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子犬のワルツと猫のワルツ

   チャンスを失ってどん底を知り、回り道をする……
 するとどんな人生になるのだろう。


随分前のお話ですが、
私はショパンが好きで、
著名ピアニストの演奏を聴き比べていたことがありました。

反田恭平さんや辻井伸行さん等が弾く、
英雄ポロネーズに子犬のワルツ、そして革命のエチュード・・・

どの演奏家も甲乙つけがたく、色々なショパンワールドを展開しています。

そんな中でも私の心をくぎ付けにした楽曲が、
フジコ・ヘミングさん奏でる「革命のエチュード」です。


この曲が完成したのは1831年。

当時、ショパンの祖国ポーランドでは
ロシア帝国が侵攻して情勢が不安定でした。

独立を求めて民衆が蜂起しましたが、
ロシア帝国に鎮圧されてしまったのです。

ショパンは外遊先のパリでそれを知り
この名曲が生まれたといわれています。

 激しくたたきつけるような和音、
 狂おしいほど指が駆け抜けていく旋律

家族や友人、そして祖国を想い、
祖国を失ったショパンの怒りと悲しみが
リアルに表現されていると思います。


フジコ・ヘミングさんの演奏には、
ショパンの激しい感情だけでなく、
それを包み込むよう優しさがあるように感じます。

それは波乱に満ち人生を歩んできた、
彼女の人生観そのもののようにも思えます。


フジコ・ヘミング
本名、ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ。

スウェーデン人の父と日本人の母の間に生まれた天才少女は、
17歳の時に演奏家としてデビューして以来、
国内で多くの賞賛を集めます。

ドイツに留学後、
着実に演奏家としてのキャリアを積みますが、
コンサート直前、風邪をこじらせて聴力を失います。

音楽家にとって音が聞こえないということは
どれほどの苦しみなのでしょうか。

普通の人であれば
ピアニストは諦めて、
別の道に進んでいくのではないのでしょうか。

それでも彼女は諦めませんでした。

まるで耳が聞こえなくても作曲し続けた
ベートーベンであるかのように
彼女はピアノ教師をしながら
ヨーロッパ各地で演奏活動を行っていたのです。


まだ幼かった少女時代、
師事していたクロイツアー氏からいわれた言葉があります。

「フジコはいまに世界中の人々を感激させるピアニストになるだろう」

この言葉が失意の彼女を支えたのかもしれません。


やがて長い年月を経て、
クロイツアー氏の予言は現実のものとなりました。

65歳になってから、日本で注目されるようになったのです。


 私はチャンスを失ってどん底を知り、
 回り道をしたおかげで、
 人間的に成長できたように思います。
 (フジコ・ヘミング)


この言葉を聞いた時、
私はハンマーに打たれたような衝撃を受けました。

 私はなんて甘かったのだろう。
 いつまで失敗を引きずっているのだろう。
 なぜ前に進もうとしなかったのだろう。

頂点に上り詰めても、それに甘んじることなく、
齢を重ねてもなお練習に励んでいたフジコ・ヘミングさん。

常に前へ、前へ、さらに奥深くへと進んでいく
その姿勢が彼女の音楽の全てであり、
人生そのものなのかもしれません。

犬や猫が大好きで、
ショパンをこよなく愛していた彼女は、
4月21日にショパンのもとに旅立ちました。
享年92歳。


今頃、天上界で大好きなショパンと一緒に、
「子犬のワルツ」や「猫のワルツ」を
演奏しているのかもしれませんね。

 神にただ、
 「ああしてください」「こうしてください」と
 願い事をするだけではいけない。
 自分のいまの状態から幸せを考えもしないで、
 もっといい状態を得たいと
 欲望だけをぎらぎらさせている人が多い。
 いつも「どうもありがとう」と、
 いま生かされていることへの感謝の気持ちを持たないと
 (フジコ・ヘミング)

心よりご冥福をお祈りいたします。

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