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十の我慢、一の功績

メモするものを持たないときに思い付きをするのはなぜだろう。

シャワーを浴びようと服を脱ぎ切ったところで
「十の我慢、一の功績」
と脈絡もなく思いつき、忘れないようにと頭の中で繰り返して、なんとかノートに書き残した次第であります。

そして、これが何か核心を捉えたのかはわからずですが、今思いついたからには、今のわたしに必要なのかもしれません。一旦、従うことにしてみます。

休職、かつ、休養期間もあと2週間少し。
本を読み、ジムに通い、思いついたことをノートに書き記し、料理をして。そんな日々も堕落の翳りが見えてきた頃です。
成し遂げる何かがあるわけではないですが、しいては"十分な日々"を送りたいところです。

堕落へ誘う悪魔の囁きを思い返し、その遮断をもって我慢としようと思ったのですが、この均された生活に10もの我慢を見つけるのも意外と難しいみたいです。

考えてみれば、10を我慢して1しか得られないなんておかしい気もします。フェアトレードじゃないのかと。
ええ、そんなもんでしょう。

世の中には何でもかんでも吸い寄せていく人もいて、SNSが普及した現在では、彼らに簡単に憧れてしまう。
しかし、世界の矛盾と犠牲を知り、苦しみや痛みを無視できない人(わたしが思う真っ当な人)は、どうも都合が良くない。そして、その真っ当さと共に、堂々と、苦しみを授かる者、犠牲者と言ってもいいし、被害者と言ってもいい、つまりは我慢する者であるしかないだろう。

だから、甘んじて我慢しよう。
しばらくすれば、それも日常に溶けるだろうから。
そしたら、一縷の光ぐらいは差し込んでくれるはず。


ひとまずはスマホ離れを考えねばならないのだが、実家にあった辞書を引っ張り出して使ったところ、手触りの回復と脳の休憩として、良いリズムを作れそうである。

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