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今世界で起きていること~自由意思を持ち続けるか放棄するかの選択~

この二年世界で起きている様々な出来事の根底に流れているものは何か?
この世界、あるいは見える世界を超えたところから
いろんな情報がもたらされている。
究極的には
『大きくても小さくても、自由な意思を持った存在であり続けようとする』VS
『個人としての自由意思を放棄して
大きいもの、力の強いものからのコントロールを受け入れる存在となるか』

ということなのではないかと思う。

存在の大小によらず自由な意思を持った存在であろうとする世界には
力による上下ではなく、無数に広がる広大な海の泡に宿る光のきらめきのような個性と自由に泡のたゆたう世界があるだろう。

反対に、
一度、目に見える力の大きさに個人の自由意思を譲り渡し
コントロールを受け入れる世界の先には
限りない個性の光のきらめく泡は消え、くらい均質な海のような
世界がひろがるだろう。

個性と自由意思を飲み込もうとする集合意識の波

ここ数か月、押し寄せる情報の波に洗われながら
何が起きているのか。
そして自分はどちらを向いて、歩けばいいのか?
何を指針に上を向けばよいのか?と考えあぐねていた。
原因の一つは、便利さと引き換えに
まるで飛び出した脳みそのように生活の中に入り込んでいる
SMSを通じて送られる情報の洪水だ。
決してプラスの影響は受けていないことはわかりながらも
どっぷりと日々押し寄せる情報洪水に浸って
素の自分のテンションがわからないほどになっている。

おかげで、Wifiの通じる世界に張り巡らされた
共通の情報源から送られてくるテレビや新聞、
そしてインターネットの情報で私たちの頭の中には
共通の幻想の世界が毎旬、毎旬創り出される。

好むと好まざるとにかかわらず、
あるウイルスによって患者が出たとされた時には
ご丁寧に小型の電話から不穏なアラームがなり
”政府”の発表が流される。

テレビは見ないようにしていても、
切り取られた画面の情報が
SMSを通じて、送られ、
お茶を飲むときも、一人の食事の合間にも
私たちの脳みそはプラグが差し込まれたままだ。

この10年
消極的ながら
スマートフォンをもって以来、
この”強制情報中毒”の状況は、
悪化する一方だ。

旧態依然としたマスコミの情報よりは
近しい意識の人間がつながるSMSのほうが
少しは角度が高い情報が流れるとはいえ
『人の意識』を通した情報が
外から押し寄せることには変わりない。

私たちが暮らす現代は
日々常に、毎時毎時、
『情報』の洪水の中を生きている。

集合意識を介して交換されるエネルギー

日々目にするもの。
聞く音楽。
投げかけられる言葉。
周りの自然からの音、色。
過去の記憶。

日々私たちが触れるこうしたすべてのものは
人間の潜在意識というものに取り込まれ
無意識の世界から私たちの意識に影響を与えている。

日ごろ自分が意識をして使える
『顕在意識』はわずか数パーセント。
残りの80%から90%は潜在意識や
もっと根底の集合意識に取り込まれ
人の行動や、判断、そして感情に影響を与えていると
考えられている。

テレビが出現する前。
そしてYoutubeがメジャーになった現在。
どれほどたくさんの音と映像に日々さらされているか??

意識はしないが、
冷静に考えるとめまいのするような多量の外部からの
情報にさらされ、日々取り込まされているわけだ。

生き物や植物が
生きているリズムとはかけ離れた
『速さ』と『刺激』で一方的に送られる情報。

大地に直接結びついて暮らしていた時代から
考えると、今の私たちは
ものすごい量の情報エネルギーの負荷を
知らず知らずに取り込んで、
抱え込んで生きていることになる。

『自分の考え』
『自分の感覚』
『自分の好み』

と思っているものも、
隅々まで外から無意識に取り入れられてしまったもの
によって既に自分以外のものがたくさん含まれているわけだ。
そして、この集合意識が形成するものが
『マトリックス』といわれる私たちが世界だと
思わされている世界だということ。

