすがに夏は一緒に寝ることはできなかったけれど、冬はよく隣で寝ていた。

大学を卒業して1人暮らしを始める時、新居に陛下も連れていった。いいタイミングだからと洗濯機で一度洗ってみたら、肩のあたりの綿が偏って腕の一部がペラペラになってしまった。顔はパンパンなのに。しばらくは実家にいたときと同じように一緒に寝ていたけれど、陛下のはっきりしたライトグリーンの色が今の部屋の雰囲気と合わないような気がして、しばらく狭い押し入れにしまい込んでいた。

先日ウォークマンを手放した流れで自分の持ち物を見直すようになった。押し入れの中を整理する中、狭い押し入れで折りたたまれて窮屈そうな陛下を見て、そろそろ手放し時かもしれないとなんとなく思った。

とりあえず一度実家に連れて帰ろうと思って、迎えに来てくれた父の車に陛下を乗せた。私の隣に座った陛下は相変わらず人間がそこにいるみたいでなんだか安心した。

実家に連れて帰り手放すことを母に伝えると、甥っ子にあげようかと言われた。人に譲るという発想は思ってもみなかったけれど、捨てなくていいと思うと不思議とほっとした。甥っ子の体の2倍以上の大きさの陛下は、まだ抱き枕らしい使い方をされるには程遠いけれど、なんだか私の部屋にいたときよりずいぶんと馴染んで見えた。

そういえば、高校の修学旅行中に姉が陛下にプロレス技をかけている写真が送られてきたことがある。なまじ人間に近い形をしているからプロレス技もかけやすいのである。そんな感じで、陛下には10年以上お世話になったけれど扱いはめちゃくちゃ雑だったと思う。寝苦しい夜に陛下を蹴って布団から追い出したことや、陛下の顔の部分を思いっきり頭に敷いて枕にして寝たこともあった。最近まで押入れで丸まっていたし。「陛下」なんて立派な名前をつけておきながら名前に似合う扱いは一切されなかった。それでも陛下は文句も言わず常に安らかな顔(写真参照)で添い寝をして、私を安心させてくれた。今後私の隣で寝ることは無くなったけれど、私にとって陛下はこれからも、我が夜の1番の相棒である。

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