これから来る未来の方向性の根幹

私たちは、自分たちの身体の中に
既にたくさんのプラグインされた情報を取り込んでしまっている。
しかし、これから近い将来もっと露骨な未来像として描かれている
スーパーシティー構想では
日本だけではなく、世界各地で
あらゆるデーターが一元的に収集されるビックデーターによる管理や
個人情報を埋め込み式のチップで個人の自由が制限される
危険性が十分すぎるほどに身近に迫っている。

世界はどこに向かおうとしているのか?
それはなぜなのか?
こんなことを考えながら、先日瞑想家の
レバレンド・サトシさんの
『宇宙の危機』シリーズを聞いていた。
このシリーズは、現在私たちが生きている世界で起きている出来事を
スピリチュアルな話を含めて、なるべく手垢のついていない
分かりやすい言葉で3部作4話にわたって説明されている。


各国の政府を動かし人の自由を奪う『ウイルス騒ぎ』も
マスコミを使って仰ぐように作られる『戦争』も
海に例えれば波がしらの泡。

海底で、海流を動かし
一定の方向性をもって波をつくる海流の流れがわからないと
個別に起きる物事の意味が分からないと思うからだ。

私なりに理解するに、
私たちは、究極の選択を迫られているということだ。

仕掛けられる戦争や、経済不安。
ウイルス、天候災害、健康問題など
限りない不安を見せられ、めげそうになるこの世界で
『自由意志を持った個人として存在しようとするか』

それとも、押し寄せる不安とチャレンジの中で
『個人の自由意思を放棄して制限を受け入れ、
 押し寄せる集合意識からコントロールされる道を選ぶか』

今この二つの分かれ道に立っているということだ。

レバレンド・サトシさんがおっしゃるには
個別性を持ち、自由意思を持った個人として存在しようとするとき
個別性を体験することで『心の成長』があり、
意識の進化につながるのだと。

一方、
個別性を否定し、個人の自由意思を放棄して、
集合意識からのコントロールによる制限を受け入れる方向性は
意識の進化を止め、身体を否定し、ひいては宇宙を破壊する方向へと
つながっていくのだという。

広大な海に浮かぶ一粒の自由な泡でいる

この話を聞いて、これまで点として起きている世界の出来事や
これまで読み聞きしてきた精神世界の話が一つにつながってきた。

この世界と宇宙を、
広い広大な海と例えてみよう。
水は、その水が旅した場所の振動をそれぞれ記憶して
一滴の水にすべての情報を記憶するのだそうだ。

私たちは、海洋を旅する水に刻まれた情報と
この世界の無限の光をもってその海に存在する小さな泡だ。

サンゴの海に浮かぶ泡の光のきらめきも
イワシの群れが飛び跳ねる巨大なトルネードに浮かぶ泡も
のどかな海ガメの周りに揺蕩う優雅な泡も
その泡の一つ一つに、その場所、その瞬間にしかない
世界の光と色を合わせて凝縮した世界を内包している。
旅する一滴の水が記憶したすべてと
そこに届く光で作り出す泡の中には
その瞬間しかない泡の内側の世界があって
一人の人間の一生も、
宇宙から見ればこの一粒の泡のようなものだろう。


豊かな地球の海の水を囲い
自然の呼吸を止めた水に機械で酸素を送り、均質な泡を作り出す。
そして、一定の波動を送り流れをつくって
一定の方向に集めて、
養殖魚のいる水槽に供給するような泡。
この水槽は、『マトリックス』と呼ばれる作られた意識の世界だ。
水槽の中にいる限り、外の世界は考えられないが、
実はその外に広い世界が広がっているわけだ。

今、向かっている世界はこんな養殖池の人口泡のような世界だなと思う。

海にたゆたう一粒の泡ながら、
モーターに吸い取られ
強制的に酸素を送られて供給される泡にはなりたくないな。

せっかく、空の水蒸気から一滴の水となって
海に流れた水と光をまとった泡になったからには
広い海の美しさも
荒波も、
小魚のおしゃべりも
カモメの泣き声も
クジラの豪快な水しぶきも
夕日の美しさも
星々のきらめきも
ぜーんぶ映し出して
身にまとって、また光と水にもどって
宇宙に還っていきたい。










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